不思議な少年
わたしがこの学校へ入学して一週間が過ぎた。学校に慣れてはきたがクラスメイトには上手く馴染めなかった。三島さんとは一週間前話したきり、会話もしていなかった。
彼はわたしと話さないどころか、もともとこの学校にいたはずなのにクラスのごく一部の人としか会話をしないようだった。
わたしはいつの間にか昼食を教室の外で、一人で食べるようになっていた。
何人かは話しかけてくれたものの、卒業までの日月が短いこともあってかもうグループが作られており、そのグループに入るのに気が引けたのだ。
いつものように昼食のおともにと自販機の前でジュースを選ぶことにした。緑茶を買おうとコインを入れたとき、わたしの背後を誰かが通り抜ける。わたしはその人に押され、その場によろけてしまった。そのときとっさに自動販売機に手をついた。
わたしが自販機に触れたと気付いたときには既に遅く、ガチャっという音が自販機から聞こえてきた。
わたしは自分の手が置いてあるボタンを見て、落胆の溜め息を吐いた。紅茶のボタンだった。
砂糖がたっぷりはいっていて少し苦手な紅茶だ。わたしは迷った末、緑茶を別に購入することにした。
「失敗したな」
ペットボトル二本に、先ほど売店で購入したパンを持ち、外に出ることにした。
太陽の光を右手で遮りながら天を仰いだ。今日は雲一つない良い天気だ。
賑やかな中庭で一人の男性の姿を見つけた。彼は何かを考え込んでいるようだった。だが、その体制は体調が悪いと訴えているようにも見える。わたしは彼の傍に行き、彼を呼んだ。
「高宮くん? 大丈夫?」
彼は僅かに身を震わせ、身体を起こす。彼の虚ろな瞳にわたしが映っていた。彼はわたしを見ると、頭を下げる。わたしがとっさに彼の体を支えようとしたときだった。
「腹減った」
真一の言葉がわたしの耳に届く。わたしは真一の言葉に思わず笑ってしまった。わたしは先ほど売店で購入したパンのうち一つを真一に手渡した。
「これ、良かったらどうぞ。この前案内してくれたお礼。本当に助かったから」
わたしの言葉に真一は笑顔を浮かべる。
「サンキュー。遠慮なく頂きます」
真一はまるで子供のように目を輝かせる。もしわたしに弟がいたらこんな感じなのだろうか。
わたしの瞳に先ほど間違えて購入した紅茶が映った。真一に訊ねてみることにした
「この紅茶飲める? 間違って購入してしまって飲んでくれたら有難いのだけど」
「ありがとう」
真一は笑顔で紅茶を受け取った。彼は既にわたしが差し出したカレーパンをあっという間に平らげてしまっていた。
真一はペットボトルのお茶に口を付けると、半分ほど一気に飲み干す。余程喉が渇いていたのだろうか。
ペットボトルを間違えて購入して良かった。
「今日、弁当も財布も忘れてしまって助かったよ」
わたしは大げさな真一の言葉に笑顔を浮かべる。真一はわたしの顔を見て困ったように肩をすくめる。
「実は人に何かを借りるのがすごく嫌でさ。人に借りを作るのは嫌でさ。向こうがきにしなくてもこっちが気にしてしまう。特に女とかは何かを期待しているっていう目をするから」
真一は溜め息を吐くと、膝の上に両肘を置いた。
わたしは真一の言葉を聞いて意外な気がした。わたしに軽い口調で話しかけてきたことや、クラスの子が真一は皆に優しいと言っていたこともあってそういう人間なのだと思っていたからだ。
わたしは率直に真一に尋ねた。
「でも由紀さんがわたしと高宮くんが話しているのを見て、また女の子に言い寄っているとか言ってなかった? わたしはてっきり異性と付き合い慣れている人だと思っていた」
わたしの言葉に真一は苦笑いを浮かべた。
「あれは由紀が勝手に思い込んでいるだけだよ。一度思い込んだらそれが間違っていても考えを改められないやつがいるだろう。由紀がそんなタイプ。この歳まで誰とも付き合ったことないし。周りの奴らがやっているような軽い付き合いとかってしたくないから」
真一の真っ直ぐな瞳は彼が決して嘘を吐いていないと物語っているような気がした。
そういったところが、一層人の気を引くのかもしれない。真一は言葉を続ける。
「人見知りとかしないから誰とも話すし、人に対して好き嫌いもないし。誤解を与えやすいのかもしれないな。でも僕は三島みたいには優しくないからそういった相手に情を向けることはないけどね」
「わたしはいいと思うよ。表面では無難に物事をこなしていても、内面では自分の考えをしっかり持っているということだもの。わたしは直ぐ人に合わせてしまうから羨ましい。でも三島くんって優しいかな? 勉強教えてくれたし悪い人ではないと思うけど」
わたしは自分で言いながら自分自身で何が言いたいのか分からなかった。帰りがけに見せた三島の優しい笑顔が蘇る。
わたしの言葉に真一は笑っていた。
「あいつは僕の何倍も優しいよ。一見無表情で冷たいように見えるけど、心の中では相手のことを人一倍考えている。だから昔から余計な苦労を背負い込むのだと思うけど」
この人たちは三島と長い時間過ごしてきた。だからわたしの知らない彼の良いところを知っているのだろう。
わたしにも友達はいた。だが、そこまで仲の良い友達がいないため、羨ましく思えてくる。
「話を戻すけど、ほのか相手だと、そんな細かいこと気にならなくなるし、素直に嬉しかった。本当にありがとう」
ほのかと名前を呼ばれたことに少し驚きながらも、飾りもない真一の言葉がとても嬉しかった。彼と話していると心が和む。わたしが真一に対して恋愛感情を持っていないからかもしれない。
「気にしないで。わたしもそのお茶をどうしていいかわからなくて困っていたから」
「この町に随分慣れた?」
真一は真っ直ぐと前方を見据え、わたしに問いかけてきた。
「少しは。でも暗い場所とかはまだだめかな」
「この辺りは毎年変質者が出るからね。気をつけたほうがいいよ。あと真一でいいよ。高宮くんって呼ばれると違和感ある」
「でも初対面みたいなものだし」
「ほのかからしたらそうかもしれないね。でも僕は昔から君のこと写真で知っているから、昔からの知り合いみたいな気がして。嫌?」
わたしは真一の言葉に首を横に振った。照れくさいだけで嫌なわけではなかった。彼は笑顔を浮かべている。
わたしの中に一つの疑問が湧き上がった。わたしは真一を見ると、首を傾げた。
「写真って何?」
「それは秘密。ばらしちゃうと困るやつがいるから」
困るやつと聞いてわたしは首を傾げる。わたしの知っている人は祖母と千恵子さん、三島さんに真一、あと由紀さんだけだった。この中の誰が困るというのだろう。だが、真一の悪戯っぽい笑みを見ていると彼はわたしの疑問には答えてくれない気がした。
「もし、何か困ったことがあったら何でも言ってくれよ。出来るだけ力になるから」
「ありがとう」
わたしは真一の好意を素直に受け取ることにした。
わたしは昼食を食べ終わると、真一と別れ教室に戻ることにした。




