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短編集  作者: 高宮
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バス停にて

空は濃灰色の雲に覆われ、そこからは一条の光すら見えていなかった。

その代わりに降り注ぐものがあった。大粒の水弾であり、それは大地に辿り着き、泥土とひとつになっていた。土砂降りである。

ひとつの影が急いで道を走っている。彼は傘に合羽をまとっていたが、その二つの防水具は両方とも古めかしく、全幅の信頼をおくものであるとはいいがたいものだった。

彼も充分にそのことは理解しているようだった。その走る勢いは止まらず、ぬかるむ道を跳ねるがごとく駆け抜けていく。荷物らしい荷物を持っていないためか、彼の動きに乱れはなく、軽やかな走りを維持し続けていた。

彼の瞳に光が映りこんだ。彼の行く道の先に木製の小屋の姿があり、そこから光が漏れていた。

彼の目に若干の力がこもり、口元が上にあがる。そして走る速度はさらに上がり、みるみるうちにその小屋に近づいていった。

近づいていくうちにそれは厳密には小屋ではないことに彼は気がついた。小屋のそばにはバス停が立っていた。そこはバスの停留所だった。彼にとってそれはよい知らせだった。彼の目的地がまさにそこだったからだ。

彼はそこに滑り込むようにして辿り着いた。暖色な電灯の明かりが停留所の天井より広がっており、そこは雨に濡れることない空間に違いなかった。雨の冷たさは気温を伝わって、その室内にも及んでいたが、不思議とその色合いのせいか多少は温まるように彼には感じられた。

ふと停留所の建物内を見渡すと、その小さな小屋の中にはすでに女性の姿があった。長椅子の右端に腰掛けた彼女は、浅黒い肌にすっきりとした顔立ちをしており、目は若干のたれ目だった。

彼女は真っ黒のワンピースを纏い、同じく黒いつばの広い帽子をかぶっていた。全身を覆う黒さとは裏腹に、彼女のもたらす雰囲気に不思議と暗さはなく、どこか温かみのあるものに彼は感じられた。

その姿を見た彼は、自らの雨具に着いた水滴を落としにかかった。できるだけ部屋の隅になるよう、彼女に少しでも遠い場所になるように。水滴がある程度落ちたのを確認すると、雨具をすべてまとめ、椅子の左端に腰掛けた。

彼は決して紳士的な性格をしていたわけではない。彼はどちらかというと無作法で遠慮のない性格をしている方だった。その気遣いの根源はあくまでその性格によるものではなく、その知識によるものだった。

(ゴーレム、ね)

その姿は彼の記憶上にあったもので、いわゆるそれは旧式のゴーレムだった。主に人間の労働を代替する主体として実用化が推進された人造人間の一種だった。その種にしては珍しく、姿かたちは華奢であり、人間にほぼ相違ない形であった。

ゴーレムは水に弱い、ということを彼は知っていた。否、人造人間は基本的に水や湿気に弱いものだった。確かに最低限の防水機能はあるし、部品やメンテナンスを施せば、その弱さは充分に改善できるものである。しかし時代が時代で、状況が状況だった。彼らがいるこの時代、資源不足や技術の停滞などの理由からその部品の調達は困難になりつつあっており、そのことは彼らにとって、必要以上の神経を尖らせる理由となっていた。さらに彼女は彼の見立てによれば旧式だった。数十年を経た旧式にとってみれば、それらの現象は死活問題につながるものであった。

「雨、ひどいですね…」

女性のゴーレムはそう切り出した。その言葉は彼に語りかけるものとも独り言に聞こえるものとも聞こえた。

彼はその判断に少し迷いがあったが

「そうですね」

少しの間をおいて、返事を返した。

「お互いつらいですね、雨」

彼の返事を聞いてか、彼女は彼の方を見て話しかけた。柔和な笑顔が彼に向いていた。

「ええ、まぁ」

彼はそれを一目見て、変わらぬそっけない調子で返した。

ただ「お互いにつらい」という言葉のみが彼にひっかかるものをもたらした。

少しの沈黙の後、

「その、ゴーレムの方、ですよね?」

彼はそう話を切り出した。確認に近い調子だった。

「ええ、はい。あなたは…」

「あぁ。俺もその…似たようなものです」

不思議なものだ、と彼は思った。彼自身も人造人間だったが人の形状は保っており、むしろ人と遜色ない姿をしているという自負があった。それが一目で見抜かれるということは実に彼にとって珍しい経験だった。

「アンドロイド?」

彼女はさらに言葉を紡いだ。その言葉は彼に彼女へ興味を持たせるのに充分すぎるものだった。

男は頷いた。まさにその通りだった。人により近づけるために製作された人造人間であるアンドロイド。彼はその旧式のものだった。

そのとき改めて、男性型アンドロイドは女性型ゴーレムを見なおした。その優しい顔立ちや華奢な体躯が彼の視界に捉えられる。不意に妙な信号を受け取っているような感覚が彼を捕らえていた。それは人間で言えば、懐かしいような、既視感があるような、そんな感覚だった。

「あの、変な話ですけど」

すこし遠慮がちに女性ゴーレムは話し出した。

「私、あなたをどこかで見た気がするんです」

どこか照れがちに彼女はそう言った。労働主体のゴーレムが照れるということは、普通に考えてはありえない動作だった。よほど人間に近い存在として彼女は作られている証左でもあった。

その言葉に彼は驚き

「実は、俺もです」

と返した。

ゴーレムの顔は綻んでいた。彼の顔もどこか照れくさそうだった。

「おかしな話ですね」

「はい」

人間のような動作をする二人の人造人間のこそばゆい笑い声が少しだけ響いた。

「どうしてこんな所に?」

女性は切り出した。彼らのいる周辺は何もない草原とも荒野ともつかない土地だった。用事がなければこんな所誰一人として来ないだろう場所だった。

「ちょっとヤボ用で」

彼はそう返した。彼にとってそれは話していいか戸惑われる事情の代物であり、

「実は、私もです」

彼女にとってもそうであったらしい。

互いにとってその用事というものは他言無用のものに違いないようだった。

しかし

「実は…、精神圧縮したある人のために、この西の研究所まで向かったんですけど」

唐突に彼女はそれを話し出した。

「認証鍵があって、それが違うものだったんです。それで蜻蛉帰り」

たどたどしく、どこか照れくさそうに言葉を紡ぐ。それは単なる秘匿とするべき事実を話す慎重さというより、秘密の共有を求めているような口調だった。

「驚いたな」

彼もまた口を開いた。

「俺の事情とまったく同じなんて」

そうだった。彼も同じ事情を抱えていた。

「あら、あなたもですか」

「もしかして主人の圧縮精神?」

「あなたも?」

アンドロイドは笑って頷いた。

「あらあら…」

ゴーレムも笑った。

精神圧縮というのは、およそ80年前に作られた技術のひとつだった。人間の人格およびそれに関わる記憶や知識などをデータベース化し、あたかも人間の人格であるかのように再現するための技術だ。それによってデータベース化された精神は圧縮精神と呼ばれている。

それが人間かどうかという議論については既に国際法廷でその定義は定まっており、その判例によれば、第一にそれは知的財産権の下にある物品であり、第二に知的財産権所有者の存在しない圧縮精神については原則各国家の管理物品としての裁量を受けるというものだった。

個人の分野では金持ちの道楽そのものだったが、国家間では軍事転用や貴重な知的財産を所有する人物を「蘇らせる」目的として有用であり、その使用や人格の再現には厳しい規定が設けられるのが通常だった。

彼らの時代ではもう大規模な精神圧縮事業に注力できる国家は稀となり、その技術の離散すら危ぶまれているが、依然としてその管理体制そのものは残っていた。

要するに圧縮精神をいざ「解凍」しようとすると、お役所の手続きが何かと面倒くさく手数料が高いのだった。

「しかし」

鼻で笑うように彼は話を切り出す。

「あなた無用心だな。あそこ政府非公認の研究センターだぞ。もし俺がばらしたら即処分ものじゃないか」

「まぁそれもそうですけど…。あなた誰にも話したりしないでしょ?」

「当たり前だよ。でも用心の話としてだな…」

「いいじゃないの、もう」

お互い顔を見合わせて笑った。奇妙な偶然は二人の間にどこかゆとりのある繋がりを作り出していた。

それからは彼らはお互い様々なことを話した。取り留めのないことばかりだった。

お互いの主人の話、住んでいた場所、昔あった笑える話から近年の自身らのメンテナンス状況まで。明るい話が殆どだったがたまに辛気臭いような真剣な話題も挙がっていた。先ほどのように会話の先が一致することは二人には殆どなかったが、不思議とどんな話をしても彼らにとって楽しいものだった。傍から見れば、この二人は若い恋人のようにも見え、中の良い友人にも見えたであろう光景だった。

何時間か話しこみ、いつの間にか雨は上がっていた。それほどまでに長距離バスの本数は少なかったが、彼らにとってそれはどうでもいいことだった。人間だったらむしろ都合よく感じていたかもしれない、そんな長い長い待ち時間だった。話し込むうちに右端にいた彼女と左端にいた彼は、いつの間にかお互いに長椅子の中央に寄り添うようになっていた。

「外、ちょっと出てみません?」

彼女がそう誘い、彼の腰は椅子を離れた。

雨はすっかり上がり、白い雲から太陽の光がゆったりと現れていた。天の切れ間から降り注ぐようなその光が彼らの目の前に存在していた。それはただの自然現象であり、それ以外の何物でもなかった。

人間に近すぎる二体の人造人間はそれを見ていた。無言で、何を言うわけでもなく、それに見入っていた。

そんな時だった。

エンジン音が道の彼方より、響き渡っていた。それは少しずつ彼らの方に近づいているのは明らかであった。間違いなくバスの音だった。

彼らは何を言うわけでもなく無言で停留所へ戻った。女性のゴーレムは右端に腰掛け、男性のアンドロイドは左端に腰掛けた。

油のきれが悪い調子のブレーキ音がして、茶色のバスがバス停の前に止まった。行く先を示しているのは、女性のゴーレムが帰る方面だった。

彼女は静かに立ち上がり、バスに向けて歩き出す。その調子に乱れはなく、機械的ともとれるようなものだった。

バスに乗り込もうとした彼女は、少しだけ止まる調子となって、彼のほうに振り返った。数十年変わらない瞳の色が、どこかセピア色に変化しているように彼には思えた。

「では、その、これで…」

それだけを言葉として残し、彼女がバスに乗り込もうとした。その時だった。

「あの、さ」

男がそう話を切り出した。彼も不思議に思ったことに、いつの間にか彼は立ち上がっていた。

「鍵の話だけど…、もしかしたら、もしかしたら俺の鍵があなたの求めるものかもしれない。あんたの鍵が俺の求めるものかもしれない。可能性としてはまずありえないだろうけど、一緒にもう一度、あそこへ行かないか?」

彼女は振り返ることなく話を最後まで聞いていた。あそことは二人が時間差で訪れたであろう非公認の解凍センターだった。バスのエンジン音が低く響く中、彼女はバスの入り口に依然としていた。

彼にとって妙な感覚続きだった。立ち上がってしまったことだけではない。セピア色に見えた瞳にある何かも、彼が口にしてしまった非合理に取れる言葉も。何を言っているのか彼自身よくわからなかった。しかし、彼はどこか彼女にはバスに乗って欲しくなかったのは確かだった。それだけは彼も自覚していた。

彼女がバスの入り口から足を外し、彼の方へ振り返った。

「はい」

それが彼女の答えだった。最初に彼に見せたような柔らかな笑顔が彼女の表情を染めていた。

バスのドアが閉まる音がした。バスはゆっくり走り出し、排気ガスと泥の混じった土埃を撒き散らして去っていった。

先ほど二人で見た太陽の光が、停留所の中を向く彼女の後ろに穏やかに輝いていた。






「いやぁ、快適快適」

「まったくですねぇ」

解凍センターのある一室。若い少年と若い少女の姿があった。お互いに体の調子を確かめ合い、それに満足している様子だった。

その傍には、げんなりした顔の男性アンドロイドと呆れた様子の女性ゴーレムの姿があった。

「何故こんな紛らわしいことをしたんですか。俺らがどんなに戸惑ったか」

「まぁまぁ」

アンドロイドは少女にそう愚痴をたれる。

「まったくですよ、マスター」

「そう言うなよ、お前ェ」

ゴーレムも同様に少年に不満の言葉を投げかけていた。

二人がバスを避け、精神圧縮解凍センターに向かい、キーを交換するという行動が、なんと効を奏するという予想外の結果が現れた。

交換したお互いのキーは見事に認証し、少年と少女の義体にそれぞれの主人の人格を再現することができたのだった。

これには流石に二人とも、主人の復活を喜ぶことを通り越して呆れ果ててしまっていた。

口々に文句をこぼすお互いの創造物に、主人達ははぐらかすような誤魔化すような対応をするより他になかった。

「そういやお前ェさんたち、どっかで会ったような感覚しなかったか?」

いい加減その言葉の流れがひとしきり終わった後、女性ゴーレムのマスターが切り出した。

アンドロイドもゴーレムもその言葉に同調すると、男性アンドロイドのマスターがくすくす笑って

「そりゃそうですよ。だって、あなたたちのモデルは若いころの私たちなんですから」

と話す。

お互いに合点がいったように二体の人造人間はマスターを見つめ、同時に記憶回路を探った。確かにその通りだった。

「にしては…、お前のアンドロイド俺の若いころと比べると、男が落ちるような…」

「何言ってるんですか。それより幾分かかっこよく製作したつもりですけど。私の魅力だってそこのゴーレムと比べたら…」

「馬鹿言っちゃいけねぇよ、お前。俺だってお前の若いころより別嬪に修正したっての」

「そうですかねぇ」

好き勝手に2人のマスターはそれぞれの言い分を言い始める。しかし2人の顔は笑顔そのものだった。

それは文句というよりも、からかいあうような冗談を言い合うような雰囲気に近いものだった。

「あぁ、それで、何でこんな面倒くさいことをしたかってことだけどさ」

仕切りなおすように少年の姿をした老人は話す。

「あなたたちにも感じて欲しかったんですよ。人造人間のあなたたちにも、それが感じられれば面白いなって、二人で考えて」

少女の姿をした老女も言葉を紡いだ。

この二人の考えは同じものだった。そういう計画の下、もしものための「圧縮」を指示した。

蘇生など本来眼中にはなく、ただこの荒涼とした大地に再び生きるとするならば、それくらいの望みを持って、というのが彼らの願いだった。

「運命の出会いってやつを、さ」

少しはにかんだ形で少年はそう言った。

二体の人造人間はお互いに顔を見合わせ、思春期の少年少女のようなそぶりをするのだった。


最後までお読みいただきありがとうございました。

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