幼い恋心
「もう終わったの?」
わたしは千恵子さんの言葉に頷いた。
「本当、素っ気無い子ね。誰に似たのだか」
わたしはその言葉に笑みを浮かべていた。
千恵子さんとは性格はあまり似ていない気がした。
「でもまさかわたしと同じ歳の子供が居るとは思いませんでした」
「言ってなかった?」
わたしは千恵子さんがわたしの家に来たときの会話を思い出し、頷いた。
「わたしも高校卒業後一カ月ほどで結婚して、早い段階であの子が産まれたの。だから、ほのかちゃんとも同じ学年ね」
三島さんは三月生まれだと生徒手帳に書いてあった。だから、彼女の言葉にも納得がいった。
「旦那さんとはどこで出会ったんですか?」
「わたしのお父さんの部下で、よく家に遊びに来ていたのよ。こういう話は照れくさいわね」
千恵子さんは髪の毛をかきあげると、苦笑いを浮かべた。
「三島、くんは子供のころからあんな感じだったんですか?」
「そうね。昔は今より少し愛想はあったかな? アルバム見る?」
「見てみたいです」
「待っていて。持ってくるわ」
彼女はそういい残すと部屋を出て行った。そして、二分ほどでアルバムを手に戻ってきた。
千恵子さんはアルバムをわたしに差し出した。わたしはそのアルバムを受け取り、中身を覗くいた。そこにはパッチリとした目をした、少し小太りな赤ん坊の写真があった。顔自体は可愛かったが、どれも無表情で今の彼の姿を彷彿とさせた。
「面影ありますね」
「この頃からあまり笑わない子からね。親が抱き上げるととにかく嫌がって暴れたり、噛み付いたり。本当苦労したわ」
わたしは千恵子さんの言葉に笑うしかなかった。ページを捲っていくと、赤ん坊の写真から五歳くらいの子供の写真に変わった。
五歳くらいの三島さんの傍には髪の毛が黒より若干薄い色の、目がパッチリとした女の子が立っていた。素直に可愛い子だと思う。
「この子は、高宮由紀さん?」
「知っているの?」
千恵子さんの表情が一瞬曇ったが、次の瞬間にその表情は先ほどの明るい表情に戻っていた。何かあったのだろうか。気にはなったが、わたしはそのことに触れないようにした。
「今日、学校でたまたま会って。顔がそっくりな双子の弟さん居ますよね? 真一って名前の」
千恵子さんはアルバムを手元に引き寄せると、ページを数ページ捲った。そして、わたしにアルバムを差し出した。そこには同じ顔をした二人の子供と、三島さんが写っていた。そして、由紀の視線は相変わらず三島に向けられていた。
「三人は幼馴染でね、小さい頃から、一緒に良く遊んでいたの」
彼女はそっと唇を噛んだ。
「幼馴染か。羨ましいな」
「ほのかちゃんにはそういう子いなかったの?」
わたしは首を縦に振った。
「友達はいたけど、わたしはあまり人と打ち解けられなかったから」
あまり自分の悩みを人に相談することはなかったのだ。
「そう。きっと自分をしっかり持っていたのね」
わたしはその言葉に驚き、千恵子さんを見た。
「あなたのお母さんもそうだったの。しっかりしていて、自分できちんと決めたの。人に相談するって言う意識があまりないのよね。そういう面では将はあなたのお母さんに似ているかも。わたしも高校卒業して直ぐ、今の主人と結婚したのだけど、その前まで千明には良く相談に乗ってもらっていたわ」
千恵子さんは寂しそうな表情を見せていた。そんな千恵子さんを見ていると、わたしが自分を育ててくれたお母さんを知っているつもりでいても、自分の知っている母親は一部分でしかないのかもしれないことを思い知らされた。
「由紀ちゃんはこの子はなぜか将に懐いてね、良く将と結婚するって言っていたの。でも将が嫌だと連呼するから、何度も泣き出しちゃって大変だったのよ」
千恵子さんの言葉がわたしは意外だった。あのしっかりとした印象を受ける由紀にそんなことがあったとは想像できなかった。
「嫌って言わなくてもいいのに」
「将は別の女の子が好きだったからでしょうね」
「初恋なんだ」
わたしの言葉に千恵子さんは目を細めた。
「そうね。きっととても大事な子なんでしょうね」
「あの高校に通っていたりします?」
わたしは単純にあの不愛想な彼の初恋の相手に興味がわいた。
「通っているわよ。誰かは教えられないけどね」
「そっか。残念」
わたしは大げさに肩をすくめた。
部屋の時計に視線を移すと、もう時刻は二時を回っていた。
もうこんな時間になってしまっていた。
「わたし、そろそろ失礼しますね。おばあちゃんが心配したらいけないもの」
わたしが立ち上がろうと、テーブルに手を置くと、千恵子さんがそれを制した。
「ちょっと待って。将を呼んでくるわ」
千恵子さんは部屋を出て行った。わたしは部屋に残され、適当にアルバムを見ることにした。
確かに三島さんの写真の一割程度には由紀が一緒に写っている。真一が一緒に写っているのは数枚しかないのに。
「好き、か」
幼い三島さんと由紀が居て、由紀が好意を持っている。三島さんにはほかに好きな人がいた。淡い幼い頃の恋心がやけにほほえましく感じていた。
きっと、わたしはその気持ちを知らなかったからだと思う。
わたしはこの年まで誰かを好きになることがなかったのだ。
客間の扉が開き、顔をあげた。わたしは思わず目を見張った。部屋の中に入ってきたのは三島さんだったのだ。彼はわたしの見ているアルバムを見ると、無言で歩み寄ってきてアルバムを閉じた。
千恵子さんがアルバムを持ってきたとはいえ、勝手にアルバムを見てしまったことに軽い罪悪感を覚える。せめて閉じておけば良かったと心の中で悔いていた。
「あの、これは」
「どうせ母さんが持ってきたんだろう。さっさと来いよ」
三島さんは部屋の入り口まで戻ると、振り向いた。わたしは意味が分からずにただ彼の動きを目で追っていた。
三島さんが痺れを切らしたかのように強い口調でわたしに問いかけた。
「帰るって聞いたけど」
わたしは三島さんの言葉に驚いていた。何か言わないと思うが、上手く言葉が出てこない。まさか見送りに来たのだろうか。自分で考え、自分で否定していた。彼の態度を見る限りそうは思えなかった。
彼は髪をかきあげると、わたしを睨んだ。
「母親に送れと言われたから。早くしてくれ。俺だって暇じゃないんだ」
「ごめん」
わたしは三島さんの言葉に促されるようにして立ち上がった。わたしが立ち上がるのを見届けるようなタイミングで、彼は部屋を出て行った。
わたしが靴を履き終わるときには三島さんは既に玄関の外に出ていた。
彼はわたしが家の外に出たのを確認すると、無言で歩き出す。無言で歩いている三島さんの背中を見ながら軽い罪悪感を憶えていた。三島さんの背中を凝視するのも躊躇いを感じ、目線を上空に移した。
薄暗くなった空に幾つかの星が瞬いていた。ここは昔住んでいた場所と違い、星が良く見えた。
「そんなに空が珍しいのか?」
突然聞こえてきた優しい声にわたしは驚いた。視線を前方に向けると、そこには目を細めて笑っている三島さんの姿があった。
先ほどまでの彼とは全くの別人のようだった。
「ここはいっぱい空が見えるから。わたしの住んでいたところはこんなに空が見えなかった」
「あの辺りは街明かりがあるからな」
三島さんは目を細めた。わたしはそんな彼の笑顔を消したくなくて、ただ頷いていた。そして、三島さんと千恵子さんの笑顔が似ているという共通点に気付いた。
家に帰ると、おばあちゃんが玄関まで出迎えてくれた。彼女は心配そうな顔でわたしを覗き込む。
「学校は大丈夫だったかい?」
わたしはおばあちゃんの言葉に頷く。
「途中で千恵子さんに会って、千恵子さんの家に寄っていたから遅くなった」
おばあちゃんはああ、と頷く。
「それなら千恵子さんから電話があったよ。うちの息子に送らせますから安心してくださいって。それで将君は?」
「玄関前まで送ってくれると、そのまま何も言わずに立ち去りました」
三島さんは優しげな笑みを浮かべていたにも関わらず、わたしの家の前に来ると、じゃ、とだけ言い残し、そのまま帰ってしまったのだ。
彼の優しい笑みを見たからか、嫌な気持ちはほとんどなかった。
「そうかい。あの子は本当に優しい子だからね。ほのかもお上がり。ご飯出来ているよ」
わたしはおばあちゃんの言葉に頷くと、玄関で靴を脱いだ。




