概略説明という名のボツ原稿供養 野依崎編
時系列では、《魔法使い》の勧誘事情/南十星編Ⅱ 終了後です。
女性は困惑した。
大手民放ラジオ局に就職し六年、パーソナリティとして仕事に自覚とプライドを持てるようになり、現在請け負っている番組を盛り上げようと情熱を燃やしている。
今日はいつものスタジオを飛び出した出張収録だ。気合の入れ方も普段とは異なる。
「不在……」
「えぇ……事件が起こったらしくて、警察の要請を受けて『部活』中なんです。終わるのは深夜になりそうだというお話でして」
「それは部長さんからの手紙でわかったが……困ったことになった」
しかし交わされる会話に、暗雲が立ち込めていた。
目玉になるであろうゲストが、番組に出れなくなった。
もうすぐ五十路の声も聞こえてくる男性ディレクターは、最近目立つようになってきた顔の皺を深めて悩んでいる。彼の前には、応接セットのテーブルに手紙が広げられている。
文章そのものはプリントされているが、署名だけは手書きで、流麗な筆記体が書かれている。そこには緊急の事情により番組に参加できなくなった旨と、その謝罪が記されていた。
ここは兵庫県神戸市。東京から四〇〇キロほど移動している。朝からスタッフ数人で機材を持ち込んで移動したのに、この期に及んでのドタキャンだ。仕方のない事情なのは理解できるが、女性としても困る。
待つことはできない。次の仕事があるために、仮に無理を言って深夜に収録しても、帰れるのは明日になってしまう。
かといってお蔵入りにしてしまうには、惜しすぎる企画だ。ディレクターの苦悩も理解できる。
「まぁ、これが《魔法使い》さんの……というか、総合生活支援部の皆さんの宿命みたいなものですからね。授業中でも夜中でも食事中でもお風呂入ってても、呼び出される時は容赦ないらしいですし」
いま世間を騒がしている、神戸在住の学生《魔法使い》たち。神戸で起こった大事件を防いだヒーローたち。
この学校の理事長が広報となっているため、彼らの直接取材は、どこの報道関係者も成功していない。理事長が対応することすら、殺到する取材数の関係上、断られることもが多いというのに。
曲がりなりにも報道関係者であれば、その辺りの事情は知れ渡っている。彼女が働くラジオ局が取材を申し込んだのも、きっとダメ元だったのだろう。
しかし、叶ったのだ。それも直接、学生《魔法使い》に取材することが。
色々と条件があった。顔出しはNG。《魔法使い》への取材という形は致し方ないが、彼女たちが学生であることも忘れないで欲しいと。
そして条件を加味することで、若者向けに放送している、女性が担当する番組のゲストとなることになったのだ。
しかし企画は前述の通り、頓挫しかかっていた。
このままでは惜しい。社長自らパーソナリティである女性を激励したくらいなのだ。ラジオという現代ではどうしても地味になってしまった報道機関において、注目集めることが決定している企画なのだ。
どうにかすることはできないか、なんとかできる秘策はないか。
頭を悩ませ、そこでふと疑問を覚え、先ほどから応対している人物に問うた。
「ところで、あなたは……?」
「ほえ? わたしですか?」
腰まで伸ばした白金髪と、紫色の瞳が印象的な、見た目完璧外国人だ。学生服の上にカーディガンを着込んだ彼女は、キョトンとした目で考えて、質問の意図を理解したのだろう。ホンワカした笑顔で遅れての自己紹介をした。
「この部室の留守番みたいなものです。支援部の《魔法使い》さんじゃないですよ」
名前などは正式に公表されていないが、映像が出回っているので、総合生活支援部員は四人いると知られている。
大学生らしき、金髪碧眼の美女。
高校生である、ミディアムボブの少女。
中学生であろう、ショートヘアを横で結んだ少女。
そしてオートバイを駆る男子学生。
「《魔法使い》さんじゃないのかぁ……」
特徴は目の前の人物と合致しなかった上に、自己紹介で完全否定されて彼女は落胆した。
「まぁ、この部室に入り浸ってますけど、部員ではないですね」
そういって外国人留学生は、自分で淹れた紅茶をすする。
ディレクターとパーソナリティの前にも同じくティーカップが並んでいる。ガレージを改造した奇妙な部室――その隅のシステムキッチンで、勝手知ったる風情で淹れていたので、もしかしてと思ったが。しかし考えてみれば、会話は最初から彼女が部員ではないと示していた。
「……こうなれば、君が番組に出てくれないか?」
ディレクターが苦難の表情で、外国人留学生に提案した。
「ほえ? わたしがラジオに?」
「あぁ。普段の《魔法使い》がどういう生活を送っているか、他の人の目から見て話してもらう……それくらいしか代案がない」
「ん~。そういうのちょっと困るんですよね~。あんまり目立つなって言われてますし……」
誰から言われたか知らないが、乗り気ではないらしい。
ディレクターの判断通りだろう。それくらいしか企画の代案はない。折角神戸まで着たのに、普通の学生放送をしても仕方ないのだ。
しかし彼女が断れたとしたら、それも難しい。今は夏休みで学生も少なく、普段の《魔法使い》たちを知る人間を探すのも一苦労になる。
「しかも一応、そこにもう一人、支援部員さんいますよ?」
だが外国人留学生は、意外なことを言い出した。
いや、意外ではない。可能性を考えてなかったと言えば、嘘になる。
このガレージハウスには、ディレクターとパーソナリティ、そして外国人留学生に加え、もうひとりいる。
入り口近くの壁際に置かれたデスク、そこにあるパソコンをいじっている人物がいた。
「おーい、フォーさーん。出番ですよー」
「んぁ……? 自分の出番でありますか、これ……」
外国人留学生が呼びかけると、不機嫌そうな気配を発してわずかに振り返った。
小学生にしか見えない少女だった。
赤茶けた髪ははね放題もつれ放題で、枯れ草のようになっている。身の丈ある中年男性だったら似合うかもしれない額縁眼鏡は、小さな鼻では支えきれずに、軽くそばかすの浮いた目元にずり落ちている。洗濯で更に色あせたエビ茶色のジャージを着ているが、辛うじて見えている指の細さから、体は痩せ細っていることが伺える。
異質だった。ものすごく近寄りがたい雰囲気だった。外国人留学生と会話していても、彼女は無視してデイトレードしていたことを幸いに、意識の外に追いやっていたのだが、それもできなくなってしまった。
「フォーさんだって支援部員さんでしょう?」
外国人留学生が席を立ち、その少女の背後を取って、耳元に口を近づける。
「十路くんとナトセさんは逃亡中。木次さんと部長さんも緊急出動。だからフォーさんが片付けるしかないじゃないですか」
「自分、裏方であります。情報管理とハッキング担当。たまに《付与術士》の仕事も押し付けられるでありますが」
「ラジオで顔出しナシなんですから、裏方仕事みたいなものじゃないですか」
「表舞台に変わりないであります。自分がなぜ戸籍を複数持ってるか、理解してるでありますか?」
「その偽造戸籍を活用して、ラジオに出るためですよね?」
「……日本人の小学生五年生、野依崎雫の名前は使いたくないであります。学校ではこの名前でありますし、ラジオに出ればうるさそうでありますし」
「じゃ、他の……アギー・ローネインって戸籍がありましたよね?」
「イギリス在住の女性投資家。御年七八歳」
「なんでそんな戸籍作ったんですか……どう考えても偽造してませんよね?」
「諸々の事情であります」
「このあいだ、新しく戸籍作ったとか言ってませんでしたっけ?」
「あぁ、あれは使い捨てであります。調子に乗った三流ハッカーが自分のことを探っていたので、ダミーで用意したのでありますよ。それに食いついてる隙に身元付き止めて、ヤツの銀行口座を凍結させて、警察に通報して、ついでに宅配ピザ五〇人前注文しといたであります」
「ひど……いや、そんなことはおいといて、ラジオの話です。使えそうな偽造戸籍、ないんですか?」
「使えるとすれば、シンガポール人・和泉クリスティーナでありますかね……野依崎雫のダミーで、この学院に所属してるものの、休学中の学生であります」
「ちなみに歳は?」
「一九歳女子大生でありますよ」
「あーえーまー、かなり厳しいと思いますけど、なんとか誤魔化せる範囲ですかね……?」
当人たちの会話が相成ったか、外国人留学生は椅子ごと動かし、明るく手で指し示して、改めてその少女を紹介した。
「はい! ということで、総合生活支援部部員・和泉クリスティーナさん、ピチピチの女子大生一九歳でーす!」
「いやいやいや! ちょっと待って! それで誤魔化される方が無理! 聞こえちゃいけない会話がすごく聞こえてきたけど!?」
女性は叫ぶ。当人たちは声を落としていたつもりかもしれないが、聞こえる音量だった。
「よし! それでなんとかなる!」
しかしディレクターは立ち上がり、拳を握り締めて雄々しく叫ぶ。
「ディレクター!?」
「私はなにも聞いていない! 聞いていないぞ、うん! その子が例の部員であり、女子大生であること以外は!」
そういえば途中から耳を塞いでたなこのオッサン、危機回避能力バツグンだな、などと変な感心し、それ以上の反論は止めておく。
他に策はないのだ。しかも現状考えうる最良の策だ。一応は目的である《魔法使い》を番組のゲストにできるのだから。
ただ。
「…………」
「…………?」
女性は確信した。偽名を堂々と名乗る少女と目を合わせて確信した。ぼへ~っと焦点の合っていない眠そうな目を見て確信した。
この少女をゲストにしたら、番組を成立させられない。しゃべり慣れた著名人や芸能人ではなく、完全な素人を相手にすればどうしても困るが、そういうレベルを超えている。いや語りを職業とするどんな一流であっても、この少女を相手にすればきっと不可能だと。マイクを向けてもしゃべれない内気な子供がいるが、目の前の少女にはそういう内気さはない。しゃべる気がない相手に話を振って会話を成立させられる自信がない。
「じゃ、部外者はこの辺で」
「待って! お願いだから待って! どうしていいかわかんない!」
外国人留学生は後のことを少女に任せ、部室から消えようとしたが、女性は慌てて叫んだ。
△▼△▼△▼△▼
長袖Tシャツにオーバーオール、頭にはキャスケット帽を載せている。縁石に座る妹が、スマートフォンをいじりながら問う。
「茨城に行くの、明日にすんの?」
着ているのはタンクトップにライダースジャケット、色あせたジーンズをはいている。カップのアイスコーヒーを片手に、大型オートバイに体重を預ける兄が返す。
「今日はこの辺りで宿を探して、つくばに入るのは……明日の昼前くらいか?」
この世界には、《魔法使い》と呼ばれる特殊能力者がいる。そして二一世紀の現代において、彼らは国家に管理されるべき兵器として扱われる。
二人もまた《魔法使い》であるが、その中でも特殊な経歴により、国家の管理から外れた生活を行っている。
同じ姓だけでなく、《魔法使い》という同じ境遇を持つ、堤十路と堤南十星の兄妹は、それ故につい先日、神戸市内で戦闘を行うことになった。
とても隠せることではなかったため、神戸市南側を広く巻き込んだ、史上初の《魔法》テロとして認識される規模になってしまった。
その後始末の間、戦闘を行った彼らが注目されるのは非常に危険なため、ほとぼりを冷ます期間を置くために、目的地のない国内旅行に出かけている。
今はその最中、岐阜県内にある、夜でも明るい国道のコンビニで休憩を取っていた。
【遅いです。今夜中に茨城入りしましょう】
大型オートバイが不機嫌な女性の声で、予定を否定する。
先の戦闘で《バーゲスト》は破損し、応急修理しかしていない。電動オートバイとして走るには問題ないが、特殊作戦用軽装輪装甲戦闘車両《使い魔》としては大いに問題ある機体状態に、搭載された人工知能イクセスは不満らしい。付き合わされているこの旅の最中も、彼女の機嫌はいいとは言えず、尖った声を出される。
【ここまで来たのなら、一気につくばまで行ってもいいでしょう?】
「明日の予定は昼からだから、夜に無理して行っても仕方ないだろ」
【やっぱりトージはわかってない人ですねぇ……要修理状態で酷使されてる気持ちがわかりますか?】
「人間にわかるはずないだろ……」
目的地のないはずだった彼らの旅で、茨城県つくば市に行くことになったのは、主に《バーゲスト》のためだった。
つくば市は首都機能の一部移転から開発が始まった、世界でも屈指の学術研究都市であり、多数の研究機関がここに存在し、民間と省庁の枠を超えて連携した科学技術研究が行われている。《魔法》をはじめとする超最先端科学技術研究の中心は、《マナ》の源である《塔》に程近い神戸市に移行しつつあるが、首都圏のアクセスを考えると、つくば市の重要性はやはり大きい。
そして当然、つくば市にある研究機関では、《魔法》に関わる研究も行われている。
だから、彼らが所属する超法規的準軍事組織・総合生活支援部の責任者・長久手つばめは行動したのだろう。《使い魔》と《魔法使いの杖》の修理や補給を、神戸の外で行うことになり、連絡を受けた十路たちは茨城県に向けて進路を取っていた。
ようやく完全な状態に戻るのだから、イクセスが逸るのも無理もない。しかし十路としては、深夜に到着して休める場所に困るのも避けたい。
「ねーねー。兄貴ー。ラジオでみんなが出るんだってさ」
そんな機械と人間の言い争いを、南十星が全く関係のない話題を振って止めた。
「みんな?」
「ブカツのみんな。なんかラジオ収録、ウチのガッコーでやったんだってさ」
南十星は画面を兄に見せる。そこには無料コミュニティアプリのタイムラインに、友人たちとのやり取りが乗せられ、夜の時間に放送されている、中高生向けのラジオ番組が話題になっていた。テレビだけでなくネット動画など、暇つぶしにありとあらゆる娯楽が無料で楽しめる時代だが、いまだラジオを聞く者も多いらしい。
「広報活動も楽じゃないわけか……」
彼らが旅路にあるのは、《魔法使い》という特殊な生まれにより、神戸で大規模な戦闘を行ったからだ。その際、仕方なくではあるが、十路たちはある方策をめぐらせて、彼らが街を守った英雄扱いされるように仕向けた。
《魔法使い》は人智を超えた能力を発揮する、恐るべき人間兵器と見なされる。だから彼らが普通の学生生活を送るためには、このようにするしかなかったわけだが。
あまり望まない注目を集めたため、十路と南十星以外の関係者は、対応に奔走しているらしい。
「でも、誰が出るんだ?」
マスコミだけでなく、基本的に学校外の対応は、部の顧問兼学院理事長が行っている。この旅の最中も度々、彼女が出ている映像を、ラーメン屋やカプセルホテルのロビーなどで見た。
だが学生向けのライトなラジオ番組に、社会人がゲストとして出演というのも奇妙な気がするため、十路は確認するつもりで確認を取る。
「イクセス。AM波もFM波も拾えるよな?」
【拾えますけど、私をラジオにする気ですか……】
文句を言いつつも、オートバイに偽装された最新鋭軍事用ロボット・ビークルは、電波を受信しスピーカーから音を流した。
ちなみにラジオの音がオートバイから流れていも、ポータブルラジオでボリュームを上げたとでも思うだろうから、コンビニ前で《使い魔》の正体を知らない者が見ていても気には留めない。
『――今夜は出張収録! 神戸市にある修交館学院放送室をジャックしましたー!』
ちょうど番組が始まったところらしい。若い女性パーソナリティが、軽快な音楽と共にテンション高めに切り出した。
『《魔法》研究都市・神戸にある国際色豊かなこの学校、留学生を広く受け入れて学風もユニーク! そして珍しい部活動があることで近隣でも有名! いや、ちょっと前の、きっと皆ご存知あの事件で全国的、いや世界的に有名! あのウワサの《魔法使い》たちが部活動しているあの学校だ! そんなこんなで今日は、ここの学生さんにゲスト出演してもらいました!』
その紹介に応じたのは、兄妹が意外に思うソプラノボイスだった。
『はーい! 修交館学院高等部三年生! ロシア人、ナージャ・クニッペルでーす!』
十路のクラスメイトであり、日頃よく総合生活支援部の部室へ遊びに来ているため、南十星とも親しい外国人留学生が出演していた。
『おぉー! 白金髪なんて初めて見たよー! ラジオ聞いてくれてる皆には伝わらないと思うけど、ほんと綺麗な髪の外国人さんなんだよー?』
『染色でも脱色でもありませんよー?』
『そんなこと思ってないよー。あと、最初会った時、『言葉通じるの?』って思ったけど、そんな心配なさそうだし』
『師匠が日本通でしてねー。ロシア語よりもしゃべれるんじゃないかってくらいに日本語が得意になりました!』
『師匠って、なんの師匠?』
『通信空手です!』
『通信空手の師匠から日本語勉強するって、無理があるでしょー!?』
そんな会話に、南十星と十路は感想を言い合う。
「ナージャ姉のトークは、やっぱこんな感じか」
「いつも通りで、安心して聞いていられるな」
「だけど支援部のことで、なんでナージャ姉が出てんの?」
「さぁ?」
ナージャは総合生活支援部員ではなく、料理研究部員であり、完全な部外者だ。兄妹は当然そこを疑問視する。
「前にもナージャが部活に首突っ込んできたこと、あるからな……」
今回もそんな理由だろうかと十路が考えていると、ナージャ当人が少しテンションを落として、その説明を行う。
『ラジオを聴いてくださってる人は、期待されてる方がほとんどだと思いますけど、実はわたし、《魔法使い》さんではありませんし、ウワサの部員さんでもないのです。本当だったら部員さんがゲストで出る予定だったんですけど……』
『やっぱり忙しいの? ウチの番組も便乗して、神戸に来たんだけど』
『はい。ギリギリまで調整してたんですけど、結局この収録にも時間が取れなくて、仕方なく部員さんたちとも仲がよくて、部のことにも詳しいわたしが急遽出演することになりました』
『ナージャちゃんを邪険にするわけじゃないけど、ちょっと残念かなー? ウワサの《魔法使い》さんから直接話が聞けると思って、楽しみにしてたから』
前もって作られた段取りに沿っているだけだろうが、パーソナリティとナージャは阿吽の呼吸で話を進行している。プロであるパーソナリティのトークもあるだろうが、素人くささを感じないナージャのしゃべりも貢献しているだろう。
制作サイドとしては期待はずれだろうが、これならメインゲストの部員がいなくても、番組を成立させられるかと思ったところに、ナージャが奇妙なことを言い出した。
『ふっふっふー。そうおっしゃると思って、ちゃんと部員さんを連れてきましたよー!』
『あれ? おかしくない? 部員さんたち、忙しくて出れないんだよね?』
『そうなんですけど、あんまり表に出てこない部員さんがいるんです。なのに今日はものすごーく特別に出演してくれちゃいました!』
『おぉー! 期待しちゃうねー!』
『では、ちっちゃくてかわいー部員さんの登場でーす』
「……ん?」
収録から時間差があるナージャの言葉に、十路は疑問で眉を寄せる。
『部員』と言われて連想したのが、平均身長の女子高生と、やや背が高めの外国人女子大生であったため、『小さくて可愛い』などと表現される関係者が、とっさに思い浮かばなかった。
「和泉クリスティーナって子が出るって話なんだけど……兄貴、知ってる?」
スマートフォンを振りながら南十星が問う。名前を聞いても、十路は思い出せなかったが。
【フォーの偽名ですよ……】
呆れたようなイクセスの補足説明で思い出した。
いつも偽ブランドのやぼったいジャージを着て、赤茶けたボサボサ髪が額縁眼鏡越しの視界を侵食している、身なりに全く気を遣っていない野良猫のような小学生の半幽霊部員。野依崎雫、アギー・ローネイン、和泉クリスティーナと、主に三つの偽名を使用して、しかもなぜか一部の者からは理由不明に『フォー』と呼ばれている、怪しさ満載の謎少女でもある。
必要な時には協力してくれるが、半ヒキコモリ生活をして、あまり部室にも顔を出さない。しかも労働基準法的にはアバウトな部分で、日中に音声収録した声とはいえ、小学生が深夜放送に出るとは思わず、ゲストになりうる人物から除外して考えていた。
もっとも戸籍を偽造する彼女なら、年齢詐称も不思議ないため、そこは考えても意味がないかもしれないが。
「え? まさか、フォーちんがトークすんの?」
「本気か……?」
常に眠そうな無気力顔を浮かべ、部室に来てもほぼ無言でデイトレードをして帰り、口を開けば悪気のない毒舌を発揮し、頼みごとをすれば『面倒であります』と返す。そんな対人コミュニケーション能力皆無な小学生が、表舞台に出ること自体が兄妹には驚きだった。
「俺が言えた義理じゃないけど、野依崎をラジオなんかに出させるのは、明らかな人選ミスだろ……」
どういう経緯でそうなったか知らないが、どんな番組になってるのか恐ろしい気持ちを抱きながら、十路は紙コップを傾けつつ、耳も傾けていると。
『きゃっるる~~~~んっ♪ 和泉クリスティーナでぇ~~~~すっ!』
「ぶふううぅぅっ!?」
想像の斜め上どころか上空を通過するまさかの無気力さ完全消去、しかも頭の天辺から突き抜けるロリ系アニメ声に噴き出した。
「ぐぇほぉ! ぶほっ! コ、コーヒーが、鼻から……! げほっ……!」
十路が体を折り曲げて咽ている間もトークは続く。
なにも知らない大きなお友達からの反応はバッチリかもしれないが、普段を知っていれば『アタマ大丈夫?』などと本気で心配したくなる野依崎は、ハイテンションに黄色い怪音波をたれ流して、なぜかアイドル風しかも長ったらしく改めて堂々と偽名で自己紹介する。
『きゃはっ☆ わたしに惚れたらなんでもできる。空を自由に飛びたいな? それくらいなら余裕ヨユー。お願い叶える回数増やせないけど、億万長者は夢じゃないかも? でもやっぱり愛するよりも愛されたい。謎の妖精・和泉クリスティーナで~~~~すっ☆ 今日は突然ラジオ出演なんてことになっちゃって、ちょっと困っちゃった☆ でもこうしてみんなの前でしゃべることになったんだから、クリス、がーんばーるぞー☆』
『…………』
きっと打ち合わせ時とは違ったのだろう。そしてディレクターは判断に迷った挙句、そのままの声をお届けすることにしたのだろう。
パーソナリティは明らかに、野依崎のテンションにドン退きしていた。編集に困るほどに。
『ね。なーたんもっ』
『もしかして『なーたん』って、わたしのことです……?』
『ナージャだからぁ、なーたん☆ だめぇ?』
『…………』
ナージャまで野依崎のテンションにドン退きしていた。顔見知りとはいえ、いやだからこそ、無愛想な少女が完全に別人と化しているために。
『…………はい! ナーたん頑張っちゃいますよー!』
『……あ、あはは……お二人とも、詳しいお話は後で聞かせてね。それではオープニングリクエストを紹介しましょう。ラジオネーム――』
しかしナージャは葛藤の末のヤケクソで、パーソナリティはプロ根性で持ち直した。それでも心を整理する時間が必要だったのかもしれない。普通ならオープニングトークはもっと長い気もするが、視聴者からリクエストされた曲が流れ、番組が一端途切れる。ポップな音楽の裏で『妖精って……』『その設定で番組を続ける気……?』『正直キツいんですけど……』などという会話が聞こえた気もするが、きっと放送事故ではなく、視聴者が脳内で作り上げた幻聴だろう。
「今の誰だぁぁぁぁっ!?」
黙っていた、というより硬直していた南十星が再起動し、遅れて絶叫する。
「気持ちはわかる。叫びたくなる気持ちはすごくわかる……」
十路も鼻をすすりながら同意する。
「さっきの本当にフォーちん? 違う人じゃない?」
「それも考えにくいだろ……? 他の人間が代理で出るなら、詐称する必要ないわけだし」
「だったらいつも眠そーな顔してるフォーちんが、どんな顔してあの声出すのか見てみたい」
「……野依崎が笑いながら今の声出してたら、なんかヤだな」
「ムヒョージョーであのベシャリしてたら、それもヤだよ?」
一応同じ部活に参加していながら、ただでさえ正体不明なのに、野依崎雫と偽名を名乗る少女への謎が、堤兄妹の中で大きくなった。