「雨の交差点」
運転席から見る空には、ほんの少し前までの青空は見当たらず、突然の雨雲が一面に広がり、そこから真っ直ぐに大粒の雨が落ちてきていた。たくさんの車と人々でひしめくその交差点はふりそそぐその雨でうっすらと光の加減が柔らかに見えた。交差点の向かいには、大きな駅ビルがそびえ建ち、人々は降る雨を少しでもやりすごうそうとその中に足早に向かっていた。
アキオは絶え間なくフロントガラスを上がり下がりするワイパーを気にすることもなく、ラジオから流れて来る音楽に合わせてステアリングにかかる手の人差し指を揺らしていた。8月に入っての最初の土曜日。夏本番の気温の中に降る雨が僅かな涼しさを漂わせ、歩道を傘を持って駅へ向かう少女のミニスカートは、明るい日差しが本当は今日も主役であることを分からせていた。アキオはフロントガラスの端のくもりを見てエアコンのスイッチが入っていないことに気づき、左手を伸ばしてそのスイッチを押そうとした。その時、腰のシート付近から伝わる振動が、アキオを運転席のドアで隔てている空間に一台のオートバイが滑り込んできたことに気がつかせた。そのオートバイはアキオの車の鼻先と自分のフロントタイヤの先を並べて止まり、信号待ちで渋滞する車の隙間が、ライダーをこれ以上先に進ませることをあきらめさせた様に思えた。左手でバイザーを上げて彼女は首を横に振った。アキオは雫を通して見えるその仕草を綺麗だと思いながらまたフロントガラスごしに灰色の空を見上げた。
雨の中、ライディングジャケットにあたる雨音がヘルメットを被っていてもよく聞こえていた。京子はこれ以上車の脇をすり抜けて前へ進めない渋滞の中で、 横に並んで止まっている車の中がすこしだけ羨ましい気持ちを感じていた。すでに京子が来ているジャケット、グローブ、デニムのジーンズそしてブーツの中まで雨水が浸み込み、ジャケットの下のTシャツが肌に張り付くのが分かった。口からはいた息と雨でよく見えないバイザーをめいっぱい上に上げて空を見上げた。当分やみそうもない。この渋滞さえぬけられれば、アパートまでそう混雑しない、そう彼女は考えながら(朝の天気予報では突然の雨に注意と言っていたわね)と心の中でつぶやいた。それでも彼女はオートバイで雨の中に走り出したことは後悔していなかった。ぴったりと張り付いていた前の車の赤い光が消えてのろのろと進み始めた。京子は意識せずにギヤを降ろし、アクセルグリップをあおるとクラッチをつないでその車の後ろ左右どちらが広くてそして長くその状態を保ったままでいるか、自分の体全身で判断した。次の瞬間には左側の目に見えない自分専用のレーンにオートバイごと飛び込んでいた。
アキオは彼女の乗ったオートバイが自分の車の鼻先に飛び込んでくるまで、前方の渋滞の波が進みだしたのに気がつかなかった。右足をブレーキペダルからアクセルペダルに乗せ変えてまたアキオを乗せた車は進み始めた。ワイパーがフロントガラスの両端に雨水をよせているのがまるで、オートバイに乗った彼女をアキオの視界からフェードアウトさせる演出のように思えた。彼は渋滞の交差点をとおり過ぎながらかつてここは、オートバイ乗りの休息の場だったことを思い出した。今はモダンな外見に変わったかつての駅舎屋の前で晴れの日も雨の日もオートバイに乗った人たちがここで出会い、そしてそれぞれの進むほうへ別れを告げて向かって行った。アキオはわずかに残る自分の中にある記憶をそっと揺り起こし、もう二度と味わえない普通だったことを、さっきのオートバイに乗った彼女は知っているのだろうかと思った。それからしっかりと前を見据えて、アクセルペダルを踏み込む足に力を入れた。
雨は相変わらず交差点を通り過ぎる車や人々の上に白い線を残しながら降りそそいでいた。