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使い途のない日常の一幕 南十星編

 たとえば、目覚ましよりも早く、妹に起こされたら。


「お兄ちゃん、朝だよっ☆ 起きて起きて! もぉ~、お寝坊さんだなぁ~」


 たとえば、汗を流そうと風呂の扉を開けると、シャワーを浴びる妹がいたら。


「きゃっ! わたしが入ってるってば! お兄ちゃんのエッチぃ~!!」


 たとえば、制服に着替えようとして、やはり着替え中の妹に遭遇したら。


「もぉ~! お兄ちゃん! ノックぐらいしてよぉ~!」


 たとえば、今にも泣きそうな顔で決意を表す妹に、恋愛感情を示されたら。


「わたし、お兄ちゃんに、妹って思われたくない……ひとりの女の子として見て欲しいの……」


 普通の兄は、どういう反応を示すものなのだろうか。


 (つつみ)十路(とおじ)の場合、たった一言で済ませた。


「……気色悪い」

「ひどっ!?」



 △▼△▼△▼△▼



「で、なとせ? 朝からなんのマネだ? なんか変なもの食ったか?」


 十路は炊きたてホカホカご飯を卵かけご飯にするため、小さな器で黄身と白身をかきまぜながら、テーブルの向かいに座る学生服姿の少女に問いかける。


 (つつみ)南十星(なとせ)。快活さに溢れた小さな体を改造ジャンパースカートに包んだ、猫のような愛嬌と整った顔を持つ、十路の義妹(いもうと)

 仮に妹でなければ、男は朝から部屋に突入してきた彼女の態度に、心動かすのかもしれない。

 しかし彼女は猫ではない。愛嬌と同時にふてぶてしさと凶暴性を持つ子虎だ。あとついでにアホの子だ。それを知っている家族ならば、愛らしさよりも不気味さが先に立つ。


「いやさ、部活カンケー」


 ホウレン草のおひたしと冷奴(ひややっこ)に醤油をかけてから、南十星はスクールバッグを引き寄せて、冊子を出して渡してきた。

 受け取った表紙には、『恋愛AVG ぱっぎゅ~ん☆めもりぃ~ず 台本』と書かれている。


「漫研とパソコン部が組んで、同人ゲーム作るんだってさ」


 南十星の説明にネーミングセンスの悪さが十路の頭によぎったが、触れることなく耳を傾けたまま、ページをめくって斜め読みしていく。


「ンで、ウチの部活に依頼が来て、あたしが声優やることになっちゃって。ネット声優起用したみたいだけど、一キャラ分確保できなかったんだってさ。予算もないし、急遽おハチが回ってきたみたい」


 つまりタダで人を使おうというのか。兄妹で所属している総合生活支援部は普段、ボランティア部のようなことをしているとはいえ、いい根性している。

 南十星は映画の出演経験があるため、彼女の管轄であろうが、声優と俳優の違いは問題ないのだろうかと、素人考えで疑問に思う。しかも彼女の場合、俳優とはいえアクション俳優の分野だ。


 十路もあまり詳しくないが、台本をざっと読んだ限り、典型的な恋愛アドベンチャーゲームのようだ。何人かのヒロインが存在し、学生生活を送りながら、結ばれていく模様が描かれていた。

 ひとつの名前だけ、マーカーで印がつけられている。これが南十星が演じる役だろうと、そのキャラクターの登場部分を追っていく。

 役柄は、主人公の妹だった。実妹だと思いきや、実は血縁のない義理の妹だと判明し、兄である主人公への思いを募らせるコテコテの展開だった。


「……キャスティングミスのような気がする」


 台本を返し、十路は感想を端的に述べた。

 現実を考えれば、これ以上ないほどマッチしている人選とも言える。本当に義理の妹で、年の割には兄にベタつき、無邪気かつ天真爛漫だ。

 ただしシナリオの少女は『妹』ではなく『妹キャラ』だった。その違いを、南十星も理解していた。


「否定はできない。あたしとしては『妹キャラ』ってナニ? なワケですよ。単純に『妹』ってだけなら、それなりに演じる自信あっけど、そんな()びっ媚びな生物(ナマモノ)理解できないって」

「美少女に媚びられたいという、男の願望が生み出した空想上の生命体だからな。というか、実際ここまで媚びられたら、男でも引く」


 台本では明るく、兄に対して従順な女の子として描かれているが、現実にそんんな妹はなかなかいない。二次元特有の生命体と考えたほうがいい。

 現実の南十星も、そんな大人しい性格ではない。明るいを通り越してハイテンションに変な行動をしたがるので、頭痛が耐えない。あと従順にはほど遠い。実際の兄妹のように、生意気さを発揮するのではないのだが、いざとなれば制止を振り払い、狂気的な行動に打って出る。

 極めつけに、『甘えん坊』は絶対に違う。オクターブの高いロリ系アニメ声とはかけ離れ、やや舌足らずな変な日本語を使っているのに。なにかの拍子に抱きついてくることもあるが、次の瞬間に関節技やプロレスの投げ技に移行することもあるので、『甘えられている』という意識は抱けないのに。愛嬌があるため傲岸不遜(ごうがんふそん)な印象は薄いが、改めて考えてみれば『退()かぬ・()びぬ・(かえり)みぬ』を割と地で行っているのに。


「一晩悩んだけどコレって確信が抱けなくて、だからあたしなりに考えた演技を、ちょっち試してみたワケさ」

「役作りに体張ってるな……」


 兄とはいえ、男相手に裸や下着姿を本当に見せる辺り、女優魂の片鱗が表れている。普段から十路が『女子中学生の自覚を持て』と小言を言うほど開けっぴろげなので、恥と思っていない気がするが。


「で? 兄貴、どうだった? あたしの『妹キャラ』」

「ただただ気色悪かった」

「もういいって。地のあたしと比べるんじゃなくて、演技がどうだったかって話なんスけど」

「と言われてもなぁ……」


 十路は卵かけご飯のちシャケの切り身ときどき味噌汁に手を動かしながら、やはり朝食を口に運んでいる南十星を見やる。

 演技に関してどうこう言えるほど、演劇に詳しくない。

 『妹キャラ』が如何なる存在か熱弁を振るえるほど、サブカルチャーに詳しくはない。

 更に言えば。


「役柄が実際と近すぎて、どうしても比べてしまうんだよな……」


 だから彼女の演技を評価しづらい。上手い下手以前に、『普段の南十星と違う』という違和感が先に立つ。


「あたしも演技に引っかかってるの、多分そこなんだろうけどさ」


 南十星も朝食を胃に詰め込みながら、眉根を寄せる。

 ものづくりは大体そうだろう。大雑把に作るのは初心者でもできるが、仕上げで修正していくのが難しい。全く自分と違う役ならば、南十星は最初から七割くらいの完成度で演技するだろうが、違うようで似ている微妙な差が埋められずに四苦八苦している。


 飲み干した味噌汁の椀と箸を置き、十路は妹に忠告する。


「まぁ、さっきの演技でダメ出しくらったら、依頼そのものを断ることだな」


 すると南十星は行儀悪く箸先をくわえて、兄に不満顔を向ける。


「むー……声優は初体験だし、本職もほぼ無名だけど、これでも一応プロの女優(アクトレス)やってたんだよ? 演技できないって、プライドが許せない……」

「プロだからこそ、自信のない仕事はハッキリ断れ。プライド持つのは大事だけど、いざって時に捨てられないのは、くっだらない自惚(うぬぼ)れだからな?」


 忠告を重ねながら、十路は小さく驚いた。南十星をすぎるくらいに割り切りのいい性格だと思っていたが、こういう一面もあるのかと。

 ある日突然できた妹な上に、十路ずっと寮生活をしていた。しかも彼女は最近まで海外生活をしていた。家族とはいえ、今更のように発見することが多い。


「そんなもの振りかざされたら、周りが迷惑だし、無様だから見てて反吐が出る」

「あいよ。兄貴に嫌われたくないし、言うとおりにするよ」


 素直に引き下がり、南十星は箸を動かすスピードを速めた。

 いつもこんなに素直なら、可愛げがあるのだが。明るい性格で見た目は可愛らしいため、男女どころか年齢も問わず人気がある様子だが、やはり関係が近しいと悪い部分が目立ってしまう。

 そんなことを思いながら、十路はポットを引き寄せ二人分の茶を淹れる。


「んでさぁ。兄貴。繰り返すけど、ちっとはグッと来たかね?」

「は?」


 しかし朝食を胃に片付けた南十星が、変なことを言い始めたので、手を止めた。


「下着だけでなくオールヌードも見せたというのに、なんもなしか!」

「あるわけないだろ。俺がシャワー浴びようと服脱いでたら、後ろをスタスタ通って先に風呂入るから、『なにがしたいんだ?』としか思わなかったし。ここ俺の部屋でお前の部屋は廊下の向かい。ノックもクソもない状況で堂々と着替え始めるのを見て、なにを感じろと?」

「渾身の告白は!?」

「目を(うる)ませるために、目薬差してたの見たんだが。それでどうやったらグッと行けっていうんだ? あと作った声と態度が一番気色悪かった」

「…………やっぱり一番最初、優しく揺り起こすのがダメだったか? 腹に飛び乗って元気になってるアレに気づいて『お兄ちゃんのエッチぃ~!』とかお約束やってたら、まだ反応違ったか? いやパンツ丸見せでラッキースケベ統一するべきだったか?」

「本当に飛び乗ってきやがったら、条件反射で殴り倒すかもしれないからな。手加減できないから覚悟しとけよ」


 自分の演技を分析する南十星に、『二度と変なことするな』と警告しながら、手を伸ばして湯のみを差し出す。


「あ、ちょい待ち」


 が。湯のみを置いて引こうとした手が、掴まれた。


「ご飯粒ついてるってば」


 口の端に手をやる前に、身を乗り出した南十星の顔が近づいてきた。

 彼女が使っているシャンプーの匂いを脳が認識した直後、状況から考えて唇以外に考えられない感触と、飯粒を取ったらしいわずかな舌の感触が。


「バッ――! おま――!」


 声にならない声を上げて慌てて身を離し、手遅れな頬を触れたら、わずかな湿り気が残っていた。なにかの間違いではなく、実際にキスされたことを雄弁に物語っている。

 

「にははっ。さすがの兄貴でも、これにはグッと来たっしょ」


 なのに南十星は、あっけらかんと笑う。


「なに考えてる……!?」

「えー? なにさ? ご飯粒取っただけじゃん? 仲のいい兄妹なら、よくあることさ」


 清々しいほど堂々としらばくれる南十星に、なにを言っても無駄だと予感し、十路は続く言葉を飲み込む。

 代わりに深々と、野良犬のようなため息を吐き出した。


(これだからコイツは苦手なんだよな……妹だってのに)


 家族ではあるが、そう呼べるほど時間を共にしていない。他人ではないが、実体は妹ではない。

 嫌いになることも、遠ざけることも、ありえない。

 奇妙な距離感で把握しきれない少女に、いいようにされ、十路はもう一度ため息をついた。

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