概略説明という名のボツ原稿供養 南十星編
不思議な少女だと、少年は感じた。
初めて会ったのは夏休みもほど近い、七月に入ったばかりの教室だった。
かなり小柄だった。中学生ならばまだ不思議ないかもしれないが、小学生高学年の列に並んでも、真ん中くらいの位置になるだろう。
不思議な顔立ちをしていた。整っているのは確かだが、可愛いとも綺麗とも言いがたい。肩にギリギリ触れない栗色の髪がもっと短ければ、少年としても通用する中性的な顔だった。
転入初日にも関わらず、改造がなされた学生服を着ていた。セーラー服やブレザーならともかく、そもそもジャンパースカートの改造などあまり聞かないが、丈の長いスカートは足の付け根近くまで大胆にスリットが入っている。服の生地そのものも他の女子生徒が着ているものと比べ、妙に重そうな質感だった。
「ということで堤南十星一四歳! 変な時期に転入してきたぜぃ! よろしく!」
お世辞にも綺麗とは言えないが、快活さに溢れた大きな字で黒板に名前を書き、振り返った彼女は教壇に手を突いて自己紹介した。
「趣味は映画鑑賞とトレーニング! 特技は三段蹴り! 身長一四八センチ! 体重は秘密! スリーサイズは今後に期待! さぁ転入生好例の質問はあるかね!?」
が、誰も反応しなかった。
「…………あり?」
ぽかーんとした教室の空気に、まくし立てた少女がクリンと首を傾げると、幼い印象を強くする栗色のサイドテールが揺れた。
五秒ほど待っても空気に宿り続けた沈黙に、少女はこめかみをポリポリかき、振り向いた。
「センセー。やっぱ一発芸とか披露しないとダメ?」
「別にしなきゃいけない決まりはないけど……なにをする気?」
「ハラ踊りとか?」
「やめなさい……」
少女を教室に連れてきた担任教師(女・三二歳・あまり実家に帰りたくない未婚英語担当)は呆れ顔でいい、転入生に場を譲っていた教壇前に立つ。
「えー、堤南十星さんは……ちょっと特殊な事情で転入されました」
「こー見えて《魔法使い》でーす。多分有名だと思う、例の部活に入るために転入しましたー」
説明を濁した雰囲気があるが、少女本人があっけらかんと暴露する。
それで教室はざわつき始めた。
《魔法使い》――世界的には人間兵器として扱われ、フィクションのような行為を可能とする超人類。《魔法》の研究都市・神戸に建つ修交館学院は少々特殊であるため、その認識は若干薄いが、それでもざわめきには畏怖の響きがある。
だが少女は気にした様子もなく、ニコニコと眺めている。
そして、半ば無意識に少年が抱いていた心配など、全くの無用だった。
「にはははっ」
すぐにクラスの女子数名と仲良くなり、放課後にはヒマワリのような笑顔を浮かべていた。
△▼△▼△▼△▼
少女を不思議と思ったのは、最初の会遭だけではない。ある日の放課後、偶然にも第二体育館で少女の姿を見た。
開けっ放しだった入り口から中を覗くと、普段は体操部が練習しているはずだが、その時はなぜか人の輪ができて騒然としていた。
「ここ痛い? ここは?」
高等部と思われる男子学生が床で寝かされ、その側に少女がしゃがみ込み、スマートフォンを肩で支えて診察していた。
「うん……うん……床体操で大技を試して、着地に失敗した……いんや、意識はハッキリしてるから、頭は大丈夫だと思う。多分ネンザだと思うけど……うん。骨折してると思って診察した方がいいのはドーカン。《魔法》で治すかはともかく、ちょっちじゅりちゃん来てくんない?」
電話向こうの誰かと話は相成ったか、少女はスマートフォンをスカートのポケットに戻す。
どうやら練習中に事故が起き、少女が対応していたらしい。
その場に年嵩と思える者がおらず、誰もがうろたえた様子で人垣を作っている。それが普通の反応だろう。応急処置のやり方を知っていても、実際に怪我人を前にすれば、多くの者は体が動かない。
「《魔法》で治さないのか……?」
「いま《治癒術士》が来るけど、治療の間、練習休む程度のケガだから、多分《魔法》使わないだろうね」
誰かが言った言葉に、少女は診察しながら振り向きもせず返す。
「冷たいって思うだろうけど、それがこの人のためだよ。あたしが見たところ、安全対策をおろそかにして、自分の実力以上の技を試して失敗した。なのに《魔法》でアッサリ治したら、反省せずにまた同じこと繰り返して、いつか壊れるよ」
事故の瞬間を見ていたらしく、真剣味と冷静さの乗った口調と横顔で、彼女は言う。
事実以上のことは言ってないし、間違いを言っていると欠片も思ってもいない風情だった。
第一印象とは真逆に近い冷淡さに、少年もその時には小さく驚き、なぜか落胆した。
しかし落ちついて考えれば、本当に冷たければ、痛みにあえぐ学生を無視して去るだろう。それに彼のためを思うからこそ、あえて過度な治療は行わないと彼女は言っている。
少女の考え方は随分と大人びており、別の一面を持ち合わせていた。
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またある時は、やはり放課後に中庭の芝生スペースを使って行われていた、プロレス研究会の練習風景に少女の姿があった。
大学生と思われる、発達した筋肉をTシャツに収めた男を前に、学生服姿のまま拳を握り締め構えていた。相手は男から見てもかなり大柄なため、完全に大人と子供の構図だった。
なのに少女は臆する様子もなく、普段はクリクリとした瞳を細めている。過度には力を入れていない自然なファイティングポーズは、ネコ科の猛獣を思わせる。
少年は格闘技など無縁であるため、少女の技量はわからない。しかし彼女が放つ気迫の質が、一般人とは異なるのは充分には伝わった。
「行くよ」
低くなっているが、恐怖も緊張もない声で呟き、少女は踏み込んだ。
直後、男の体は地面に敷かれたマットに倒れた。
なにが起こったか、周囲は理解していない体だった。離れて見ていた少年にも、少女が飛びかかったのはわかったが、それ以上は理解できなかった。
「力だけで耐えようとすっから、こーなんだってば。あたしの体重なんてセンパイの半分くらいだろうけど、一回重心崩されれば、それでも支えきれやしないんだって」
男の左腕を全身で抱いて固定する、腕ひしぎ十字固めの姿勢で少女は説明した。
「センパイの力でまともに組まれたら、小娘がどうにかできるワケないんだからさ、まずガッチリ掴んで逃げられないようにしなきゃ」
「あのなぁ、腕相撲でも負けたんだぞ……自信なくすぞ?」
「同じことだって。一瞬で力かければ、センパイみたいにムキムキの男にでも勝てちゃうんだってば」
関節技を解いて立ち上がり、少女は付け加える。自分に自信は持っているが、過度のプライドは持っていない、何気ない口調だった。
「あたしだって修練中の身だし、なんでもありの外道使いだから、プロレス一筋のセンパイにあんまエラそーなこと言えないけどさ」
そして微笑を男に向ける。殺伐とした戦士から、少年が見知った天真爛漫な少女への帰還だった。
話の内容から察するに、どうやら彼女はこのようなことをしているのは、その日が初めてではないらしい。そして男の側も、女だから、年下だからと風を吹かせることのない、素直な人物らしい。
「もう一本!」
「おっしゃぁ! こっちこそよろしく!」
二人は、実に楽しそうに技の応酬をし始めた。
少女のその姿に、先ほどのような冷たさはなく、活力に溢れていた。
△▼△▼△▼△▼
またある日の放課後には、演劇部が使っている教室から、彼女の声が聞こえた。
覗いてみると、なぜか少女一人が黒板前に立ち、あまり視線を落としていない台本を手にしていた。
「もう嫌なの! ここに居たくないわ! あの人と一緒にいると、私を蝕んでいくの!」
セリフ合わせの体だが、少女の口から飛び出すヒステリックな叫びは、不安と不満が爆発した狂気が込められていた。
「お嬢様……そんなこと申されても、ここから出て行くなんで無理ですよ……旦那様が申されていたでしょう?」
しかし次には、気弱な従者といった『少年』に変わった。役を知らなければ『少女』と認識してもいいはずなのに、なぜか声と顔の演技だけで『少年』だと明確に認識できた。
「ふふふっ……しょうがないわね。あんまりワガママばかり言うようじゃ、お父様に言いつけるわよ」
更に続いて雰囲気が、成熟しかけた年嵩の少女へと変わる。人当たりのいい柔らかさを発揮しながらも、内に秘めた黒い感情を放っている。
「こんなカンジ?」
そして少女が平素の女子中学生に戻ると、『おぉー』と感嘆の声が上がり、拍手が響いた。
「いちおー依頼だからやりやすけど、あたし本職の女優じゃないから、演技の見本なんてなりゃしないっすよ?」
「ヒロイン役で映画に出演てるのに?」
「そりゃグーゼン。親戚が撮影コーディネータやってっから、業界の知り合いがいるからって、なぜかオーディションに出ることになって、バッテキされちっただけ。あたしみたいなハンパが口出ししちゃ、その筋で頑張ってる本職にシツレーっしょ」
演劇部の部長らしき女子学生に、少女は奇妙な丁寧語未満を返し、オーバーリアクションに肩を竦めてみせる。
映画出演などという言葉に驚き、少年は後ほど調べてみたが、出演作はわからなかった。サーチエンジンに入力したのは、少女の日本人としての名前だったために。
ただし出演が嘘とは思わなかった。少女の演技は、本物としか思えなかったから。
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きっと誰もが彼女のことを、天真爛漫な少女だと評するだろう。
しかし他の面を見てしまった少年は、その一言だけでは言い表せない。
春のような。夏のような。秋のような。冬のような。
場面場面で顔を変え、印象を定めることができない。
いつしか少年は、少女に惹かれた。
教室では気づけば、少女の姿を目で追うようになった。
家ではボンヤリと、少女の笑顔を思い出すようになった。
そんな行動を行う動機が、『恋心』と呼ばれるものだと自覚するのは、少し経ってからだった。
だがある日、休憩時間のガールズトークを漏れ聞いてしまい、少年の心は小波が立った。
「とりあえず、兄貴より弱い男はダメかなー? あたしが欲しけりゃ兄貴をぶっ倒せってカンジ?」
他愛ない会話だろう。女子生徒数名で好みの異性を語り、その中で少女も発言しただけだけの、中学校でよくある風景のはずだった。
「なっちーのお兄さんって……どんな人?」
「あり? あんま有名じゃないのか。兄貴も《魔法使い》で、例の部活に入ってんだけど」
「ゴメン。知らない」
「バイク乗り回してるの、ってったらおワカリ?」
「あーあーあー……見たことあるけど、ヘルメット被ってるから、どんな人かは知らない」
「カッコいーか悪いかってったら……まぁ、フツー? ブサイクじゃないけど、アイドル顔ってわけでもないし。ヤンキーじゃないけど、目つきあんま良くないし、ダルそーな態度だし、メンドそーな言い草だけど」
「ワイルド系?」
「ワイルドと言えばワイルドかね。オレ様キャラじゃないけど、頼りがいはバツグン。無人島に漂着するのに、なにかひとつ持っていけるなら、あたしゃ迷わず兄貴を選ぶよ」
そんな女子生徒たちとの会話を聞いた時にはまだ、少年の心に然したる感情は生まれなかった。耳に入る少女の言葉は、兄に対する信頼と敬愛としか思わなかった。
だから聞き流していたのだが、少女の続く言葉には、聞き耳を立てずにはいられなかった。
「ぶっちゃけ、惚れてる」
腕を組み、膨らんでいない胸を張ったカミングアウトに、場が静まりかえった。少女の口調はごく普通のものだったが、茶化すことなどできない真面目さがあった。
女子生徒の誰かが『こいつヤバい……』と呟いた。
少年も思った。言葉にすれば正しくないのかもしれないが、少女はブラコンではないのだ。都合よく美化する恋心に似た盲目的な感情は、持っていない。
少女は愛しているのだ。兄を家族ではなく、異性として。
その一言で、焦燥と落胆に似た感情が生まれた。
そして少年が、少女の兄という人物に興味を持った。
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「お前が堤十路か!」
「……は?」
放課後、学生鞄を肩に乗せて部室に向かう最中、十路は呼び止められた。
何年生からわからないが、高校生だろう。カラフルなタンクトップに、ピッチリしたロングパンツを着ている男がいた。さして背は高くなく細身ではあるが、肩や腕に筋肉のラインが浮き出た、独特の体形だ。
ユニフォームを見る限り、器械体操部に所属していると思われる学生だった。それも一人ではなく複数いる。
「……そうだけど?」
怪訝に思いながらも返事をすると、体操集団は兵士もビックリな綺麗な整列をし。
「「ナトセちゃんを体操部に下さい!」」
一斉に頭を下げた。
「……………は?」
話が飛躍しすぎて理解不能と顔をしかめると、最初に話しかけてきた体操部員が、代表して説明する。
「最初からすごいと思ったんだ……急に体育館にやって来て、練習に混じってコバチとかツカハラを決めるし」
十路にはよく理解できなかったが、南十星が体操部の練習に乱入して、難易度の高い技を披露したことだけは伝わった。
七月に兄を追うようにこの学校に転入してくるまで、離れて暮らしていた。そして同じ敷地内にあるとはいえ、中等部校舎と高等部校舎では、ほとんど行き交いはない。更には十路の性格によるところも大きい。
だから兄妹であっても、南十星の生活はあまり知らない。
一応は『兄貴』をしようと思ってはいるが、彼女を管理しようとは思っておらず、そもそも管理できると思ってもいない。目に余る時以外は、信頼という名の放任をしている。
(アイツはなにやってんだ……)
だから知らされても、呆れただけだった。あの突拍子もないことをしたがるハイテンションな愚妹であれば、なにをやっていても不思議はないと。
「初めて見た時には、妖精かと思った……」
「妖精……」
どこか恍惚した体操部員の感想には、普段の南十星を知ってるだけに、十路の目が自然と泳いだ。
『魔法使い』は民俗学や神秘学が切っても切れない関係があるためか、《魔法使い》たちが集まる支援部の部室には、そういった本も棚に置かれている。
そこに書かれている正確な意味での『妖精』は、羽を持つ小人のことだけではない。『妖怪』『怪異』のような広い意味を持つ言葉だ。
だから十路は想像してしまった。狡猾な小鬼的な妖精を。もちろん体操部員との齟齬を理解した上で。あと付け加えると、成長が見られない妹の幼児体型も連想したが、それはともかく。
「転入前はアクション俳優の養成所に所属してて、実際仕事もしてたらしいから、器械体操とか床運動はかなりできるだろうけど」
不要とは思いつつも、一応は説明しておく。
当人の説明の鵜呑みだが、十路から見ても、彼女の動きはなんらかの訓練を受けたものだから、きっと事実だろう。
体操部が欲しがる人材であろうというのは、理解できる。
「でも、なんで俺に話を持ってくる? 入部する・しないは当人の問題だろ?」
しかし疑問は抱きたくなる。それも根本の、些細ではない大きさで。
一応は『兄貴』であるため、面倒を見なければならない意識を持っており、南十星を叱る時もある。
だが、彼女を管理しようとは思っていないし、そもそも管理できるとも思っていない。だから基本的には信頼と意思の尊重という放任をしている。
しかも。
「修交館学院の体操部って、女子いたか?」
たまに誤解があるが、新体操のことではない。器械体操にもちゃんと女子の部がある。
そして女子部員の勧誘なのに、今この場に男子部員しかいないことを考えると。
「こうなればマネージャーでも……」
「いや、それは勿体なくね?」
「チア部とか」
「何のために頼もうとしているかわかってない!」
体操部員たちが輪を作って相談し始めたことで、推測通りだとわかった。
なので十路は置き去りにして、部室に行くことにした。
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が。すぐにまた行く手を塞がれた。
「お前が堤十路か!」
今度はTシャツ・ジャージの、雰囲気からしてきっと大学部の学生であろう男が立ち塞がっていた。先ほどの体操部員たちもいい体格していたが、発達した肩や首周りの筋肉はその上を行く。
「……そうですけど?」
十路に用事あって呼び止めたのだろうが、どうやら十路当人を知らないらしい。さっきと同じ展開に既視感を覚えながら、やる気なさげに首筋を撫でながら返す。
するとなぜか男は、言いにくそうに口をモゴモゴ動かす。
だが、意を決したように大きく息を吸い。
「うおおおおおぉぉぉぉぉっっ!!」
身を低くし、タックルを仕掛けてきた。
それに十路の体がほぼ条件反射で動き、肩に乗せていた学生鞄を落とした。
相手の脇に下から手を入れ、完全に抱きつかれるのを阻止する。そのまま中途半端な衝撃を受け止めたと同時に、左腕を引き上げ首に回す。
「ぐっ……!?」
右腕も使って立ったままフロントスリーパーを極め、引っ張り上げて捻るように左脇で首を絞める。単純な腕力では相手の方に分があるだろうが、『実戦』経験は十路の方が絶対に上だ。抜け出そうと暴れるのを表情も変えずに受け止め、より強く首を絞める。
「まだやる気なら、このまま落とすぞ?」
「うぐぐ……!」
このままだと言葉通りになると、相手は理解したらしい。抜け出そうと入れていた力を抜き、腿を二度タップしたので十路は手放した。
相手が気まずそうに頭を振るのを気にもせず、十路は鞄を拾い上げながら問う。
「で、いきなり何事だ?」
どうやら様子からして、十路個人に恨みがあり、襲い掛かってきたわけではないらしい。
しかしその理由を、やはり男はなかなか語ろうとしない。不精ではなく、整えて薄く髭を伸ばした厳つい男が、なぜか頬を赤らめている。
やがて、放置して部室に行こうかと十路が考えたところで、重い口が開かれた。
「南十星ちゃんが欲しかった……」
十路は思った。
(ロリコン?)
大学生男子が中学生女子に好意を向けるのは、果たして許されるのだろうか? 社会に出れば五歳程度の年齢差など大したものではない。世の中にはン十歳という年の差カップルだって存在する。しかし中学生だと確実に下限に引っかかる。
結婚可能年齢に達する以前の少女に性的興奮を抱く男もいる。この目の前の男もそういう類だろうか。変態紳士の上限年齢に達しているのではないかと思うのだが、兄貴も心配し始めたあの幼児体形では、まだストライクゾーンに入っているのだろうか。いや合法ロリという言葉もある。今の様子では二〇歳過ぎてもローティンの容姿を保っている可能性もある。つまり青田刈りをしようというのか。
ただし妹にそういう嗜好が向けられていたとしても、よほどの相手でない限り心配はしない。妹が手篭めにされても知らないなどと冷淡なのではない。たった一合だけだが実際に組み合った感触から、目の前の男子大学生がとち狂ったとしても、南十星ひとりで対処できると考えたからだ。そういう意味では十路は、妹の性格と格闘技術を正当評価している。
そんな事態になったら、南十星は躊躇なく男性機能を破壊する。同性では不可能なほど容赦なく。
「違うぞ!?」
そんな考えは、顔に出ていたらしい。男が慌てて弁解した。
「ある日、我がプロレス同好会に、南十星ちゃんが道場破りに来たんだ……なにを言ってるのかと思ったら、彼女は腕相撲で我が同好会の部員たちを次々と倒してな……」
どこか恍惚とした男に、体操部以外でも同じことを南十星がしていたことに、十路は呆れる。
腕相撲については大して驚きもしない。アームレスリング女子の部、日本最年少チャンピオンは、なんと中学生だと言う。純然たる筋力だけを競うものではないため、ありえないとは思わない。
部屋では映画を見ながら筋トレやストレッチをするのが彼女の常だが、その時に片手腕立て伏せも指立て伏せもやっている。細身の体格に似合わず、意外と筋力はある。
「さすがに正式入部とは言わないが、このままマネージャ的なことでもやってもらえないかと……」
つまりは先ほどの体操部員と同じなのか。勧誘という体にしているが、異性への形にならない感情を南十星に抱いているっぽい。
小柄で活発で笑みを絶やさない。どんな時でも天真爛漫。細かな気遣いもできる。言葉遣いは敬語ではなく奇妙でぞんざいだが、それを除けば南十星は、いわゆる『後輩キャラ』なのだ。
とはいえ、十路には『妹キャラ』枠なのだが。
「知ってるとは思いますけど支援部は色々と特殊ですし、アイツは支援部に入部するために転入したようなものなんで、転部が無理ですけど……掛け持ちするかは当人の問題ですから、俺はどうこう言うつもりないですよ」
「本当か!?」
目の前の勇気ある愚か者、略して勇者が意気込んだ。
「でもアイツに関わると、リアルに寿命が縮みますからね?」
十路は真顔で釘を刺しておく。縮むどころかゼロになる可能性も含めて。《魔法使い》の事情は生半可ではない。
「…………」
そんな本音は伝わっていないだろうが、男は迷うように口を閉ざした。
きっと南十星に投げられて脳震盪になったか、関節技で締め落とされたか、どちらかあったのだと推測し、十路は部室に向かうことにした。
△▼△▼△▼△▼
が。また行く手を立ち塞がれた。
「あなたが堤十路ね!」
「今度は…………フェンシング部?」
次に行く手を塞いだのは、同年代か少し年上と思える女子学生だった。
中世風の赤い衣装に身を包み、金属製には見えない甲冑を重ね、刃は潰して先端は丸くなっているが、金属製と思われる細剣を構えている。
「演劇部よ!」
「で? 演劇部もなとせの獲得か……?」
またかと先回りして、ダルそうな態度で問う。
南十星はキャリアは浅いが、映画に名前あり役で出演した女優経験者だ。
活発な少女ならば、イメージ通りの演技をしてくれるだろう。『中性的』で通る少年でも、多分通用する。
それにアクション俳優養成所に所属して、業界で仕事をしていたらしい。安全性からの規約上、子役のスタントマンは存在しないが、スタントダブルという子役俳優の影武者的な仕事をしていたとか。
第一線で活躍している俳優とは比較にならないが、一般人レベルで考えれば場数は踏んでいると言ってもいいだろう。演劇部も南十星の獲得を目論んでも不思議はない。
「……………」
だが十路が問うと、演劇部部長はなぜか目をそらした。決死の表情で吊り上げていた目元が綻び、頬はほんのりと赤みを帯びる。
「………まさかとは思いますけど」
その態度に、十路は嫌な予感がした。
「『妹』にしようとか考えてませんよね?」
「…………」
返答はなかった。それが雄弁な返答だった。
南十星は守ってあげたくなるような、可愛らしい小動物系少女ではない。
だが。
裏表がない。精神的に自立している。明るく面白い。優しく誠実。相手の立場を考えられる。空気を読める。前向き。ガサツなようで女性的。
簡単に言えば、意外と異性にも同性にもモテるタイプだったりする。
「とにかく勝負よ!」
「逆ギレかよ……」
問答無用で襲い掛かられたので、十路は仕方なく構えた。なんとなく嫌だったけど。
結果だけを述べれば、十路は演劇部部長を倒した。
どう倒したかは、あえて触れない。
△▼△▼△▼△▼
「おっす。兄貴ー」
ようやく辿り着いた学院敷地隅に建つガレージハウス・総合生活支援部の部室は既に開き、南十星だけがいた。
「おい、なとせ。お前の人間関係とトラブルを、俺に押し付けるな」
「へ? なんのこと?」
「体操部やらプロレス研究会やら演劇部やら、お前を勧誘するために、なぜか俺に頼んできたり挑んできたり」
「あー、なる。そゆことね」
「そもそも道場破りみたいなことするな。トレーニングしてるだろうが」
「だって設備があったり練習相手いるトコに突入しないと、体ナマるんだもん」
毎日五時起きで、移動術と格闘術の訓練に出かけているのに、まだ体と技術を鍛えるというのか。
南十星の体格は小柄な割に筋肉質だが、それでも少女らしい愛らしさは失っていないという、奇跡的なバランスを保っている。だからこれ以上、筋肉質になって欲しくないのが、十路の本音なのだが。
「ともかく、俺をダシにするなよ? 特に告白の断りは自分でやれ」
「つっても、兄貴より弱い人と付き合う気ないもーん」
「俺を、しかも拳を基準にするなと言いたいが……俺より強ければどんな相手でも、女から告白されてもいいのか?」
「それは単にどう断ればいいかわかんなかったから、兄貴に押し付けただけ」
「ヤメロ……」
なぜそこまでしなければならないのか。あまりしつこい相手なら、十路が出なければならないだろうが、妹の色恋沙汰にまで口を挟みたくはない。更に人の趣味嗜好に口出しする気ないとはいえ、家族が百合るのを容認するのはやはり躊躇するが、後始末を押し付けられるのはもっと困る。
「あと、そんな条件付けてたら、先々理事長みたいなこと言い出すようになるぞ」
「…………それは嫌だな」
結婚に悩める独身二九歳女の境遇を考えたと思われる間を置いて、南十星が素で返事した。三〇直前の駆け込みは嫌らしい。
かといって笑顔のサムズアップで変な提案をされても、十路としては困るのだが。
「そんときゃ兄貴。あたしと結婚すっか」
「……一応バカにせず真面目に相手して返すと、俺たちの場合できるか?」
南十星は義理とはいえ妹で、しかも血縁がある。十路の父親の妹の娘――つまり従妹になる。
場合によっては義兄妹も結婚できることは知っているが、こんな複雑なパターンは知らないので、後学のために問うたのだが。
「イトコは結婚できるよ」
「いや、俺たちの場合、法律上は実の兄妹と同じ扱いになるだろ? そこどうなんだ?」
「へ? なんで? 兄妹扱いになるわけないじゃん」
「は?」
認識の差があるのは理解したが、それがなにかは十路には理解できない。
しばし顔を見合わせていると、その差を理解したらしく、南十星が確認し始めた。
「えーとね? あたしたちの……ってゆーか、兄貴のおとーさん・おかーさんは、あたしと養子縁組してたワケじゃなくて、ただの後見人。だからあたしは法律上、堤家のメシ食ってたイソーローなんだけど、それはゴゾンジ?」
「…………マジ?」
「まぢ」
「ちょっと待て!? なんだその衝撃の新事実は!?」
「てか、兄貴が知らなかったことが、あたしにはオドロキなんだけどさ」
養子縁組は思い込みだった。五年前、彼女がオーストラリアに行く際にも、必要な書類の用意に十路が介入することはなかったので、戸籍謄本などを確認したことはない。
だが、ある日両親から『今日からお前の妹』などと紹介された少女が、まさか妹ではない可能性など考えたこともなかった。
「おとーさんたち、あたしも兄貴も《魔法使い》だから、思うところあってこーしたんじゃないの?」
「養子にした方が面倒なくないか……?」
「いやでも、血縁アリって匂わせる方がヤバくね?」
「わからんでもないが……どっちもどっちって気がするけどな? そもそも苗字同じわけだし」
物語の『魔法使い』は、血縁に由来している場合が多い。大魔法使いの子孫も大魔法使いなど、当たり前とも取れるような描き方がされている。
実際の《魔法使い》は血縁が関係してるかどうかは、まだ不明というのが一般だ。
《魔法》は三〇年前に出現したもの。《魔法使い》はまだ一世代しか存在せず、ようやく結婚して子を成し始めた時間しか経過していない。《魔法使い》の子供が《魔法使い》なのかを調べるには、調査数が絶対的に足りない。
更には実の兄弟姉妹でも、《魔法使い》として発現するのは一人だけだ。遺伝子学上の偶然は、同じ家庭で二人以上の人間を選んだことはない。少なくとも十路は、例外を聞いたことがない。
なので十路と南十星が二人揃って《魔法使い》なのは、稀有な例に当たる。父方の血縁に《魔法》に関連する遺伝情報があると考え、そういった研究を行う者は目をつけても不思議はない。
そこで南十星との関係が、戸籍謄本にどう記載されているかで変わるかは、なんとも言えない。
今まで血縁が取り沙汰されたことがないので、なにか効果があったのかもしれないが、既に二人が《魔法使い》であること自体が問題の種であるため、その辺りはっきりしない。
そして両親は既に他界しており、どういう意図でこうしたのか、真相を知ることはできない。
だから考えても推測しかできない問題は捨て置き、南十星が話の流れを戻す。
「そんなワケであたしたち、しようと思えば結婚できんだけどさ」
「仮にできても周囲の目がイタすぎるだろ……」
「『内縁の妻』とか『事実婚』という便利な日本語もある」
「うぉぉぉぉい!? リアルな未来設計しようとするな!?」
「にはは。じょーだん冗談」
南十星が笑いながらソファを回りこんで、背もたれ越しに首に抱きついてきた。その拍子に髪から香り立つシャンプーの匂いが届く。
欠点を挙げれば限ないが、長所も列挙することができる。
口には出さないが、南十星を家族ではなく異性と考えても、魅力的な少女なのだと素直に認められる。
ただ、ハッキリ言えば、怖い。
嫌うなどありえない。しかし恋愛対象として見るには、中々ツラい。家族として接してきたのだから、急に意識を変えることができないとか、そういう理由とは異なることで。
南十星はブラコン気味ではあるが、独占欲をこじらせてはいない。部室では女性――それも中々の美形に囲まれている状況だが、彼女たちとも仲良くしており、嫉妬心など欠片も見せたことがない。
しかし南十星は、なににつけても兄優先だ。十路の危機には自分の命を顧みずに飛び込むため、頭の配線が違ってるとしか思えない。誰かのために危険に飛び込むのは、十路もとやかく言えないが。
仮に十路に恋人ができたとしても、黒化して包丁や斧を持ち出すことはなく、黙認するか嬉しそうな顔をするだろう。
しかし一度兄の敵だと認識すれば、間違いなく真っ向から戦る。下手すれば殺る。
束縛や管理はしない。自己陶酔や妄想癖や投影型依存はない。外交的かつ積極的な性格をしている。叱っても悲観的にならず笑い飛ばす。責任転嫁はしない。
このように典型的ヤンデレキャラとは異なるのだが、暴走の可能性がある思考回路を持っているのは、否定できない事実だ。万一を考えると非常に恐ろしい。
それに先ほどは『内縁の妻』や『事実婚』を冗談として流したが、彼女なら本気で――いや、それで済むかも怪しい。
思い返せば時々、脱いだ服が消えるような気がする。特に下着が。探しても見つからず、忘れた頃にクローゼットの中から見つかるのだが。合鍵があるため十路の部屋は南十星も入れるが、彼女がこっそり盗んでクンカクンカしてから洗濯して戻してるなどという可能性は否定したい。
思い返せばペットボトルでジュースを飲んでいると、かなりの頻度で南十星に強奪される。飲み回しというか間接キスなど気にしないので、なんとも思っていないが。というか自分の唾液でハァハァする家族の特殊性癖など考えたくもない。
早いところ彼氏を作って兄離れして欲しい。でも《魔法使い》の事情を考えると、望み薄と判断せざるをえない。三十路過ぎても独身貫いていても不思議はないから、このまま面倒を見ないとならないのだろうか。十路も三〇過ぎて独身だったら、義妹兼従妹兼嫁として引き取ることを考えた方がいいのだろうか。いやもしかすれば彼女は、なし崩しにそうなるのを狙っているのだろうか。というか独占も略奪もする気ないなら、十路が他の女性を選んでも、妹の身分を利用して乗り込んでいつの間にかシングルマザーとかありえそうな気がしなくないか。あれ? 未来は普通に義妹ハッピーエンドルートか、浮気がバレずに義妹がハッピーエンドルートか、バレる他ヒロインバッドエンド⇒結局義妹ハッピーエンドルートの三パターンしか用意されていない?
考えれば考えるほど、不安と恐怖が沸き起こる。
「…………ところで、なとせ?」
だから十路は考えるのを止め、話題を変えた。
彼は弱者だった。臆病者だった。その場しのぎに問題を先送りにするだけの無能者だった。
その誹りは、彼は甘んじて受け止めるだろう。しかし卑怯者と呼ぶ無かれ。この真相を暴くとなにかが決定的に壊れるのだ。それを守ろうとする行為を、第三者が無責任に批難などできようか。
「なんか、ここに来るまでずっと誰かに見られてたんだが……詰襟だったから、お前の知り合いじゃないか?」
中高一貫校ならば同じ制服を採用している学校も多いが、修交館学院の場合は学生服が異なる。中等部男子は詰襟で、高等部男子はブレザーであるから、基本的には一見でわかる。
十路の頭に顎を乗せて、南十星はしばらく考えた様子を見せたが、結局わからなかったらしい。
「…………誰?」
「俺が知るわけないだろ。距離ある上に隠れてたから、特徴もよくわからないけど」
「……? あたしじゃなくて、兄貴を見てたんだよね?」
「部室に来てからもずっと、物陰から俺たちを見てたみたいだけど、さっき男泣きしながら走り去っていったぞ?」
「……兄貴って、掘る方? 掘られる方?」
「なぜそういう発想?」
「いやだって兄貴、中等部の男子から、熱いマナザシ向けられてたんしょ?」
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初恋の少女には、割り込む余地のない想い人が既にいた。
だから夢破れたというか夢を抱く以前の問題だった少年が走り去ったことに、兄妹は理解できなかった。
しかし少年にとっては、それでよかったのかもしれない。
走り去った後、とんでもない想像をされていることを知らずに済み、僥倖かもしれない。




