使い途のない日常の一幕 コゼット編
修交館学院大学部理工学科二回生、コゼット・ドゥ=シャロンジェは、本物の王女である。
身分だけでも充分本物だが、人物像からして王女と呼べる。
見た目は金髪碧眼白皙、体も肉がつき過ぎでも痩せすぎでもない、絶妙なバランスで理想的な曲線を描いている。
人柄も申し分ない。大学内で身分を表に出すことは決してなく、一学生として振舞う。
成績も優秀で、既にいくつかの論文を発表しており、日常会話レベルであれば七ヶ国語を操ることができる。
ここまでの才色兼備であれば、超越してしまって嫉妬が向けられることもない。頭脳明晰・容姿端麗・温厚篤実。ドレスやアクセサリーはさすがに大学で身につけることはないが、それ以外は日本人がイメージする『お姫様』そのものと言っていいだろう。
「あ゛ー……だるっ」
総合生活支援部の部室に来れば、そんな風情は吹き飛ぶが。
荷物を入れたトートバッグを投げ出し、冷蔵庫からペットボトルを取り出して、ソファにも体を投げ出しドッカリ座り、ジーンズに包まれた足を広げて座る。普段の上品な彼女しか知らなければ、目を疑うだろう。
「あの、部長? 少しでいいですから、庶民の夢を大事にしてもらえません?」
「ア゛? 王女らしくないっつー意味ですの? ンなの普段で充分でしょーが。コンビニじゃねーんですから、二四時間営業してられっかっつーの」
堤十路が顔をしかめて苦言を呈しても、憂鬱そうに顔をしかめ返して言い返す。彼も目つきで人相悪く見られるが、彼女が顔を歪めるとなまじ美人な分、上回る凶暴さを発揮する。知らない人間がこの場面だけを見れば、ヤンキー同士でメンチ切ってると思われても不思議ない。当人たちには普段のことなので、全く気にしていないが。
「『普段』とか言われても、大学内で部長がどういう生活してるのか、詳しくは知りませんよ」
「堤さんに見せりゃキショいとか文句言う、プリンセス・モードで一日過ごしてるに決まってるでしょう。スイッチ入れりゃぁ文句言いやがるし、オフにしても文句言いやがるって、ふざけてますの?」
「じゃぁせめて、大股広げてラッパ飲みするのだけはやめてください。オッサン臭いですよ」
「う゛」
ペットボトルにそのまま口をつけて、アイスティーを飲もうとした手を止めて、指摘された足を閉じる。王女以前に女性として品性が疑われる行為は、さすがに自重した。
と、そこで、アップテンポな音楽が鳴り響く。コゼットはペットボトルをテーブルに置き、バッグからスマートフォンを取り出して、メールを確認する。
「ゲ。合コンだぁ?」
内容を見て、顔をしかめたが、小さな咳払いと共にすぐに顔を引き締める。そして液晶画面を触れて、耳につける。
「あ、もしもし? 八重木さん? 先ほどのメール、どういうことです? いえ、わたしの身分をオープンにしなければいいとか、そういう問題ではなく、急な予定は困るのですが――あ、ちょっと」
通話は強引に切られ、憮然とした顔でまた液晶を眺めることになる。
「相手がイイトコの男か知らねーですけど、勝手に頭数に入れんじゃねーっつーの……ったく」
文句を言っても仕方ない。通話した彼女は、そういうところがある。
とはいえ気持ちいいものではない。十路の返答にも、憮然としたものが混じる。
「合コン、嫌なんですか?」
「一回だけ参加して、懲りましたわ……」
「その時も男を呼ぶエサにされた、ってところですか?」
「えぇ……そん時ゃわたくしが王女だってバラされましたからね。物見高い他校の野郎どもがワンサカ来やがって、合コンって感じじゃなかったですけど……」
王女であることを畏れもせず、利用しようとする友人との付き合いは、考え直したほうがいいと思ってしまう。だが『完璧な王女』というブランドイメージを壊すのも問題がある。
人畜無害を演じるのは、楽ではない。
だから尊敬や畏怖など無縁に、怠惰な態度で話しかける十路のような人間が揃う、この部室は気楽でいい。
「合コンなんて、立場的に大丈夫だったんですか? 他所の王族だと、パパラッチが常についてまわって、何でもかんでもスクープされますけど」
「言葉は同じ王族ですけど、大御所王室と比べりゃどマイナーな田舎貴族ですわよ。格が違いますわ格が。しかもわたくしは第二公女で、極東に留学中ですわよ? 王女としてスクープしようなんて暇人、いませんわよ」
「いたらどうするんですか? 《魔法使い》兼王女としては、パパラッチされることも充分考えられますよ?」
「飲み代は国の公費じゃなくて、わたくし個人が稼いでる金。『合コン』じゃなしに交流会とか食事会とも呼べますわ。乱痴気騒ぎで警察沙汰になりゃ、さすがに無理がありますけど、『外で飲んでなにが悪い』っつって開き直りできますわ」
さすがに『王族が市井の店に』『王女が人前で酒を』などと取り沙汰されるほど、プライベートが許されない時代ではない。しかも一口に『王族』とは言ってもピンからキリまでだ。公務に勤しむ者もいれば、会社を経営している者もいる。護衛に囲まれなければ出歩かれない人物もいれば、気さくにタバコを吸いながら売店で新聞を買うような人物もいる。
問題なのは節度だ。一般常識として許されるより多少厳しい、かと言って世間知らずではない、庶民的なお嬢様程度に周知させておけば、よほどでない限り問題ない。コゼットは日本で生活するボーダーラインを、そう定めている。
「あと、部長って酒は強いみたいですけど、大丈夫なんですか? 地出さないかって意味で」
「まぁ……さすがに気が緩みますから、あんまプリンセス・モードしか知らない方々と飲みたくねーんですけどね……」
十路に言われてコゼットは顔をしかめる。
飲む時は飲むが、普段あまり嗜まない。部活の顧問宅で一緒に飲むことがほとんどだ。
丁寧ヤンキーとでも呼べる地の性格を見せても、問題ない人物としか飲まない。要するに、気を許せない。
だがそうも言っていられないと、身を沈めたばかりのソファから、コゼットは身を起こす。
「大学内の人付き合いも、多少はしとかねーと面倒ですし、ツラだけ出すことにしますわ……早上がりしますから、部活のこと、お願いしますわね」
さすがにTシャツ・ジーンズで顔を出すには問題がある。夏場で汗をかいているから、シャワーくらいは浴びたい。登校する時は軽くしかしないが、多少は化粧する必要もある。
一度マンションに帰るため、十路に言い置き、活動することなく部室を後にした。
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(ヤベェ……)
興味がないのに義理で顔を出す程度なのだから、別段合コンでモテようなどとは思っていない。むしろ大事にしたいのは、顔見知りの女性陣に対するイメージだ。男性陣と会うのはこれが最初で最後になるだろうが、同じ学校に通う女性陣とはこれまでも顔を合わせるのだから、パーフェクト・プリンセス像を崩すわけにはいかない。
だからコゼットは、王女らしく露出が少なく、清潔感に溢れて清楚な服装をチョイスした。白のフリル付きブラウスに、薄いピンクのフレアスカートという、民放女子アナウンサーを連想する恰好に。
(これならもっとハデ目の恰好か、ギッチギチのビジネススタイルで来るべきでしたわ……)
しかし今、後悔していた。この合コンにかけているのか、他の女性陣も同じ方面で攻めるファッションだった。そのような恰好は男ウケがいい。清楚系女子は男の子永遠の憧れなのだ。
つまり、素材の違いをまざまざと見せつける結果となっている。決して彼女たちが不細工というわけではない。しかし美容整形外科に行こうものなら門前払いをくらいそうな完璧黄金比の持ち主で、しかも多分日本人男性永遠の憧れ・金髪美人ともなれば、比較するのが可哀想になってくる。
「コゼットちゃんって、日本語ペラペラだね」
「留学生でもここまでしゃべれるのって、すごいよ。日本に来て何年?」
「あ、ビールもう空けちゃったの? 次なに飲む?」
「ほらほら、遠慮なく食べて」
自己紹介と乾杯が終わった直後、男連中はコゼットの両サイドを陣取り、気を惹こうとしてくる。
「人選間違ってない……?」
「男をおびき寄せるエサにした罰じゃない……?」
「ゴメン……ほんとゴメン……こうなる想定をキレーに忘れてた……」
女性陣たちは格の違い思い知り、大後悔時代を迎えていた。嫉妬することすら忘れたように、どんよりオーラを放っている。
コゼットは、自分が異性の目を惹くことを理解している。自惚れではなく事実として、並み以上の魅力を持っていることも認識している。
男性だけでなく女性の目を惹くために、女を磨く努力を行っているのだから。しかし美や恋愛感情への執着、自己満足からではない。彼女が自分を飾るのは、鎧だからだ。《魔法使い》というただでさえ不安視される人種であるため、好印象を与え、悪意をから身を守るための、一種の処世術でしかない。
「いえ、そんな、お気を遣っていただかなくても……」
だから、『姫』状態なことを少々困惑した体で受け流しながら。
(ウゼエエエエェェェェッ! 男どもチョーウゼー! 野郎はべらせる逆ハー趣味ねーっつーの! 空気読んで他の女どもに気ィ遣いやがれ! そっちのほうが落とせるチャンスだろぉが!?)
心で罵声を上げていた。表情筋は完璧に制御されているので、おくびにも出さない。
(しかも、よりによってカラオケボックスで合コンたぁ……都合悪いですわねぇ)
半密室に入っているのは、都合が悪い。
多人数であるため、『そういう心配』はあまりしていない。万一懸念が当たって飲み物に睡眠薬を混入されても、空間制御コンテナはトートバッグに入れているので、《魔法》を使えばなんとかできる安心がある。
問題は、この空気の中に居続けなければいけないこと。他の席から伝播してくることもない。
キラキラした一角と、どんよりした一角が同居する、この空気から逃げ出すことができない。
「どなたも歌っていらっしゃらないようですがから、僭越ながらわたくしが先陣を切らせていただきます……」
あまりにも気まずくなり、コゼットは料理が埋め尽くすテーブルから、端末を取る。歌はあまり得意ではないのだが、男の囲いから逃げ出す意味もある。
(ちったぁ泥かぶって女性陣の機嫌取っておかないと、学校でめんどいことになりそうですわね……それにしても、なに歌いましょう?)
しかし選曲で頭を悩ませる。このメンバーならば耳にし、歌うこともあるだろう、J-POPは選考外だ。音痴でないとは信じたいが、大学で『王女様って見た目は完璧だけど、歌は……ぷぷっ』などと噂させるのは勘弁したい。
外国人からすれば自国の曲でも、日本でのジャンルでは『洋楽』とされる曲を選び、外国語の発音で誤魔化す手もあるにはある。しかし聞き慣れない曲をその言語で歌うと、男性陣の気を惹くような気をする。国際化が進んでも、日本人は洋物に弱いのだ、多分。
(男どもを引かせるために、アニソンかボカロ曲でも歌うかぁ? いえ、むしろ『男の趣味に理解ある女』って思われそうですわね……?)
そういった曲は歌える。支援部員は《魔法》のイメージトレーニングとして、アニメも結構見ているので、正確は覚えていなくても、歌詞を見ながらであれば歌えたりする。
(デスメタとかド演歌とか選曲したら、ドン引きさせられそうですけど、さすがに歌えませんし……あー、どうしよ? 丁度いいくらいに男どもを引かせる曲って……歌いやすいですし、アレ行くかぁ?)
悩んだ末、タブレットにある曲のナンバーを打ち込み、コゼットはマイクを手にステージに立つ。
曲は予約の必要なく、すぐにシステムから取り出される。童謡や牧歌のそれとは違うが、どこか懐かしさを感じるメロディーが流れ始めた。
歌詞を表示する画面に表れた、その曲のタイトルは。
――情熱をなくさないで(Joshinバージョン)
関西圏に住んでいれば知らない者はいない、しかしサビを聞かなければわからない、家電量販店のCMソングを王女様は熱唱した。
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(どーしてわたくしが気ぃ遣わないとならねーですのよ……)
コゼットが体を張った結果か、空気の悪さは多少は持ち直した。男性陣も他の女性陣に気を遣い、空気作りに努めるようになった。
ちなみにCMソング熱唱はやや受けだった。そのチョイスに『面白い留学生』レベルに評価を下げたような気がするが、その程度の結果ならばよしとする。
(にしてもまぁ……マンガみたいな連中って、リアルにいるもんですわね……わたくしもあんま人のこと言えねーでしょうけど)
アルコールを摂取しながら、《魔法使い》のプリンセスは、男性陣を視界の隅で品定めする。
自己紹介で、彼らの身元は聞いた。全員が大学四年生で、卒業という人生の岐路に立っているが、既に進路が定まっているから、合コンに参加する余裕もあるらしい。
紹介の内容はなかなか凄かった。誰もが聞いたことのある会社社長の御曹司。世界的活躍もしている有名俳優の息子。司法一家の一子で法学部をトップ卒業見込み。医学部を卒業すれば実家に戻る大病院の跡取り。
しかもタイプは違えど、全員美男子と言っていいだろう。一般人が思い描く『王子様』がここまで揃っているともなれば、友人たちが隠し玉を繰り出してでも、合コンをセッティングする理由は理解できる。
(薄っぺら……)
コゼットの評価は、その程度だが。
理想が超高層なのではない。隣に座る男性陣が語る内容が、自己紹介の補強か、コゼットを知ろうと根掘り葉掘り聞いてくるからだ。
そもそもそれほどご大層な肩書きを知ることができてしまえる段階で、コゼットにとっては減点対象に当たる。自分で語るのは自慢になるから当然のこと、周囲の『実はこいつ……』という紹介にも否定がなかったので、中身はない人物と判断して冷めた目を向けている。
そしてコゼットのことを知ろうとするのは、大きなマイナスになる。
身分と脳の先天性異常、生まれ持っているものを彼女は嫌っている。いくら望んでも捨てられるものではないから、生かす方向性に努力しているが。
(《魔法使い》で王女なんつったら、どー反応変えますかしら……?)
本当の彼女を知った相手が対応を変えるのは、ほぼ確信している。《魔法使い》に対する恐怖と、王女という身分への畏怖は、大学内でも今のような認識をさせるまでなかなか大変だったのだから。
わざと知らせるような悪戯心は出さないが、期待は最初からしない。
例外で男は今のところ、二人しか会っていない。
デュエット曲が終わった。おざなりな拍手と歓声が上がるのに合わせて、コゼットもコップを置いて手を叩く。
この場においてカラオケで歌うのは本題ではない。女性陣はイケメンと身を寄せて同じ歌を歌うだけで満足するのだ。それ以上にお近づきになれたらという野望もあるだろうが。
そして男性陣にとっても。小さなステージを降りた男は、自分の飲み物を持って、コゼットの隣に腰掛ける。それまで座っていた男は、席を移動している。どうやら男性陣の間で、滅多に会えないだろう上玉相手は、ローテーションという取り決めがなされているらしい。
(女慣れはそこそこしてるようですけど、女遊びはそこまでしてねーよーですね……)
男性陣は誰も彼も、白い歯が光りそうな笑顔を向けてくる。自分の魅力を魅せるために、練習を重ねたか場数を踏んでいる笑い方だ。
とはいえ物理的な距離は近いが、馴れ馴れしく肩や腰に手を回すようなことはしない。
むしろだから困っているのだが。手を出されれば不快感を露にして逃げ出してしまえるが、中途半端に紳士的な態度を取られると、無碍にも言い訳にもできない。
「コゼットちゃんって、どんな男がタイプ?」
「そうですね……ご説明するのは難しいですね。一言で説明するために、月並みなことを申し上げれば、いざという時、わたくしを守ってくださる男性でしょうか?」
「お! じゃぁなにか困ったことがあったら、俺に連絡してよ」
「ふふっ……その時は、頼らせていただきますわね」
興味のない話に、無難な相槌と返事をしながら。
(あーハイハイ実行不可能なこと言うんじゃねーですわよ。リアル戦場に来いっつったら来るか? ぜってー逃げ出すだろ?)
心の中では蔑む。
彼女が自分ひとりで対処できない状況など、《魔法使い》でも乗り越えがたい命の危機か、高度に政治的な問題が絡む場面だ。一般人には到底踏み込めないし、問題解決能力がある者でも、容易に踏み込むのは躊躇するはず。
実際にそれらの問題が起こった時、なんでもない顔で踏み込んで、助けてくれた男は存在するが。
(やっぱ、比べてしまいますのよねぇ……)
背は大して高くない。顔は普通どころか目つきの悪さの分マイナスになる。愛想はなくリップサービスなど期待できない。金遣いは良くも悪くも普通の学生レベルに収まるだろう。
この場の男性陣と比べたら、なににおいても平凡になるはず。凌駕するのは戦闘能力くらいだが、日常生活において発揮されない能力だ。
だが一緒にいるのは決して嫌ではない。多弁な人間ではないから、部室で二人きりになると沈黙することも多いが、別に気まずさは感じない。軽い口ゲンカ程度ならよくあるが、王女の仮面を被って気取る必要もないから、一緒にいるのは気楽ですらある。むしろ多少は飾らなければならないかと不安になることすらある。今日のように、足を広げて座っていた時など。
内心ため息をつきながら、度数の高いカクテルを飲んで、無益で退屈な時間を我慢する。
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時間は過ぎ、ひとまず解散となり、カラオケボックスを出ることになった。
(おぇぇ……飲みすぎた……いつもなら、あのくらいじゃ酔っ払やぁしねぇのに……)
味ではなく精神的な問題で、あまり美味くない酒を重ねたせいか、コゼットは足元がおぼつかなくなっていた。道の端にしゃがみ、ハンカチを手に当てて、こみ上げるものを我慢する。
どうやらあまり感知していない間に、男女それぞれで二次会を行うなり、送っていくなり、決定してしまっているらしい。他の女性陣担当になった男たちは、コゼットを高嶺の花と諦めたのか、それともジャンケンにでも負けたのか。
「大丈夫?」
栄誉か不明だが、コゼットの担当となった男が、背中に触れてくる。
飲み会の様子では下心ではなく、純粋に心配してのことだろう。しかし瞬間、嫌悪感が湧いた。
(ヤベ……! 帰れないかも……)
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「用心して来てみれば……」
【トージ。アレ放置して帰りませんか?】
「気持ちはわからんでもないけど、そうもいかんだろ……あの様子だと、部長が王女サマだって知られていないみたいでし、下手すればお持ち帰りされるぞ」
【それはそれで面白いことになりそうですが。やることヤった男がコゼットの正体を知ったら、どういう反応をするでしょうか?】
「想像したら、全然笑えない……」
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当然、三分間料理を開始しそうなアップテンポな音楽が鳴り響く。コゼットはおぼつかない動作で、のろのろとトートバックに手をやる。
だが電話に出るより前に、エンジン音が近づき、背後で停止した。
「部長。こんなところにいたんですか? 人を呼びつけておいて、道端で寝ようとしないでくださいよ」
振り返ると、修交館学院高等部の学生服を着た男がいた。
フルフェイスヘルメットで顔は隠れているが、怠惰な雰囲気を持つ平坦な声を、聞き間違えるはずがない。彼が降りたオートバイも、ほぼ毎日見て会話しているのだから、酔いで像が歪んでいても間違えない。
「はれ……? 堤ひゃん……?」
彼が手にしていた古くさい携帯電話のボタンを押すと、スマートフォンからの音楽も止まった。十路からの着信だったらしい。
「ほら、マンション帰りますよ」
「きゃっ!?」
自分のバッグを抱えさせられた途端、体が後ろに倒された。尻餅をつく前に膝の後ろに腕を入れられ、体が軽々と抱え上げられた。突然の浮遊感に、暴れることも首にしがみつくこともできない。女性陣の間から、悲鳴とも黄色い声ともつかない声が上がったことに、ボンヤリ『明日ツッコまれたらどう言い訳しよう?』と考えた程度だ。ただただ身を固くして、十路に大人しくお姫様抱っこされた。
いつもやっている後輩もいるが、スカートでオートバイを跨がされはしなかった。両足を左のアタッチメントに乗せ、リアシートに横乗りで座らせられた。危険運転に当たるはずで、違反にならずとも警察に見つかれば注意を受けかねないが、彼は構う様子がない。
ジェットタイプのヘルメットを被せられ、顎紐を締められるのも大人しくしておく。どこからかロープを取り出して、体を結ばれ十路と連結されるのにも、特別疑問を抱かない。酔いで頭が働かないのもあるが、オートバイに乗り慣れた彼に任せたほうがいいと理解している。
「お、おい……お前、なんだ?」
テキパキと撤収準備を進める十路に呆気に取られていたか、ようやくコゼットを介抱しようとしていた男が問うてきた。
どう答えたものかと、しばし悩んだ様子を見せて。
「この人の……後輩兼、保護者?」
疑問形でそれだけ言って、十路はオートバイのスタンドを蹴り上げて、発進させた。
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なぜ《バーゲスト》に乗せられ、十路の背中に寄りかかっているのか。
霞がかった意識とろれつの回らない舌で、走り始めてから、コゼットはヘルメットに仕込まれた無線越しに問う。
「わたくし……迎え、お願いしましたっけ……?」
『覚えてないんですか?』
「覚えてない……というか、覚えがないんですけど……?」
『しっかりしてくださいよ』
問いに答えていない返答のような気がするが、まぁいいかと流す。記憶を探るのも、ツッコむのも面倒だった。
「わたくしの電話を鳴らしたのは……?」
『あんな人前で部長をかっさらったら、下手すりゃ通報されるでしょう? だから知り合いだって知らせる意味で鳴らしたんですよ』
「用心深いことですわね……」
『部長だってそのほうがいいでしょう? 知らない男に送ってもらったって説明するより、部活の後輩のバイクで帰ったってほうが、変な勘ぐりされないでしょう? 同じ場所に住んでるんですし』
「それもそうですわね……」
いらぬ緊張を強いられる必要もなくなり、体の間に挟まれた荷物を押しつけて、背中に強く身を寄せる。服越しに見るよりもずっと逞しい感触が、ジャケット越しに感じられる。
(後輩兼保護者ね……ほんと、普段は素っ気ないくせに、いざって時には……)
やる気なさげで、無関心で、ぶっきらぼうで、理屈屋で、素直じゃなくて。
(こういうことされたら、参っちゃうじゃないですのよ……)
なのにお節介で、助けてほしい時には現れてくれる、頼りになる後輩。
『部長』
ただし空気を読めず、デリカシーのなさを発揮されるのには、時々辟易する。
『背中でゲロ吐くのだけは勘弁してくださいね』
「…………」
これだから、あと一歩が踏み込めないのだ。彼に依存してしまうことを恐れるよりも前に、冷める。
ヘルメット同士の衝突では、効果がないのはわかっていたが、コゼットは頭突きをかましておいた。




