異心電心
午後5時。
30分程度前に夕立があったことなどなかったかのように、教室には赤い夕日が差し込んでいた。
中部蜜柑は窓際最後尾である彼女の席に腰掛けていた。腰まである長い髪が印象的な華奢な少女である。この学校の制服である黒で彩られたシャープなデザインのセーラー服が彼女にはよく似合っていた。
放課後になった学校は彼女にとってよい居場所であった。
彼女は赤い夕日がもたらす黄昏の光景が好きだった。彼女は人の欠けた人の香りがする場所が好きだった。彼女は一人で思考に耽れる時間が好きだった。だから部活に所属してないにも関わらず、彼女は未だそこにいた。
教室のドアが開く音がした。
教室の後ろの扉が開き、ふんわりとしたウェーブパーマの女の子が教室に入ってくる。身長は高校生にしては低い130cm程度。丸い眼鏡を掛け、顔つきが緩い。中部蜜柑とは違いその制服は彼女にはまったく似合っていなかった。
「ミカンちゃん」
彼女はそう蜜柑に話しかけた。蜜柑は一瞥もせず、窓の外を見ている。
無視されたことに、彼女は何の印象すら抱いていないようだった。足を蜜柑の席に向け、のんびりした調子で彼女に近づいてくる。
「お仕事よー、ミカンちゃん」
蜜柑の傍まで彼女は近づきそう言った。
蜜柑が声のほうへ顔を向けると、眼鏡顔の緩みきった笑顔が彼女の視界に入り込んできた。
「カゲ」
ようやく彼女は口を開いた。どこか呆れたようなかったるいような顔をした蜜柑の顔だったが、眼鏡の彼女は表情ひとつ変えてはいなかった。
蜜柑はこの少女の名前を知っていた。同級生の陰山伝鹿だった。彼女の一人の時間を邪魔した伝鹿の存在より、この後あるバイトの内容が彼女の脳裏をよぎり少しだけ彼女の機嫌にひびを入れた。
「ミカンちゃん言うな」
「あう」
蜜柑のでこピンが伝鹿の頭に炸裂する。とろくさい調子で伝鹿は仰け反った。
「いたた…」
おでこをさそる伝鹿だったが、蜜柑はそんな彼女を無視し、黒い通学鞄を肩に掛け、席を立ち上がっていた。
「で、今日の行き先はどこだっけ?」
「さっきメールしたじゃん、ミカンちゃん。読んでよちゃんとー」
蜜柑は伝鹿を一瞥したが、すぐに教室出口に視線を向けた。
「確認よ。東棟2階廊下でしょ」
「うん、あって…あー待ってよ、ミカンちゃーん!」
さっさと自身の教室を後にする蜜柑に対し伝鹿がたどたどしい様子でついていく。
誰もいなくなった教室に赤い光のみが残されていた。
中部蜜柑は長身である。それに加えて足が長い。さらに歩幅まで広く、歩みに迷いがない。
一方で陰山伝鹿の身長は低い。足は身長からすれば短くはないと言えるのだが、歩幅は狭く、何よりとろくさかった。
それ故に2人で歩いていても自然とそのペースは合うはずもなく、伝鹿が蜜柑を追いかける形となるのが常だった。
「ミカンちゃん。単独先行は良くないよ」
「あなたが遅いだけでしょう」
彼女らが日常的に関係をもつようになって1ヶ月。お互いに気はついてはいないがそれなりに気を許し始めていたせいか、こういった会話が日常的に出るようになっていきていた。
「ミカンちゃんが速すぎるんだよ、歩くの」
伝鹿はそう文句をたれても、一向に蜜柑の歩く調子は変わらなかった。
むくれた面であったが蜜柑についていくため、少しだけペースを上げて歩こうとした伝鹿だったが
「った…」
蜜柑の背中にぶつかった。
「突然止まらないでよミカンちゃ」
「お喋りの時間は終わりよ、カゲ」
鼻を押さえながら伝鹿が目の前の廊下を見ると、そこには大きな獣の姿があった。
その大きさは大型犬程度。犬のような狐のような様子の獣だったが、尻尾らしきものが3本程度、足が6本生えており明らかにその形状は犬でも狐でもなかった。何よりもこの獣、光を放っており体から火花をも散らしている。
「あらら」
伝鹿がのんきな声を漏らした。目の前の光景に物怖じひとつする様子すらなかった。それはある意味で彼女らしからぬ光景だった。
「じゃ、気をつけていってらっしゃい」
余裕を持った調子でそう蜜柑に言うと、伝鹿は背中をポンと押した。
その瞬間、鞄は宙を舞っていた。
走り出した蜜柑は獣にのみ照準を合わせる。力が篭る彼女の右手には、黒い筒が握られていた。
狩人の目をした少女は筒を振り上げ、獣に向かって振り下ろす。筒の先から爪のついたワイヤーが伸び、獣に鋭く向かった。
獣はそれを察知したのか後ろにすばやく飛び跳ね、同時に蜜柑に向かって突進を仕掛ける。
しかし蜜柑もそれには動じない。彼女は足を止め、獣を注意深く見、左に跳ねた。
視界の淵で黒い影が風を舞い起こすのが、彼女は知覚した。
先ほど蜜柑のいた場所には、獣の鋭い牙がその身を引き裂かんばかりに伸びていたのだ。
「…っ!」
間一髪で避けた蜜柑だったが、刺さるような軽い痛みが右手の甲に走る。それとほぼ同時に筒の落ちる音が廊下に響き渡った。
「ミカンちゃん!」
伝鹿が叫ぶも
「大丈夫」
そう自分にも言い聞かせるように静かに蜜柑は言い、さらに左の廊下の壁を蹴り、そのまま走り抜ける。
伝鹿から見て廊下の奥、つまり獣の背中側に着地した。
蜜柑、獣、伝鹿がまっすぐに並ぶ形となったその時だった。
「カゲ!」
蜜柑が叫び、向き直って右手を獣の方に向けた。
「はいっ!」
それに呼応し、伝鹿も右手を獣の方に向ける。
蜜柑と伝鹿、二人の手から光が放たれた。二つの光のエネルギーは一直線に獣に向かい、周りを巻き込んで盛大な光と火花を散らす。
それは紛れもない電撃だった。
勢いのいい発砲音が鳴り響き、獣に直撃した。その姿は電撃に紛れてほどけるように霧散していく。
「!」
驚きを示すような獣の顔だった。しかしそれも一瞬の間の光景。
そして獣の姿は完全に消え、蜜柑の電撃は伝鹿の右手に吸い込まれ、伝鹿の電撃は蜜柑の右手に吸い込まれていった。
そこにはもう先ほどの非現実的な光景はなかった。平情と変わりない放課後の高校の廊下があっただけとなっていた。
「ふぅ…」
伝鹿が安堵の息を漏らした。
「呆気なかったわね」
蜜柑は筒を拾って、ボタンを押した。掃除機のコンセントを収納するような形でワイヤーは筒に吸い込まれた。
「ミカンちゃん、大丈夫?」
「どうってことないわ、これ位」
彼女の右手の甲には1cm程度の小さな火傷のような跡が残っていた。
その跡を見て蜜柑は舌打ちをする。それは決して痛みや傷から生じたいらつきではなかった。
「今日はこれでお仕舞いなの?」
伝鹿に蜜柑はそう問いかけた。
「うん、センサーに反応したのはこの子だけだよ」
伝鹿もそう返す。
彼女たちが片付けたのは「雷獣」と呼ばれる奇怪な獣だった。雷が発生した夕暮れ時から夜間にかけて発生する正体不明のモノである。
体中に電気を宿し、吠えることも縄張りを主張することもなく、ただ感知した動くものを獣の動作で襲う物体。
彼らを倒す手段は何故か彼らが纏う電気のみだった。高圧電流を加えることで、毛糸がほどけていくように静かに消えていくことを2人は知っていた。
そしてこの2人、蜜柑と伝鹿は電撃を放てる体質を持ち、放課後から夜中にて秘密裏に「雷獣狩り」を専ら勤めていたのだった。
「じゃあ帰るわ」
そして今日の狩りは終わった。蜜柑は鞄を拾って右肩に掛けその場を後にしようとした。
「あ、あのさ!」
伝鹿がそれを見て慌てたように話しかける。
「い、一緒に帰らない、ミカンちゃん」
ぎこちない調子で伝鹿はそう蜜柑に提案した。
蜜柑は伝鹿を一瞥したが
「お気遣い悪いけど、買い物しないといけないから」
と、言葉を口にした。
「じゃあね」
「うん、じゃあまた…」
別れの言葉を言うと、蜜柑はいつもの変わらぬ早い歩みで階段へと向かっていった。
廊下に伝鹿の姿のみが残されていた。
烏の鳴き声が空から響いている。
校門前にて、伝鹿は一人佇んでいた。無表情で車を待つ伝鹿の傍を、同じ学校に通う高校生たちが談笑しながら帰っていく。疎らながらも暖色な声がする影が彼女の周りには存在していた。
白いクラシック調のワゴンが姿を見せた。ヌエラワゴン6-02。紛れもなく伝鹿が待っていた車だった。
後部座席が伝鹿の正面になるよう車が止まると、彼女は慣れた手つきで後部座席に乗り込み、鞄を横に置いた。
「今日も学業お疲れ様でした、伝鹿さん」
「うん」
運転手の戸上が伝鹿にいつも通りの挨拶をする。白髪が混じり始めた短髪をしたこざっぱりとした中年男性だ。
右に発信合図のウィンカーを出し、慣れた手つきですぐさま次の目的地に彼は向かい始めた。もちろん伝鹿の家である。
彼はフロントミラーで伝鹿の顔をちらと見た。心なしか下に俯き加減の彼女が彼の目に映る。その表情もどこか青白い。
そういえばさっきも返事の元気がなかったなァ嬢ちゃん、と戸上はふと思った。
「どうかされましたか?」
気をそこまで張らず、ゆっくりと彼女に話しかける。
伝鹿は言うのを少しためらった様子だったが
「うーん…。そのねミカンちゃん、素っ気なくてさ…。やっぱあたしとろいから…」
正直に話す。伝鹿の幼いころより戸上は陰山家に運転手として勤めてきた。それ故に彼女の信頼も厚く、またその温和な性格もあってか、彼女の貴重な相談相手として常に傍にあった。
伝鹿の悩みを聞く戸上はにこやかな調子で
「あぁ」
と言い、笑った。何だそんなことか、とも言いたげな雰囲気である。
「大丈夫ですよ、伝鹿さん。中部さんいつもあんな感じじゃないですか。別段伝鹿さんに何かあるって訳でもないと思いますよ」
気さくな調子で彼はそう言う。
「そうかなぁ?」
「そうですよ」
またこの嬢ちゃんは余計なこと考えて、と彼は思う。昔からとろい伝鹿だったしそれを嫌う人間がいなかったわけではない。しかしそれはそれ。余計なことを考えても仕方がないということを彼女が知るまでにまだ時間がかかるな、とも彼は思った。
「それより今日の晩御飯なんでしょうね」
「そういえば聞いてないな、あたしも…。戸上さんは今日は食べていくの?」
「えぇ、今日は甘えさせていただく予定です。奥様をお迎えに行くまで時間ありますので」
「そう。じゃあ一緒に食べようか」
車の中で談笑しつつある内に、伝鹿の顔も少しずつだが明るさを取り戻しているように戸上には見えた。こうでなきゃ困るンだ、と戸上は思い、話に華を咲かせるのだった。
陰山家の家は大きい。白い焼き物のタイルに覆われた石壁で3階建ての家は囲まれ、木目調の正門は背が高く当然のようにセキュリティつきである。
門から家に至るまでの間は30m程度で、そこから見える庭には芝生の緑が広がり、針葉樹を中心とした樹木がバランスよく植えられていた。その植物全ては形よく整えられ、その手入れのよさが一目でわかる代物である。
「たっだいまー」
伝鹿が家のドアを開け、家に入ってくる。
「お帰りなさいませ、伝鹿さん」
そう話しかけてきたのは彼女の肉親ではない。メイドだった。
端麗な顔つきで華奢な体躯。釣り目気味の顔つきと、腰まである長い髪の毛が印象的である。
その顔を見て
「ただいま、ミカンちゃん」
笑顔で伝鹿は自身の家の使用人に言葉を返した。
彼女、中部蜜柑はまったく表情を変えず会釈を返した。彼女は1ヶ月前より諸事情で住み込みでこの家に厄介になっていた。アルバイトであると同時に生活を送るための彼女の手段だった。
買い物があるのは当然だった。この日の夕食の材料が切れていたからだ。
伝鹿の気遣いは蜜柑自身ありがたく思っていた。しかし、それ以前に夕食作りという仕事があり、何より使用人風情で一緒に車に乗せてもらうというのはどこか気が引けた。
『高校では使用人ではなく同級生として』
それは伝鹿と蜜柑のルールのひとつだった。だから彼女は『オフ』の自分で常にあるよう伝鹿の前では振る舞ってきた。無愛想だと自覚している蜜柑にとって誤解を招くかもしれないという懸念もあったが、結果として彼女にとってはありがたいことでもあった。今回のような一緒に帰る帰らないという提案は若干の迷いがあるものだったが。
ただひとつ彼女の心のしこりとなっていたのは、生活のためとはいえ、全く似合いもしないと当人は思っているメイド服を着なければならないということだった。
最後までお読みいただきありがとうございました。