概略説明という名のボツ原稿供養 樹里編
修交館学院高等部一年生・木次樹里は、異能を持っている。
この世界には《魔法使い》と呼ばれる存在がいる。とあるSF小説家の名言通り、最先端を越える科学技術により、正に『魔法』のような異能を発揮する者たち。そして木次樹里もその《魔法使い》なのだが、彼女の異能は意味が異なる。
《魔法使い》が《魔法》を使うには、《魔法使いの杖》と呼ばれる電子機器を例外なく必要とする――はずだ。
しかし樹里は《魔法使いの杖》なしで《魔法》を使える。
とはいえ普段の彼女は、そんな特異な能力の持ち主であることも、《魔法使い》という稀少人種である印象もない。経歴を知らなければ、どこかにいそうな女子高生と誰もが思うだろう。
「…………」
堤十路は、後輩の顔を見下ろしながら、そんなことを考えていた。
「あのー……堤先輩?」
部室にやって来て、無言で無表情に無遠慮な視線を向ける十路に、彼女は愛想笑いを浮かべて困っていた。
だが十路は困惑に答えず、樹里の両手で頬を挟んで、至近距離で顔を覗き込む。
「ひゃ……!?」
目尻はどちらかというと垂れ気味。目つきの悪さが目立つ十路とは対照的に、どんぐり眼に近い、愛嬌のある黒目がちのつぶらな瞳だ。近づいて注目すると、やはり女の子らしく睫毛が長い。
鼻は低めで小さい。異能が関係しているのか、樹里は五感――特に嗅覚が優れているのだが、そういう印象を持たせない、幼さを残す顔に似合った大きさだ。
唇の厚さはどちらかというと薄め。高校生になればリップくらい塗っている女子生徒も多いが、彼女の唇はなにも塗っていないのに、ナチュラルピンクで赤みが弱い。
ミディアムボブの髪に収まった顔は整ってはいるが、特別目を惹くレベルでもなく、せいぜい十人並み。当人は地味だとコンプレックスを抱いている。絶世の美人というレベルでもないため、理解を示せなくはない。しかしそれよりは自信を持って磨きをかけた方がいいのではないかと、無責任な第三者は考えてしまう。
「ふにゃにゃ!?」
頬を引っ張る。柔らかい肉がよく伸びる気配を見せたが、痛みを与えるほどは強く引っ張らない。
口が半開きになると歯が覗き、白い歯が並んでいる。歯並びは整っているため、正確な意味での『八重歯』ではないのだが、犬歯だけ大きく発達している。本人は気にして、口を大きく開けないよう気をつけているが、こうして見ると子犬のような愛らしい印象を受ける。
「あ、あの……?」
手を取り、じっくり眺める。
彼女当人のものだけでなく、家事の類をしない同居人の家事も行っているため、水仕事で荒れている思いきや、そうでもない。手の甲から見ると楕円に近い桜色の爪が並び、ささくれもなく細長い指を持つ、大人の女性の手だ。
しかし裏返すと印象が異なる。手の平の肉は柔らかく、子供っぽくも思える。有事の部活動――消防・警察・自衛隊と協力する緊急即応活動の際には、長さ二メートルもある金属製の長杖を振り回している割には、不思議と指の付け根は固くなっておらず、武術経験者の手には思えない。
「えーと……」
半袖のブラウスから覗く二の腕も細い。筋肉もないが脂肪も薄い。片手ではさすがに無理だが、両手で輪を作れば収まってしまう。
肩も薄い。スクールベストの上からでも、一掴みできてしまえる。ちゃんとブラウスのボタンを一番上までかけ、首元をリボンタイを飾っているので見えないが、きっと鎖骨がハッキリわかると思える華奢な体つきだ。服越しの感触なので自信はないが、かろうじて肋骨が浮き出ない程度には脂肪分がついてると思える。
「ちょっ……!? どこ見て……!」
そして胸元をじっと見る。さすがに触れるのは憚れるので、見るに留める。
過去、彼女がCカップであることは、当人が暴露してしまった。やたらと『一センチ』を強調することから、彼女のバストサイズは七九と推測する。たった一センチの違いしかないのだが、七〇台と八〇台には天と地ほどの差があると彼女は考えているのだろう。その心理は男の十路は理解できないが、理解を示すことくらいはできる。
ただ、残念ながら起伏ははっきりしない。スクールベストのせいもあるだろうが、その下に隠された女性にしか持ちえない男が改造所持してしまったら違う方面に行ってしまう物体の存在は、非常に慎ましい。やっぱり『七九も八〇も大差ないだろ』と思ってしまうし、ハッキリ言うと『七九もあるのか?』という疑惑を抱いてしまう。
「え゛」
ついでにしゃがんて、少し丈を詰めたプリーツの効いたミニスカートもめくってみた。
もう少し肉付きがよくてもいいんじゃないかと思える白く細い足が伸びた先、多くの男にとっては魅惑の地だが十路にとっては割とどうでもいい三角地帯は、当然のように布が覆っている。本日の一品は飾り気のない薄いピンクのフルバックショーツ。高校生しかも登校時ならば不思議でもなんでもない、色気の感じられない実用重視、お腹とお尻も包み込む安定感が発揮されている。
「ふぅん……」
十路は確認を終えて、小さく唸って立ち上がり。
【なにセクハラしてんですかっ!!】
「をぼ――!?」
自律行動するオートバイの回し蹴り (?)で吹っ飛ばされた。
△▼△▼△▼△▼
「殺す気か!?」
【えぇ。八割くらいまでは】
「臆面なく言いのけやがった……!」
【私には臆する面はありませんがなにか?】
顔があったら氷点下の視線を送っているだろう、オートバイに怒鳴るのはそれまでにする。非があるのは十路だ。蹴られるだけの理由はある。ただ二〇〇キロオーバーの衝撃は生半可ではなかったから、文句のひとつも言いたくなっただけだ。
第三者なら『そう思うなら最初からスカートめくるなよ』と思うだろうが、ともかく納得して、十路は体をさすりながらソファに座った。
「一体なんだったんですか……」
オートバイの報復代行で溜飲を下げたのか、スカートめくりにはなにも言わず、樹里もその向かいに座る。
十路には悪意もスケベ心もないのだ。社交性に問題のある天才科学者が偏屈扱いされるように、興味本位で奇行に及んでいるだけなのだ。彼女もそれは理解しているのだろう。
「いや、木次の例の能力。あれに疑問を持ってな」
いま部室内にいるのは二人だけ――正確にはもう一台いるが――なので、共有している樹里の『秘密』について話せる。
「あれがあるのに木次、《魔法使いの杖》を使ってるだろ? だから疑問に思ったら、どういう仕組みなのかも改めて疑問に思ってな」
「や、私の顔を見て体触って、しかもスカートめくって、それがわかると思えませんけど……」
「やたらパンツ見せたがるのに、なにも対策しないから、下半身に秘密があるのかと」
「あるわけないじゃないですか!? あと見せたいわけじゃないです!? 部活で動く時にはよくスカートめくれて堤先輩がよく一緒だから結果そうなるだけです!!」
「だから隠せって言ってるだろ? 俺、何回も見てるから、木次のパンツで語れるぞ」
「なにを語る気ですか!?」
「女子なら普通かもしれないけど、木次って下着に気を遣ってるな。柄モノ少ないから、ブラと合わせて選んでるだろ。上下で色が違うと萎えるから、俺的にはグッド。あと全体的に白が少ないな。男受けを狙うならベストカラーだろうけど、汚れたら目立つし、シンプルだと子供っぽく見えるし、難しいよな。それとちょくちょく新品と入れ替えてる様子だから、単品にはさほど金かけてないみたいだな。店で並んでるのを色違いでまとめ買いしたり、セット売り二千円とかを買うタイプだろ。タンスの奥にひとつくらい、背伸びしたお高い大人パンツが眠ってるだろうけど、まぁ、学校に着て行くようなものじゃないし、安物で充分って割り切って使ってるな。あぁそうそう。洗濯の都合だろうけど、先週見たクマさんパンツはちょっと。キャラモノが許されるのは小学生低学年までだろ」
「や! もういいです! なんでそこまでズバリなんですか!?」
「俺の予想はズバリなのか?」
「え、や、その……大人パンツ以外は」
「…………そうか。俺の想像を超えるセクシー勝負下着を秘蔵してるのか」
「ややややや! そうじゃなくてぇぇっ!?」
「気をつけろよ。攻め過ぎたの着てると男は退くし、下手するとビッチ扱いされるからな」
「や!? ありますよ!? 眠ってるっていうかオスロ条約でクローゼットに封印してますよ!? 『高校生ならひとつくらい持っておきなさい』ってプレゼントされたのがスケ過ぎてヒモ過ぎてハデ過ぎて攻め過ぎて! だから自分のおこづかいでちょっと上等なシルクのレースの可愛いの買って! 大人パンツって言えるのとは違うんです!!」
乙女のトップシークレットが、錯乱気味に樹里の口からポンポン飛び出たが、それはさておき。というかオスロ条約は収束爆弾の禁止条約なので、関連性を見出すことが不可能なのだが、それもさておき。というか結局のところ、自分で勝負下着を用意しているツッコミどころがあるが、それもさておき。
「……脱線した気がするんだが、俺たち、なんの話をしてた?」
「や、私の秘密に関してです……いい機会ですから、簡単にお話ししておきます」
話の軌道修正が図られ、精神的な疲れから立ち直り、樹里が話し始めた。
「言葉にすれば単純なんですけど……細胞内のリソシームと、ミトコンドリアの一部が、《マナ》に置換されているんです」
「俺は全くわからんけど、それって大丈夫なのか?」
「やー……生物学的にはありえないですし、専門機関で調べるわけにもいきませんから、詳しくはなんとも……でも今のところ私は、こうして普通に生活してますから」
一昔前は、サイボーグや改造人間といった設定は、SFとは切り離せなかった。最近ではケイ素生命体・金属生命体という設定が頻出するようになった。
樹里の場合はベースは普通の人間で、機械要素が挿入されている。これが後天的なものであれば、細胞レベルのサイボーグと呼べるが、数十億個もある体細胞に対しては考えにくいだろう。
彼女は目に見えないテクノロジーとナノレベルで融合し、機械的性質を生まれながらに併せ持つ、ハイブリッド生命体と考えるべきだ。
「だから《マナ》同士の通信で、脳の生体コンピュータと外部とを入出力できてしまうので、私は《魔法使いの杖》なしで《魔法》が使えてしまうんです」
人間が意図的に行える反応を機械的に考えると、五感で得て脳で整理した入力データに従って、体の筋肉を収縮させて出力することしかできない。道具を使えば出力を様々な形に変えることができるが、生身で行えるのは手足の運動や声帯の振動だけだ。
《魔法使い》ならば、電磁波を感知する第六の感覚を持ち、完全に別の形で出力できてしまう。
「細胞そのものも変化するのはなんだ?」
しかも樹里の場合は、その上を行く。
生身で《魔法》も行使できるのはもちろん、更に上の段階を持っているとしか、十路には思えない。
「木次の感覚って人間にはありえないほど鋭いだろ。素人考えだけど、細胞の《マナ》だけで説明がつくとは思えないんだが」
彼女の感覚――それも嗅覚が理由だった。
匂いの元となる成分の原子を《マナ》が検知して、『匂い』と判断している可能性も考えないでもないが、鼻粘膜の作りが常人とは違うのではないかと考えていた。
「や、それについては……体の感受性が強いのかなって漠然と思ってるんですけど……」
「感覚なんて個人差あるけど、それが人間の最高レベルなだけってことか?」
「やー……そういう意味もありますけど……ほら、私、精神的なものがすぐに出るじゃないですか」
眉根を寄せる樹里が、言葉を濁しているのだと理解した。
そして十路は『キレる』という言い方をするが、彼女の精神状態が不安定になると、瞳の色が変化し、暴走に近い危険状態になることを言ってるのだとも理解した。
それが細胞そのものも変化しているのではないかと推測した理由でもある。
肉体と精神が深く結びついているのは常識と言っていい。非常時には常時の倍以上の筋力を発揮する火事場の馬鹿力や、意味のない薬で病状が回復してしまうプラシーボ効果など、人間科学的には否定意見も存在するが、事象そのものは『ある』とされている。
しかし樹里の暴走状態は、それを越えているとしか思えない。体内で力学制御が行われているのもあるだろうが、馬鹿力などと呼べるレベルではない。大の男を片手で掴み上げ、素手で鉄板を変形させる怪力を発揮する。可能だとしても自傷するはずだが、彼女の場合はそれが見受けられないため、細胞レベルで変質しているのではないかと思える。
「だからこう、チグハグというか、抵抗を挟まずに電源とモーターをダイレクトに繋いでるというか、アクセル反応は過敏すぎるのにブレーキの効きが悪いというか……」
「全くわからんが、ニュアンスだけは伝わった」
結局のところ、なんでそうなるのかは、樹里も理解していないらしい。
身の回りでこういった事柄に一番詳しいのは、生化学や細胞生物学のスペシャリスト《治癒術士》である当人なのだから、彼女がわからないのであれば、十路も理解できない。
「普段《魔法》使うのに《魔法使いの杖》を持つのは、その能力を隠すためだろうけど、違いとか、なにか理由があるのか?」
「や、自分の体に使う《魔法》は、こっちの方が早いですけど、そうでない時は《魔法使いの杖》でないと効率悪いんです」
《魔法使いの杖》には基本的に、《マナ》と電気通信する手段が複数搭載されている。
主に使うのは、レーザーによる屋外光無線通信と、現状では通信技術には珍しいミリ波帯電磁波による無線通信だ。目的と状況に応じて、時に複合的に使うことで、《マナ》へエネルギーと指示を与える。
そして樹里の体の場合、どう考えてもレーザー通信はできない。
「エネルギーそのものはどうしてるだ?」
「カロリー消費です」
人間が一日に消費するカロリーは約二千キロカロリー、そして一説によれば人体そのものをカロリー計算すると、八万キロカロリーほどになるらしい。
食事で考えれば、どちらもありえない高カロリーだが、エネルギーを示すワットやジュールに換算すれば、大したものではない。《魔法使いの杖》のバッテリーと比較すれば、《魔法》を使うには足りないはずだ。
だから十路は忠告した。
「肉を食え」
「いきなりなんですか!?」
「木次が細いの、そのせいだろ?」
樹里の《魔法使いの杖》は、二メートルもある重い金属製の長杖だ。男でもそう易々と振るえる重さではない得物を、彼女は細い体で軽々と振るっている。
ならば体内で《魔法》を行使して、身体能力補助を行っているのだろう。《魔法使いの杖》のエネルギーを消費していると考えるのが妥当だが、樹里の物言いからすると、普段から使っているのではないかと思える。
筋力のなさを《魔法》で補い、そのために体に蓄えたエネルギーを消費してしまう。そんな悪循環が形成されているはずだ。
「まぁ、そんなところです……友達に贅沢な悩みって言われるんですけど、もうちょっとお肉つけたいんですけどね……」
自分の体を――具体的には胸元に触れながら、樹里が悩みをこぼす。
「だけど、木次ってちょっと偏食あるか?」
「ふぇ? そう見えますか?」
「いや、そうは見えないけど……肉料理をあんまり作らないだろ? 木次の料理を食べた時に、妙だと思ったことがある」
用事で彼女の部屋に赴き、そのままご馳走になったことが何度かある。
大人数で一緒に食事する時、彼女が用意した弁当を食べたことも何度かある。
その時の内容を十路は思い出す。
料理を振舞う時の定番・カレーが出たことはない。
男があこがれる手料理の定番・ハンバーグも出たことはない。
女の子が男に作って欲しい定番・パスタも出たことはない。
最近は手料理の代名詞と言われにくい肉ジャガは出た。
変に気合の入った異国料理もない。カフェの食事のようなオシャレなものもない。二一世紀の日本人なら、きっと誰でも食べたことがある、和洋問わない家庭料理を食べた。
そして毎日樹里の料理を食べているわけではない。だから偶然で片付けることもできるのだが。
「肉メインの料理って、あんまり見てない気がするんだが」
ゼロではない。唐揚げやショウガ焼きのような定番料理は口にした記憶はあるが、振り返れば卵や魚メインの料理の方が多い気がする。
「や~……確かに少ないですね」
そして樹里も否定しない。
「なんか理由あるのか?」
「や~……タマネギとかネギとかダメなんです。肉料理には結構使いますから、あんまり作らないんですよ」
「それまたなんで?」
「そういった野菜に含まれるアリルプロピルジスルファイドという有機硫黄化合物が致命的なんです。赤血球中のヘモグロビンが酸化して、ハインツ小体という病変を起こして溶血します。軽ければ貧血・黄疸・可視粘膜蒼白くらいで済みますけど、肝機能低下による危険状態になるかもしれません」
《治癒術士》らしく、一般人は聞いたこともない医学用語を使ってスラスラと説明され、十路は面食らう。
だが、違うと予感する。
そうでなければ、なぜ樹里は目を泳がせているのか。
「俺の勘が正しければ、それって犬にタマネギ食わせちゃいけない理屈じゃないかと思うんだが?」
「…………はい」
「本当の理由は?」
「作りたくないんです……タマネギをみじん切りとかしたら、一時間は泣きっぱなしですし、スパイス類も強烈ですから……」
感覚が鋭敏で、しかも自炊している彼女にとっては、日頃の食事も大変らしい。




