お母さんを知る人
暑い夏の季節が過ぎ、九月も下旬に差しかかろうとしていた。
母親が亡くなりまだ二ヶ月も経っていないのに、季節が移り変わろうとしていくのはやるせない寂しさがあった。
わたしは握っていたシャーペンを机の上に置き、窓の外に目を向けた。そのとき教室の外からわたしを呼ぶ声が聞こえてきた。
「ほのか先輩」
わたしが廊下に目を向けると、そこには真一が立っていて手招きしていた。わたしに向けられる視線が僅かに増えたように感じる。
三島さんが西岡に言って以来表立って文句を言う人間はいないものの、影では言われているのだろうという実感はあった。
わたしは席を立つと、教室の入り口まで歩いていった。
「どうかしたの? というか恥ずかしいから先輩はやめてよ」
わたしの言葉に真一は苦笑いを浮かべる。真一も周囲の妙な視線に気づいていたのだろうか。
「教室で呼び捨てにするのは気が引けたから。ごめん」
「こっちこそごめんね」
わたしは素直に謝る真一にそれ以上何も言えなくなった。別に彼に責任があるわけではない。
「お願いがあるのだけど。ここじゃちょっと」
真一の申し出は最もだった。まだ相変わらず視線はわたしと真一に向けられていた。
わたしも周囲の視線に耐えかねていたからだ。
教室の外に出ると、真一は両手を合わせ、頭をペコリ下げた。
「変なこと聞くけど、ほのかのお母さんのお墓ってこの辺りにあるの?」
「お墓は買っていなかったし、こっちに来たときにお祖母ちゃんの墓に一緒に入れてもらうことにしたよ。藤田家の墓ね」
「そしたらその墓に案内してくれないかな」
「いいけど」
「あと一つだけ。このことは誰にも言わないでほしい」
誰にもというのは三島さんやおばあちゃんもだろう。
わたしが頷くと、彼はお礼の言葉を口にした。
わたしたちは、放課後に待ち合わせることにした。彼はもう一度お礼を言うと、その場を去った。なぜ彼が突然母の墓に行こうと思ったのか分からなかったが、母のお墓参りをしてくれるのに悪い気はしなかった。
お寺の門をくぐると、真一をお墓まで案内した。三島さんには真一と一緒に帰ると言ったら、それ以上は追及されなかった。
「ここだよ。わたしのお母さんの墓」
真一は母親の墓の前で両手を合わせると、目を閉じた。真一は合わせていた手を離すと、寂しそうな笑みを浮かべていた。いつもの真一とは若干違う印象を受けた。
「お母さんってどんな人だった?」
「優しくて強い人だったよ」
「そうだよな。ほのかを見ているとそう思う」
真一は褒めているのだろう。だが、彼の浮かべている表情を見ているとやるせない気持ちが胸に湧き上がってきた。
「何かあったの?」
わたしの言葉に真一は首を横に振る。だが、その表情が悲しみに堪えているようだった。
「ほのかは掃除して帰る?」
「そうだね、折角だから」
真一はいつものような明るい笑顔を浮かべていた。だが、やはりその笑顔には元気がないように思えた。
「手伝いたいけど今日は用事があるから先に帰るね。その代わり三島先輩を呼んでおいたからすぐに来ると思うよ」
「どうして?」
真一はその言葉には答えずにやっと笑った。彼の表情が全てを物語っている気がした。真一はわたしと三島さんが最近頻繁に一緒に居ることを知っているのだろう。
「じゃ、先輩と仲良くね」
何も言えなくなるわたしの姿を見て、真一は面白そうな笑みを浮かべていた。わたしは真一から子供扱いをされている気がする。
「わざわざ案内してくれてありがとう」
真一はそう言うとその場を去った。わたしは何も言うことが出来ずに彼の後姿を見送っていた。
わたしは我に帰り、箒とちりとりを探しに行くことにした。
ここに来た初日に掃除をしたが、あのときは千恵子さんが持ってきてくれたこともあり、わたし自身その在処を知らなかった。
わたしは広い敷地内を壁まで歩き、壁沿いに箒を探すことにした。だが、なかなか箒の在処を見つけることは出来なかった。
「何やっているんだよ」
わたしは良く聞く声に呼び止められた。振り返るとそこには三島さんが立っていた。
真一はわたしが思っていたよりも早く三島さんを呼んでいたのかもしれない。慌てて帰ったのはそろそろ三島さんが来る頃だと察知したからだろうか。
「箒を探していて」
「墓の合間をフラフラ歩くから何かとり憑いているのかと思った」
三島さんはからかうような笑みを浮かべていた。
わたしは三島さんが花を持っているのに気付いた。わたしがその花を指差すと、彼は苦笑いを浮かべていた。
「真一が花を買ってきてくれって。箒はあいつに取りに行ってもらえば良かったのに」
「用事があるからって先に帰った」
流石に真一に三島さんと仲良くと言われたことまでは言えない。彼は溜め息を吐くと、わたしの肩を叩いた。
「じゃ、ついでに置き場所教えるからついてこいよ」
端正な顔立ちにスッと伸びた鼻。少し色の悪いピンクの唇。あの頃より歳を取り、しわもあったが、母親の持っていた写真に載っていた男性に間違いなかった。
「君は」
その人はわたしを見ると、眉間にしわを寄せた。
「藤田千明の娘か」
低い声にわたしは一瞬ドキッとした。この人は母親の名前を知っている。他の可能性があるのにも拘わらず、この人がわたしのお父さんなのだろうかと即座に思っていた。期待と不安がわたしを襲った。
「ほのか、バケツってこれしか」
三島さんは柄杓を手にわたしの傍に駆け寄ってきた。彼がわたしの顔を覗き込み、視線を前方に向けた。高宮の表情が一瞬緩んだ。
「将君、久しぶりだね。わたしは先に失礼するよ」
高宮はそう言い残すと、わたしの傍を通り過ぎていった。
「何かあった?」
彼は心配そうにわたしの顔を覗き込んだ。
わたしは首を横に振った。わたしは高宮に一刻も早くこの場から離れてくれることを願っていた。
彼は怪訝そうな表情を浮かべながらもそれ以上問いかけることはしなかった。
わたしはきれいに掃除されたお墓に、母親のお墓に桔梗が供えられているのに気付いた。
わたしがおばあちゃんと来た時は、枯れた花が差してあった。だから、誰かが掃除をしてくれたのだろう。
あの人がなのだろうか。だが、あの人のことを思い出すたびに、蔑んだような彼の表情が頭に浮かんだ。
「あの人、真一や由紀の父親だよ。だから顔見知り」
三島さんの視線は母親のお墓に向けられていた。
「あの人ってどんな人なの?」
「イメージとしては寡黙な人。あまり怒ったり、笑ったりしない。それくらいかな」
わたしは三島さんの言葉に曖昧に頷く。わたしは持っていた花を供えようと屈んだが、高宮の供えた花が目に付いた。
その花は母親の一番好きな花だった。
あの人は知っていたのだろうか。
それとも偶然なのだろうか。
「すごい花だな。誰が持ってきたんだろう。その花どうする?」
三島さんは桔梗に触れようとした。
わたしは彼を呼び止めた。
「今日買ってきた花は家の仏壇に供えるよ。きっとお母さんはこの花喜んでいると思うから」
何となくそういう感じがした。あまり自分のことを人に話さなかった母の好みを知っていた高宮という男性。
きっと彼は母親と深い繋がりがあったのだろう。わたしは持ってきた花をぎゅっと握り締めた。




