あまりにアレで概略説明になっていないボツ原稿供養:樹里編その2
木次樹里は本日、学校を休むらしい。
「それで? 理事長? なんで朝から俺が呼び出されたんですか?」
総合生活支援部の面々が暮らすマンションの最上階、彼女が暮らす部屋に呼び出された堤十路は、玄関に出てきた顧問である長久手つばめに憮然とした顔を向けた。
《治癒術士》と呼ばれる医療技術を持つ《魔法使い》の彼女が、病気になることもあっても不思議はない。病気でなくとも、女性なら色々とあるだろう。高校一年生ともなれば、そういう性徴が起きていても不思議はない。だから学校を休むのも、仕方ないであろう。
しかし十路が、登校前に呼び出される理由がわからない。休む理由が怪我であれば、戦場での応急処置を知っている彼が呼ばれるのも、まぁ理解はできなくもない。《治癒術士》ならば自分であっという間に治療できるだろうから、やっぱり出番はないと思うのだが。だとしたら本当に呼び出された理由がわからない。
「今回はちょっと手ごわそうでね。わたしじゃ手に負えなさそうなんだよ」
「はぁ……」
「まぁ、上がってよ」
中途半端にスーツを着替えたつばめに導かれ、首をひねる十路もスニーカーを脱ぐ。
話ついでに食事に呼ばれることがあるので、部屋に上がるのは初めてではない。家具やインテリアは見知ったものだ。しかし上がったことがあるのは、リビングまで。あとはせいぜいトイレくらいか。それ以上はさすがに女二人が暮らす場に踏み入ったことはない。
つばめが先導するのは、十路が入ったことがない、廊下奥の部屋だった。
通常のマンションとは異なる贅沢な作りで、他の階はワンフロアに二部屋だが、最上階の五階は丸々ひとつの世帯になっている。だから十路が暮らす二階の部屋とは造りが異なっているため、わからない。
「あの……中になにが居るんですか?」
だが目の前の光景は、造りどうこう以前に異様だったため、十路は疑問を口にした。
壁にアンカーが打ち込まれ、引き開きであろう扉の前に、太い鎖が張り巡らされている。一般のご家庭では絶対に存在しない光景だった。
そして扉越しに判然としない音が聞こえる。
「ジュリちゃんだよ……」
疲れた様子で、つばめが音を鳴らして鎖を外していく。
ということは、ここが樹里の部屋だろう。
見た目には普通の、どこにでもいそうな女子高生である彼女だが、実態はとんでもない。稀少人種《魔法使い》であることに加えて、必須のはずの《魔法使いの杖》を持たずに《魔法》を使える異能を持つ。
こんな拘束など、それらしい《魔法》を使わずとも力づくで突破する。見たところ電流を通している様子もないので、気休め以上の意味があるはずはない。
彼女が学校を休むのには、相当な理由があるらしいと十路は察する。
「いい? 今から開けるけど、飛び出してくるかもしれないから、その時は取り押さえてね?」
「あの? 木次ですよね?」
「ジュリちゃんだけど、そう思わないこと」
やや強い口調のつばめに、十路は戸惑いながらも、気を引き締める。
真顔で彼女がカウントする。心の中で三数えると十路が前に出て、一気に開かれた入り口から部屋に飛び込んだ。
シャンプーや化粧品といった人工物に、わずかなミルクが混じったような、複雑な空気を吸い、身構えて様子を確かめる。
朝だから視界には困らないが、いまだカーテンを開けられないため薄暗い。机とテーブル、やたら中身が充実している本棚とベッド、女の子の部屋としては物が少ないため、様子はすぐに確かめられる。
部屋の真ん中、テーブルの脇に、こんもりと小山が鎮座していた。かすかに身じろぎし、離れていても聞こえるほど荒い息を吐いている。
十路は『キレる』という言い方をするが、樹里の異能は時折暴走をする。感情の針が振り切れると我を失い、敵味方の区別なく暴れる危険状態になる。
つばめの警戒ぶりに、今回もそれかと思っていたのだが。
「ふぇ……? つつみ、せんぱい……?」
弱々しいが、思ったよりしっかりした声に、違うと判断した十路は構えを解いた。
ベッドで寝ているのではなく、フローリングの床へ座っているのに疑問を覚えたが、熱でも出して毛布を被っているのかと思った。
「木次、どうした? 大丈夫か?」
「や……!」
無造作に近づこうとしたら、小山が激しく動いた。どうやら十路を視界に入れないよう、毛布の中で背中を向けたらしい。
特別な感情を抱いているわけではないが、それでも親しいと呼べる相手だ。そんな彼女から明確に拒絶されたことに、少なからずショックを受けたが、感情を出さないよう十路は気遣いをかける。
「本気で大丈夫か?」
「らいじょぶれす……すぐに、落ち着きますから……先輩は外に……」
樹里は荒い息を吐いている。口調にも熱を感じるため、あまり大丈夫だとは思えない。
入り口から踏み込まないつばめが、まだボサボサのショートヘアに触れながら説明する。口調はどこかウンザリしているが、慌てている様子はない。
「女の子だからね、体調のバランスが崩れる時があるんだけど……ジュリちゃんの場合はひどいんだよ」
「はぁ」
おおよその予想通りではあった。だがそれだと、余計に十路が呼び出された理由がわからない。月のものが重くても、男の十路がどうすることもできないし、同性でもできることなど知れているだろう。あまり詳しくない過去の経験から、そっとしておくのが一番だと考えてるから、手出しする気もない。
「一言で言えば、発情期みたいなもん」
「は?」
予想を裏切る追加の説明に、十路は怪訝顔で振り向いた。
「だからオトコ連れてきたら、なんか色々と発散できないかなーと思ったんだけど」
「いや、あのですね?」
さすがに十路にもデリカシーがある。一応は考えて言葉を選んでから拒否した。
「学校の責任者が不純異性交遊を勧めるの、問題だと思うんですけど。性欲発散の方法知らないとかなら、女同士でレクチャーしてもらえません? 通販があるんですから、大人のオモチャ買ってこいとかもなしで頼みますよ?」
「違います……!」
毛布の中で怒気が膨らんだ。堤十路一八歳。言葉を選んでも、全くデリカシーがない大間違いを犯した。
「発情期じゃないれす……」
このままつばめに任せておけば、不名誉なことになると考えたか。樹里が熱っぽい口調のまま、くぐもった説明をする。
「体、特殊だから……生き物の遺伝子情報が、無性に取り込みたくて……一日二日、我慢してたら、らいじょぶです……」
いつもの彼女に比べたら、話が全くまとまっていない。だが内容は理解できた。
彼女は体の一部を、動物のものに変化させられる。肌を鱗やキチン質に変えて防御を固め、猛獣の足や類人猿の腕にして身体能力を上げ、鉤爪や毒を作って素手の殺傷能力を上げる。
どういった仕組みでそんな真似が可能なのか、わからない。だが変化させるのに、他の動物の遺伝子情報が必要なのは、想像はできる。
取り込む必要があり、そんな欲求があるとは、想像もしなかったが。
十路は無表情に振り返った。
「どこが発情期ですか」
「遺伝子情報」
二九歳独身女が十路の下半身を指差した。そんな行為を躊躇しないところが、結婚できない理由ではないかと彼は考える。男はいくつになっても夢見がちなのだ。女性は特定人物つまり自分に対して以外貞淑であることを望むのだ。エロは大好き。フェロモンむんむんなエロい女性も大好き。でもあまりにオープンエロな女は引く。
不意に十路の視界隅で、なにかが動いた。それに陸上自衛隊特殊隊員としての経験が、反射的に体を動かした。半歩立ち位置を変えて、目の前を通り過ぎようたものを素手で掴む。
十路の手中で、それはビチビチと身を震わせる。鱗が生えそろった皮に覆われた目のない蛇が、口を開けて牙を見せつけ舌を激しく鳴らしている。
その体が伸びる先を目で追うと、樹里が包まっている毛布に続いていた。元は手か足かどこかは不明だが、細胞を改変して配置も変えた、彼女の体の一部に違いない。
「はぁ……! はぁ……!」
空調の効いた部屋なのに、冬場の呼気のように、毛布の隙間から白い蒸気が噴き出している。タイミング的には彼女の荒い呼吸と一致している。
いつこちらに姿勢を変えたのか、毛布の隙間から彼女の目が覗いている。黒目がちな愛らしいどんぐり眼なのに、今は日中の薄闇に、金色に輝いている。彼女が暴走状態になる時の証だ。
(ヤバイ……)
さすがに彼女の状態に、十路も危機感を抱いた。殺すつもりならいくらでも手はあるが、殺さずに無力化するとなると、手は限られる。しかも今は装備がまったくない。
だからなりふり構わず蛇身を投げ出し、部屋から撤退しようとした。
しかし先じて、扉が音を立てて閉まった。
つばめが部屋を出て、十路を閉じ込めた。
「アンタなにやってる!?」
『だからぁ。最初に言ったでしょ? ジュリちゃんなんとかしてって』
「どうしろと!?」
扉の向こうからは声だけでなく、鎖の音がする。勢いをつけて肩からぶつかったが、一足遅く破れない。
鎖はこのためだったか。異能を持つ樹里を、あの程度で閉じ込められるはずはない予想は正しかったが、十路を閉じ込めるためだとは考えもしなかった。
『ほーら、想像してごらん? そこにいるのは発情してる獣人少女だよー?』
「間違いじゃなくても大間違いだ!?」
『エロマンガでよくあるシチュエーションでしょ?』
「今の状況はホラー寄りだ!?」
何度体当たりしても、激情をわかりやすく示す以上の効果はない。ここは《魔法使い》が暮らすマンションだ。敵からの攻撃を警戒し、一番外側には装甲版が埋められ、使われているガラスは全て高レベル防弾ガラス。完全気密で水も空気もフィルターを通して屋内に引き入れ、万一ガスが流入されても、階ごと部屋ごとに密閉と排気が可能。給電設備も完備しているから篭城だってできる。
地下に作ってシェルターにしていないのが不思議なくらいの要塞なのだ。閉じ込められれば、生半可な手段では脱出不可能になる。
「え゛」
薄暗い部屋なのに、影が差した。それに気づいて十路は動きを止めた。
樹里は日本人女子平均身長で、十路よりも頭ひとつ小さい。なのに影は彼の体を完全に覆う形で、壁と扉を薄黒く染めた。どう考えても大きすぎる。
特別目を惹くレベルではないが、樹里もそこそこには可愛らしい。支援部員は外見要素はピカイチしかし性格破綻者が集まるアマゾネス集団なので、一番女の子らしく安心できる少女だ。
かけられたのが甘ったるい声ならば、いくら色恋沙汰に心を動かさない十路といえど、なにか感情を生み出すかもしれない。
「ゼ、ン゛、バ、イ゛……」
しかし猛獣の呻りを連想する声で、しかもなぜか頭上後方から聞こえてきたら、そんな感情は露ほども湧き出ない。
人間の肺活量を超えている気がする生臭い息が吹きかけられる。背後に触覚で熱を感じるような気がする。シュルシュルニュルニュルグチュグチュとなにか蠢いているような音が聞こえるような気がするようなしないような。ポタリと水滴が髪に落ちてきたが、きっと季節はずれの結露か水漏れで、なにかが大口を開けてヨダレが垂れたという想像は否定したい。
経験したことのない得体の知れなさに、十路は心が萎えそうだった。ちょっと泣きたくもなった。
しかし彼は《騎士》と呼ばれた男だった。どんな逆境にも耐える不屈の精神の持ち主だった。鎧も盾も剣も騎馬もない。だが心に忍ばせた刃だけは、いまだ健在。
「なぁ……木次? 落ち着け? まずは話でもしよう……」
十路は心を奮い立たせ、そっと後ろを振り返った。




