いつか見た風景
いつか見た風景。
荒野を歩く人。
その人の名は死神、本当は違うのだろうけど、
そう呼ばれて久しいからその人も忘れてしまった。
だから私はその人を呼ばない。
荒野を歩く人、その心は誰より優しいから、
その人は仕損じない。
私はそれが悲しいより哀れ。
私は荒野を渡る風。小さな蝶。
その人の目には世界は荒野、
だから私は荒野を渡る風。
いつか見た風景。
海辺を歩く人。
時折海の彼方を見ては悲しげな瞳をする。
還りたくても還れないから。
時折海の彼方を見て、そうしながら海辺を歩く。
砂浜を歩く。
岩の浜を歩く。
木の隙間から海が見えることもある。
そして、大地を巡って元の場所に戻ってきて、
その人は絶望の声をあげる。
いつか見た風景。
海へ向かう人。
安らかさと絶望にまみれて波間に消える人。
その人のその先を、私は知らない。
私は海辺を渡る風。1羽の海鳥。
海に還りたいその人を愛しく思いながらも、海に還してあげることなどできないのだ。
いつか見た風景。
山を登る人。
あきらめずにただ、山をよじ登る人。
その人は下りたくないのだ。連なった山脈、頂から頂を目指すとき、なんとも憎憎しげな顔をする。
その人は壁がないと落ち着かないのだ。目の前の壁に挑んでいるときだけ、その人は生き生きと輝く。
やがて山脈で一番高い山の頂にたどり着き、
その人はがっくりと肩を落とす。
次にその人が見上げるのは、空しかなかった。
その虚無。その遠大。
その人は笑った。
いつか見た風景。
山の頂で空を笑う人。
私は山を渡る風。疾る山リス。
その人の笑い声は、すがすがしいのに空っぽで、怖かった。
まるで雲1つない青空のようだった。空色よりも深い色。その虚しさ。その遠さ。
いつか見た風景。
穴を掘る人。
色々なものが掘り返される。子供の宝物。大人の秘め事。
けれどその人は何物にも心動かされず、ただただ穴を掘る。
その人は殺されかける。その人は感謝される。罵倒され、賛美され、全てを無視してその人は穴を掘る。
岩があり、水脈があり、穴を掘る。いつかその穴が湖になっても、水底でその人は穴を掘る。
周りの人々は溺れて死んで、遠巻きに人は囲んでいる。
そのうちにその人は忘れられて、深さと広さを増し続ける湖だけが残される。
私は大地を渡る風。泳ぐ白蛇。
誰にもその人の心はうかがい知れない。その人はずっと、今も、水底で穴を掘り続ける。
その人の掘った穴は湖になり、その人がどかした大地は山となった。
いつか見た風景。
進み続けることにこだわり続けるその人。
それは哀しく凄く、涙に変わる。
いつか見た風景。いつか見る風景。
それは時には痛みに変わる。