一方通行の想い
教室に戻ったわたしを待っていたのは、西岡さんだった。彼女はわたしをじっと見た。
「真一くんと一緒にご飯食べていたの?」
わたしはなんともいえない威圧感に押されつつ、頷いた。
彼女はわたしをきっと睨む。
わたしはなぜ敵対視されているのかさっぱり見当もつかなかった。
「あなたって酷い人よね。わたしが彼のことを好きなのを知っていて彼に擦り寄って」
そういうことか、と心の中で頷いた。だが、それを口に出すことはせず、彼女の言葉を否定した。
「そんなつもりじゃない」
ただ一緒にご飯を食べただけでなぜそこまで責められるのか分からなかった。わたしも真一も互いに特別な感情を持っていないのは明白で、責められる理由は何もなかった。
わたしは唇を噛み締めた。
「そういう下らないこと止めとけば? こいつが誰と飯食おうがこいつの勝手だろう? そんなに真一が誰かとご飯を食べるのが嫌なら真一に直接言えばいいだろう?」
三島さんの言葉に西岡さんは言葉を失ったようだった。彼女は潤んだ瞳で三島さんを睨み付けていた。だが、彼女の視線は直ぐにわたしに戻った。
彼女はわたしをみてにやりと微笑んだ。
わたしはその態度に身じろぎした。
「そういうことね。それはお母さんゆずりなの?」
「どういうこと?」
三島さんのお母さんのように、お母さんを知る人がいてもおかしくはない。
だが、彼女の言葉は悪意に満ちていたのだ。
「あなたのお母さんも男に取り入るのだけはうまかったんでしょう。なんせ、高校生のときに子供を身ごもっていたのだから」
その言葉に周囲がざわめいた。わたしは何も言えなくなり、唇を噛み締めた。
「西岡」
三島さんの声が辺りに響き渡る。その声に西岡さんは身体を震わせた。
三島さんは西岡さんを睨んでいた。
「お前さ、自分のことが思い通りにいかないからってこいつに当たるなよ。昔の事情も知らないくせに。お前みたいなやつ最低。だから、真一にも好かれないんだよ」
その言葉に西岡さんは泣き出してしまった。ざわめいていたクラスが一瞬のうちに静かになる。クラス中の視線がわたしと三島さんに注がれているのが分かった。三島さんは全く気にする素振りもなく、鞄から教科書を取り出していた。
わたしは三島に対して申し訳なかった。彼はわたしをかばってくれたのだ。だが、周囲の視線が気になり、何も言えなくなっていた。
わたしがそっと唇を噛んだのを待っていたかのように、いつの間にか空を覆っていた雨雲から雨粒があふれ出した。
わたしは靴箱まで来ると、グラウンドに目を向けた。
昼過ぎから降り始めた雨が止むどころか余計酷くなっていた。もう辺りの景色も霞んでしまうほどだ。
わたしは傘を持っていない。おばあちゃんに迎えに来てもらうわけにはいかず、右往左往していると、三島さんがやって来て外を眺めていた。
わたしは今日の昼間のことについて何か言わなければと思ったが、上手く言葉が出てこない。
下校時間を過ぎ、静かな玄関に三島さんの鞄の開く音が耳に届く。
三島さんはわたしに何かを差し出した。
わたしはそれを見て、言葉を失った。
黒い男物の折り畳み傘だった。
「これ貸すよ」
三島さんは他に傘を持っているような気がしなかった。
「三島くんは?」
「なくても平気だよ」
「いいよ。わたしが忘れたのが悪いんだもん」
「使えよ。もしお前に傘を貸さずにお前が風邪ひいたりしたら母親が煩いし」
わたしは三島の言葉がオーバーだと思いつつ、つい笑ってしまっていた。わたしはグラウンドに目を向けた。
彼の申し出はありがたい。だが、この雨の中傘を差さずに歩いたら三島が風邪を引いてしまいそうな気がした。
「じゃ、一緒に入って帰ろう。それなら良いよね?」
三島は目を見開き、細めていた。わたしは彼が笑うのを久しぶりに見た気がした。
「構わないよ」
「三島先輩」
凛とした声が辺りに響く。彼女の声は振り向かなくても誰だか直ぐに分かる。
由紀は三島さんの傍まで来ると、三島さんに微笑みかけた。三島さんも由紀に釣られるような形で笑顔を浮かべていた。
「今から帰りですか?」
「委員会か?」
三島さんは由紀が胸元に抱えている書類の束に目を向けると、そう言った。
由紀は三島さんの言葉に笑顔で頷く。
「ハイ。まだ仕事残っているのでじゃ、また今度」
由紀はわたしをチラッと見ると、頭をペコリと下げ、来た道を戻っていった。
三島さんは由紀の後姿を見送りもせず靴箱に手を伸ばす。三島さんは靴箱から革靴を取り出すと履いた。
「早くしろよ」
三島さんに促され、下履きに履き替えた。三島さんは全く由紀のことを気に留めていないようだった。
わたしが靴を履き終える頃には三島さんは外を伺っていた。わたしが傍まで行くと、傘を差し出した。
その傘は大きい傘でわたしと三島さんの身体をすっぽりと包み込んでいた。
あまりに普通に帰る準備をする彼を見て、わたしは思わず問いかけていた。
「由紀さんはいいの?」
「なんで?」
「傘もってなかったりするかもしれないよ」
三島さんは肩をすくめる。
「傘を持ってなかったら家族が迎えにきてくれるんじゃない? 真一もいるしさ。あいつらの家はお前より近いだろう」
彼の言うことは正論だ。だが、どうしても腑に落ちない。普通彼女が遅くなる日は待っているものなのではないかとおもえたのだ。
もしかすると三島さんが由紀を置いて帰るのはわたしのせいなのかもしれないという考えにたどり着いた。それが真一の言っていた三島さんの優しさなのかもしれない。
「わたし、一人で帰るから由紀さんを待っていてあげたら?」
三島さんは眉間にしわを寄せると、わたしを見た。
「あいつはあいつでどうにかするし、俺には関係ないよ」
「でも彼女は三島くんに待っていてほしいんじゃないかな」
彼は眉根を寄せた。
「由紀から聞いた?」
「何を?」
「いや、違うならいいよ。俺は俺、あいつはあいつだよ。俺にとって彼女はただの幼馴染でしかないから」
わたしの脳裏に千恵子さんの言っていた好きな人の話が蘇った。
自分を思っている人がいるが、彼自身も好きな人がいる。きっとものすごく彼自身も複雑なんだろう。
それなのにわたしをあんな形で庇ってくれた。そのとき、真一の言っていた、彼は優しいの言葉が現実味を増していった。
それなのにまだわたしはお礼を言っていない。
勇気を出して言葉を紡ぎ出した。
「今日の昼のこと、庇ってくれてありがとう」
「当たり前。あいつら言っていること支離滅裂すぎ。ただの八つ当たりでしかないし。気にするなというわけにもいかないけれど、ああいうやつらは相手にしないほうがいいよ」
優しいという言葉とは程遠く感じる強い口調でそう言った。だが、その口調のきつさが不思議とわたしに安堵感を与えていた。
「わたし、気にしていないよ。平気」
わたしの言葉を打ち消すような強い口調で三島は言い放った。
「無理するなよ。高校のときに母親が自分を妊娠していたっていうのはおまえ自身が気にしていることなのだろう?」
わたしは三島の言葉に何も言い返せなかったが、不思議と嫌な感じはしなかった。寧ろ、わたしの気持ちを分かってくれることが嬉しかったのかもしれない。
「でも三島くんまで嫌がらせ受けたりしないかな?」
「俺はこの学校でダントツの成績取っているから、そうそう嫌がらせもできないよ。下手に動いて、先生たちに目をつけられたくないだろうしな。今の校長はこの町の出身で、結構大きな家だからね。だから、これ以上どう思われようがあまり関係ない。どうせ、あと半年で卒業なのだから」
三島はわたしを見ると、優しい笑顔を浮かべていた。それは昨日見たときと同じ表情だった。
この人は学校内にいるときだけ他の人との間に壁を作っているのかもしれないという気がしてならなかった。




