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2.ささやかな期待(祐司)

 大半の女子生徒にとって浮き足だった一日は、男子生徒にとってもほとんど同様だった。

 期待と不安の入り交じった空気に水を差すような仕組みを作り上げるほどこの私立高校は厳格ではない。

 軽い足取りで教室に入ってくる悪友を祐司はうんざりと見据えた。

「よー、祐司ー」

「お前は幸せそうでいいな」

 彼女持ちはこれだから困ると苛立ち混じりに吐き捨てたら、自分の席でもないのに前の椅子を拝借した悪友がからかう笑みを見せる。

「馬鹿だよなー」

「何がだ」

 馬鹿にするというよりはやはりからかうような声色。

「気を緩めて彼女を遠ざけたお前が悪い」

 断じる言葉に祐司ははっきりと顔をしかめた。

「遠ざけてなんか、ない」

 口角を上げて悪友はどうだかと呆れ気味にもらした。

「どんなに周りにからかわれたって欠かさず一緒に登校してたくせに、体育祭以来一度もしてないってのが遠ざけていないって言わないんならなんて言うんだ?」

「あのなあ」

「俺はお前ほど頭よくないからいい言葉知らなくってなあ」

 鋭い指摘にますます祐司は渋面になる。人の痛いところをつきながらなおかつからかう口ぶりなのがどうにも気に入らない。

「俺を委員に引き込んだのはお前だろ」

「そういやそーだっけか」

「そうだっけかじゃないだろ」

「でもそれだけで距離は開かないだろーが。体育祭が五月終わりだろ? それから――ええと、六・七……五ヶ月……準備期間を含めたら七ヶ月くらいか」

 指折り数えた悪友はもう一年くらい経ってる気分だよなと軽く続ける。

「中学時代は公認の仲だったのになー」

「生憎と、ただの幼なじみでしかなかったがな」

 祐司が冷たく言い放つと悪友は大げさに肩をすくめた。

「同じ事を今度同窓会があったら言ってみるんだな。全員驚くと断言できるぞ」

「そりゃ、そう思えるくらい近くにいたからな。努力のたまものってヤツだ」

「――それをしれっと言えるお前が怖いよ」

 ぎろりと睨み付けると言い過ぎたことを自覚したらしい。悪友はさりげなく立ち上がると浮かれた足取りで登校してきた彼女の方に歩いていく。

 うらやましいことだと祐司はその様子を見送って、机にひじを突いた。




 世間様がいくらバレンタインなどと騒いでいたところで本当のところは興味はない。

 お菓子会社の陰謀に単純に乗れるほど素直な性格をしていないから、九割方そんなイベントなどどうでもいいとこれまでずっと思っていた。

 じゃあ残りの一割は何なのだと聞かれたら、お菓子会社の陰謀にそれなりに踊っている幼なじみが毎年何かくれていたこと。

 彼女はいつも自分の隣にいる、無くてはならない存在だった。

 生まれた頃から隣同士、小中高と一緒。毎日のように登下校をしたのはもう遠い昔。今ではろくに会話をすることもなく、一日に一度も会わないことさえある。

 彼女はまるで空気のように必要不可欠の存在で。隣に住んでいても親しく言葉を交わすことが無くなった今、呼吸困難に陥っている。

 悪友の言うことも一理ある――ありすぎる。それはわかっていた。ただ、最初はほんのちょっとした思いつきでしかなかったのだ。

 これまでの十数年を共に過ごしてきた彼と彼女だけど、その間には決定的な違いがある。それに気付いたのはそう遠くない過去の話。

 彼女にとっての自分が「お隣のゆーちゃん」でしかないのに対して、自分にとっての彼女はそうではない。

 そんなことに気付いてしまったから、そのことを確認するために少し距離を置いてみようと思い立ち――そして、彼女にとって自分がいてもいなくてもいいような存在だったと悟るに至ってしまったのだから。

 よりによって体育祭がある一学期に体育委員になって朝イチで会合だ何だとバタバタし始めたついでに距離を取り、結局クラスが違う彼女はすっかり遠い存在になってしまった。

 隣同士に住んでいても、タイミングがずれたらひとめたりとも見ることができない。それまで毎日顔を合わせていたのが、何かの陰謀だと思えるくらいに彼女と出会えなくなった事は予想外に堪えた。

 たまに見かける彼女は高校に入って知り合ったらしい友人と笑いあっていて、気軽に声をかけられないなどと思っているうちに時間が経ち、本当に声をかけにくくなってしまった。

 ほんのわずかな間に急激に綺麗になった彼女には近付きにくかったのだ。本当なら強引にでも近くにいて、他の誰も寄せ付けないように目を光らせたかったし、それこそが祐司がこれまで自らに課してきた役目だった。それなのにその自分が彼女に近づけなくなったら意味がない。

 何故あの時と後悔してももう遅い。時を置けば置くほどますますその間は広がって、最後に喋ったのは年明けすぐ、「あけましておめでとう」のみ。

 お互いに何でも喋っていた仲だというのにそれだけしか言えなくて、あとで激しく後悔した。

 それでもバレンタインに期待をしてしまうのは、毎年彼女がお菓子会社の陰謀に踊らされていると知っているからだ。




 料理作りが好きな彼女はお菓子作りも嫌いでないらしく、昔から頻繁に作っていた。

 祐司が甘い物を苦手にしているということは先刻承知しているだろうに、例年この日にだけはなにやら持ってきてくれる。

 父親に渡すのと同じ物を、ついでみたいに。

 それでも手作りのそれに特別な気持ちを感じてはいた。

 遠ざかってしまった彼女の現在は詳しくわからないけれどこれだけは言える。

 今年も間違いなく何か手作りをする。バレンタインと誕生日、そしてクリスマスには何かを作らずにいられないのが彼女だから。

 だとしたら今年も、もしかしたらあるかもしれない。

 すがるような思いで一日を過ごした。校内でのうわついた何かなんて期待すらせず、実際何も起こらなかった。

 蜘蛛の糸のような細い期待を胸にまっすぐ帰宅して制服を着替えると、他の何にも集中できずにテレビを見ながら時間をつぶす。

 つぶしたところでどうなるかわからないけれど。

 ニュースが終わるタイミングが祐司の家の夕食開始時間だ。テレビを消そうとリモコンを取り上げたときにチャイムが鳴ったので、祐司はどきりとした。

「少しは動きなさいよ」

 ぶつぶつ言いながらインターホンに近寄った母が受話器を上げる。

「はい……あら、お久しぶりねえ」

 少しばかり不機嫌だった母の声が一瞬で変化した。

「ええ――」

 くすりと笑って祐司を見ると、インターホンに微笑みかける。

「すぐ向かわせるわ。ちょっと待ってね」

 がちゃりと受話器を置いた母はにんまりと振り返ってきた。

「麻衣ちゃんよ」

「え……ほんとか?」

「嘘言ってどーすんの」

 ほら早く行きなさい。淡い期待が現実に近付いて半ば呆然としている祐司を母は促した。




 忍び足で玄関に向かったのは緊張のせいでもあり、そしてまた見栄のせいでもあった。

 慌てて向かったらあとで家族に笑われる。淡い期待をふくらませながらいそいそと玄関扉に手をかける。

 木製の引き戸では来客の様子を扉を開けずしてうかがえない。玄関の電気をつけてひとつ深呼吸をする。

 がらりと扉を開けると、久々に間近で見る幼なじみ。

「……よう」

 彼女は可愛らしい白いコートを身につけている。例年であれば部屋着を羽織ってくる彼女が――だ。一瞬、彼女がおめかししてわざわざ来てくれたのではないかと喜びかけたあとにすぐに気付いた。

 彼女が手に持っているのは、ラッピングも何もない例年通りの義理チョコだって事に。

 玄関の明かりが白地に黒い縁取りの皿に載ったケーキを目立たせる。つやつやに輝くチョコレートケーキ。

 ふわりとその上にラップがかけてあった。それを見て、期待は何一つできない。

「どうぞ?」

 落胆を隠しながら、何気なく彼女を中へを促して玄関を閉める。

 明るい中でもう一度彼女を確認すると、コートの下はトレーナーにジーンズ。白いコートも柔らかくふくらむ髪も、もちろん彼女自身だって可愛い。なのにどうひいき目に見たって普段着だ。

 期待を抱かせない完膚無きまでありのままの彼女。

「ごめんね、こんな時間に」

「いや」

 ふくらんだ期待は敢えなくしぼんでしまったけれど、最近ご無沙汰なのにわざわざ義理チョコを持ってきてくれただけいいじゃないかと祐司は自分を慰めた。

「これ、今日、バレンタインだから」

 そんな彼の内心にはきっと気付いていないのだろう。ひょいと何気なく彼女はケーキの乗った皿を突き出した。

「わざわざ、悪いな」

 微笑んで受け取ったつもりだけど、多少引きつっているかもしれない。ごまかすように祐司は受け取った皿を見下ろした。

「チョコケーキだな」

 見ればわかることを口にする。いつも通り祐司にだけでなく家族用に数切れ取り分けてあるようで、それがより義理なのだという事実を主張している。

「まあそんなもんかな。ザッハトルテ、っていうの? ビターチョコ使ったし、一応甘さは控えてあるから」

「そうか」

「うん。口に合わなかったらおばさんに食べてもらって」

 なんとなく彼女を見ることができなくて、間が持たなくてラップをぺらりとめくる。

「相変わらず、きれいに作るよなぁ」

「うまいもんでしょ?」

 うなずきながらとうとう再び彼女を見た。わざとらしく腰に両手を当てて胸を張っている。

「そんなに偉そうに言わなくても、充分存じ上げてるよ」

 祐司の言葉にうれしそうに彼女は笑って身を翻す。

「じゃ、お返し期待してるから」

 鮮やかな笑顔とケーキを残してためらいもなく去っていく後ろ姿を祐司は呆然と見送った。

 久々の気軽な会話に落ち着いた気持ちになったのは確かで、それは素直に喜べる。それでもなんとなく釈然としないものを手の中の義理の品に感じてしまうのを祐司は止めることができなかった。

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