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未練回収屋の俺は、想いを燃やす

掲載日:2026/04/05

## ◆ プロローグ:燃料の話


人の想いは、燃料になる。

だから俺は、人の人生を燃やしている。


怒り。後悔。愛。憎悪。

死の間際に強く感じた感情は消えない。

現実に留まり、現実を侵食する。

それを俺が回収して——力に変える。


倫理的か?

わからない。

考えるたびに答えが出なくて、毎回それでも仕事に行く。


父は——同業だった。

その事実に気づいたのは、つい最近だ。

十二歳の俺には、何もわからなかった。

わかっていたのは、父が死んだということと——棺に触れた瞬間、何かが流れ込んできたということだけ。


「守れなかった」


父の最後の感情だった。

誰を守れなかったのか。

何から守れなかったのか。


それが——俺がこの仕事をしている、本当の理由だ。

答えが出るまで、止まれない。

自分が消える前に、見つける。


-----


## ◆


「ランクBって書いてあった」


廊下に立って、瑛一はスマホの依頼票を確認した。


〈案件番号:E-0471〉

〈分類:Bランク以下(推定)〉


「以下ね」


苦笑して、ドアを開けた。


熱波が、顔を叩く。

八月の室外よりも熱い。感情の密度が高い空間は、体感温度が上がる。

これが俺の仕事の前提だ——未練が物理法則を書き換える。


部屋の中心に、それはいた。

中年男性の輪郭。

内側は黒い煙と怒りで満たされ、目の位置だけが白く光っている。

床が揺れていた。怒りの重さで床材が軋んでいた。


「——奪われた」


声というより、圧力だった。

部屋の空気が、その言葉の形に凝固する。


「全部。俺の仕事を。家族を。二十年を」


二十年、か。

長い時間だ。

長い時間をかけて積み上げたものを奪われた怒りは——強い。

だから部屋の床が割れる。

だから壁に亀裂が入る。

人の怒りはこれほどのものなのか、と思う。

毎回思う。

それでも、止まらない。


「わかった」


瑛一は三歩で男の前に立った。

躱さない。構えない。

右手を、ただ開いただけだ。


渦が生まれた瞬間——

男の怒りが、一斉に引き寄せられる。


「待——」


声を上げる間もなかった。

三秒で終わった。


煙が渦に吸い込まれ、男の輪郭が消える。

残ったのは、静かな部屋と、床に薄く広がった灰だけだ。


廊下から、依頼者の不動産屋が顔を出した。


「……終わったんですか?」

「ああ」

「速っ」


口を開けたまま、固まっていた。


「うちの社員が三人で挑んで全員気絶したんですよ。封印すら——」

「封印じゃなく回収だから」


瑛一はコートの埃を払った。


「B+でした。次からちゃんと格付けしてください。料金が変わる」

「B+ってことは——」

「あなたが雇った専門業者が気絶したのは当然です。B+は封印系には重い。回収者を呼ぶ案件でした」


不動産屋が、ゴクリと喉を動かした。


「あなた、何者ですか」

「通りすがりの回収屋です」


右腕を見た。

赤い筋が、一本増えていた。


(B+でこれか)


悪くない。

今夜の燃料補給は、予定より多くなった。


部屋を出る直前、灰を一瞥した。

二十年分の怒りが、灰になっている。


(あんたの気持ちは受け取った)


声には出さない。

出す必要がないから。


-----


## ◆


翌朝、インターホンが鳴った。


スーツの男が二人。

その後ろに、泣き腫らした目をした三十代の女性。


「棗さん。桐嶋組の伊達と申します。至急お願いしたい案件がありまして」

「入ってください」


伊達が語った内容は、簡潔だった。


桐嶋組会長・桐嶋一郎。享年六十七歳。三日前、心臓発作で急死。

死後から会長室に異常が発生。近づいた組員二人が気絶、一人が入院中。


「Sに片足突っ込んでます」

「Sか」


Sランク。

人生そのものが未練になった状態。

放置すれば、建物単位で現実が侵食される。


「はい」

「……会長の娘は?」


すると、女性が顔を上げた。


「桐嶋 澪と申します」


声は落ち着いていた。

泣き腫らした目と、声のトーンが噛み合っていない。

泣いた後、自分を立て直した人間の顔だ。


「一つ、お伝えしたいことがあります」


澪は、バッグから封筒を取り出した。


「父の遺品を整理していたら、これが出てきました」


封筒の中には、印刷された資料があった。

組織図。施設の見取り図。氏名リスト。


「父はこれを、隠し持っていました」

「何の資料だ」

「わかりません。ただ——」


澪の目が、真直ぐに瑛一を見た。


「リストに載っている名前が、全員、この一年で死んでいます」


瑛一の手が止まった。


「全員?」

「はい。死因はバラバラです。心臓発作、事故、急病。でも共通点があって」

「……言え」

「死ぬ直前、全員が強い感情的異常を呈していたと、関係者が証言しています」


「感情増幅」


呟いた。


「そう呼ぶんですか、それを」

「違法回収屋がやる手口だ。ターゲットの感情を人工的に増幅させ、死の直前にSランクの未練を生産する」


澪の顔が、わずかに歪んだ。


「父は、その組織を調べていたんだ」

「そして——殺されたのかもしれない」


部屋に沈黙が落ちた。


瑛一はリストに目を落とした。

氏名。日付。死因。


ページを繰った。

一番下の名前を見た瞬間——指が、止まった。


棗 修一。


「……」


俺の父親の名前だった。


十四年前の死因は「交通事故」だった。

リストには「急性心不全(疑)」と書かれていた。

死亡日時の欄に、丸印がついていた。


ずっと疑っていた。

交通事故で死んだ父の棺に触れた瞬間、感情が流れ込んできた経験がある人間は——普通じゃない。

父も、そうだったはずだ。

同業だったなら。


「棗さん?」


澪の声が、どこか遠くから聞こえた。


「続けよう」


瑛一は顔を上げた。

声は、ちゃんと出た。


「まず桐嶋会長の案件を片付ける。それから全部話す」


-----


## ◆


桐嶋組事務所、最上階。

廊下の突き当たりに、会長室のドアがあった。


「二十メートル手前から行くぞ」


伊達を廊下に残して、澪と二人で歩いた。


十五メートル。

空気が変わった。

人の一生が圧縮されて漂っている感覚。


感情とは本来、人の体内に収まるものだ。

それが溢れ出て、空間そのものを書き換えている。

Sランクに近い案件は——来るたびに、空気の重さが違う。


十メートル——


「……胸が」


澪が足を止めた。


「感情の圧力だ。Sに近いから素人には効く」


肩に手を置いた。

渦を広げて、澪に向かってくる感情の波を瑛一が代わりに引き受ける。


「俺が盾になる。歩けるか」

「……はい」


五メートル。

ドアの縁から白い光が漏れていた。

光の中に、声が混ざっている。


——会いたかった。

——なぜあの日、俺は帰れなかったのか。

——お前が泣いている顔が、ずっと消えなかった。


「父の……声だ」


澪の声が、かすかに震えた。


「入るぞ」


扉を開けた。


部屋が、別の場所になっていた。


白い光の中に、記憶の断片が漂っている。

妻の葬儀。

施設に連れられていく幼い澪の背中。

受話器を持ったまま、かけられなかった何百もの夜。

積み上げては崩れた、約束の山。


老人の影が、部屋の中心にあった。

輪郭は薄い。もう消えかけている。


その目が澪を見た瞬間——震えた。


「澪」


かすれた声だった。


「……」


「わかってる。遅い。全部、俺が悪かった」


老人の輪郭が、さらに薄れていく。


「お前に言いたかっただけだ。一度だけでいいから」


澪は黙っていた。

何も言えないのではなく、何を言うべきか選んでいる顔だ。


「……何を」


「ごめんな」


三文字だった。

二十年分の後悔が、三文字に圧縮されて、空気に溶けた。


長い沈黙が続いた。


瑛一は何も言わなかった。

口を挟む人間は、この仕事には要らない。

沈黙を守れる人間だけが、最後まで立ち会える。


やがて——


澪は目を閉じた。

ゆっくりと、息を吸った。

出口をさがすように、少し時間がかかった。


「受け取りました」


静かな声だった。

宣言のような声だった。


「だから——もう、行っていいです」


老人の輪郭が、大きく揺れた。

罪悪感の形をしていた光が、静かに色を変える。

後悔が——解放になる瞬間。


瑛一は右手を開いた。


「引き取る」


渦が広がった。

老人の二十年が、流れ込んでくる。

謝れなかった痛み。言えなかった言葉。

それを全部、受け取った。


右腕の赤い筋が、二本になった。


-----


## ◆


帰りの車の中で、澪は一つだけ聞いた。


「棗さんは——人の想いを消費することに、罪悪感はないんですか」


「ある」


即答した。


「でも続けてる」


「消える前に届く言葉がある限り、止められない」


澪は少し間を置いた。


「今日みたいに」

「そうだ」


窓の外を見た。


「もう一つある。俺の父親の名前が、あのリストに載っていた」


澪が、息を飲む気配があった。


「だから今夜——全部話せ。その資料に書いてあること、全部」


「……わかりました」


その夜。

事務所の床に仰向けに寝転んで、天井を見た。


体の中に、老人の後悔が残っている。

どこまでが自分で、どこからが他人か——境界線が、また少し薄れている。


(今俺が感じてるこの寂しさは、誰のものだ)


わからない。


鏡を見ようとして、やめた。

見るたびに、顔が少しずつ変わっている気がする。

目の色が違う。表情が違う。

誰かの感情が、内側から顔を変えている。


(俺は今、何割が俺だ)


右腕の筋を見た。二本の赤い線。

強くなっている。

同時に、薄れている。


これが代償だ。

受け取るたびに、混ざる。

混ざるたびに、境界が消える。


父の名前が、リストにあった。


「守れなかった」という父の未練——

誰を守れなかったのか。

俺を守れなかったのか。

それとも——調べていたことを誰かに止められたのか。


「自分が消える前に答えを出す」


天井に向かって、呟いた。


答えが出るまで、止まれない。


-----


## ◆


翌朝、知らない番号から着信が入った。


「棗瑛一さん。桐嶋組の案件、拝見しました」


冷静な男の声。

感情の起伏が——ない。

プロの声だ。感情を意図的に削った声。


「誰だ」

「未練の量産ビジネスに、ご参加いただけないかと思いまして」


「断る」


「父親の話を聞きたくはないですか」


手が、止まった。


「棗 修一さん。十四年前に亡くなった。死因は交通事故——公式には」


「……」


「本当の死因は、感情増幅による心停止です。私たちの組織の初期実験でした。当時はまだ精度が低くて、ターゲットが死ぬ前に感情を回収できなかった。残念な失敗例の一つです」


瑛一は、電話を握る手に力を込めた。


「お前らが殺したのか」


「強い言い方をするなら、そうです。でも——」


少し間があった。


「一つだけ聞いてもいいですか。棗さん、未練は消えるべきだと思いますか? それとも、残るべきだと思いますか?」


「何が言いたい」


「私はね——未練は資源だと思っています」


声のトーンが変わった。

「説得」ではなく、「共有」の声だった。


「人は死ぬ。感情は残る。なら——使うべきでしょう。放置された未練は現実を侵食する。あなたも現場で見ているはずだ。ならそれを回収して、管理して、有効活用する——何がいけないんですか?」


「ターゲットを殺して生産してる」


「未練の自然発生を、少し早めているだけです。どうせ死ぬ。どうせ残る。なら死ぬ前に強い感情を引き出すほうが——効率がいい」


「人を道具にしてる」


「あなたも同じことをしているでしょう」


声が、静かに続けた。


「昨日回収した老人の後悔も、今日の燃料になっているはずだ。あなたは同意を取っていると言うかもしれない。でもそれは——倫理ですか? 自己満足ですか? 本当に違うと言えますか? あなた自身の言葉で」


瑛一は、答えなかった。


答えが出なかった、のではない。

答えが出るのに、時間がかかった。


(違う)

(でも——どこが違うのか、一言では言えない)


「場所を言え」


「怒りましたね。でも——」


声が、少し低くなった。


「それはあなたの怒りですか? それとも、回収した誰かの怒りですか?」


電話を切った。


三秒後、メッセージが届いた。

住所だった。


——これは罠だ。


わかっている。

それでも——

行かない選択が、できなかった。


澪からメッセージが届いた。

〈資料、全部読みました。棗さん——あの組織、国家機関の第四部と繋がっています〉


国家機関。

大規模未練の処理を担当する、表の組織。


〈第四部は表向き”封印担当”ですが、裏では違法回収を黙認しています。桐嶋会長はそれを証明する書類を持っていた〉

〈私も行きます〉


「来るな」


すぐに返信した。


〈でも〉


「危険だ」


〈だとしても。父が調べていたことを、私が継ぐ〉


瑛一は、スマホを見た。


「……好きにしろ」


コートを掴んで立ち上がった。


-----


## ◆


廃工場の中は、最初から異様だった。


鉄の臭い。冷気。

そして——感情の密度が、異常に高い。


(これは残滓じゃない。今まさに生産されてる)


壁の向こうで、誰かが泣いている。

怒鳴っている。

誰かを呼んでいる。


複数の人間が、感情増幅装置に繋がれている。

生きたまま感情を引き出されて——


腸が煮える、とはこのことだ。

感情を扱う仕事をして十年、こういう現場を見るたびに思う。

俺は何のために回収しているのか、と。


「来ましたね」


男の声が、上から降ってきた。

工場の二階。手すりにもたれて、男が見下ろしていた。


四十代。細身。眼鏡。

研究者か、官僚か。

どちらにしても——現場で手を汚さない立場の顔だ。


「すみません。父親の件は——嘘です」

「知ってた」

「え?」

「罠だとわかって来た」


工場の中心に立ったまま、男を見上げた。


「でも一つ聞きたいことがある。棗 修一は、お前らが殺したのか」


男が、少し間を置いた。


「……なぜそれを」

「答えろ」

「そうです」


工場に、沈黙が落ちた。


「彼は調べすぎた。当時の実験対象ではありませんでしたが、接近してきたので——処理しました」


「処理」


「強い言い方をするなら、そうです」


男が手すりから離れた。


「棗さん。一つ確認させてください。あなたは今——怒っていますか?」

「……」

「あなたの能力の燃料は、回収した他人の感情だ。では今感じているその怒りは、本当に『あなたの』怒りですか?」


壁から、五人が現れた。

全員、霊的武器を帯びている。今回は一人一人の密度が、前回より明らかに高かった。


「今日はあなたに本気を出してもらいます。あなた自身の未練を引き出すために」


「俺の未練を?」


「あなたは未練の塊です。その能力の源は、父親の死に対する後悔と怒りだ。それを増幅させれば——Sランクが生産できる」


男の声が、静かに続いた。


「あなたが私たちを嫌うのはわかります。でも棗さん——私たちは同じことをしているんですよ。感情を回収して、力に変える。違いは——スケールだけだ」


「違う」


「どこが?」


一瞬、止まった。


電話口で答えられなかったのと、同じ問いだ。

(どこが違うのか)


「同意を取ってる」


「それは免罪符ですか?」


男の声が、初めて温度を持った。


「棗さん、私はね——あなたに勝ちたいわけじゃない。わかってほしいんです。未練は資源だ。人類が毎日膨大な量の感情を残して死んでいく。それを放置するのは——浪費でしょう。あなたも回収者なら、わかるはずだ。感情は、使われるべきだ。形になるべきだ。誰かの役に立つべきだ。私たちは同じことを、ただ大規模にやっているだけです」


「お前らのやり方では、誰も救われない」


「救いを求めていません。効率を求めています」


五人が、同時に動いた。


最初の二人が左右から挟む。

瑛一は片方を躱した。

だが躱しながら——腕に触れた。


武器の感情が流れ込む。


「——っ」


中年男性の「恨み」だった。

長年虐げられてきた職場への復讐心を、武器に変えられていた。


(これは、本人が望んで武器にしたわけじゃない)


もう一方は——老婆の「孤独」だった。

病院の天井を見ながら、一人で死んでいく恐怖が刃になっていた。


(誰かに傍にいてほしかっただけの老婆が、今、俺に向かってくる)


右手の渦が、武器を砕く。

二つの感情が、流れ込む。


三人目が正面から突っ込んでくる。

今度は躱さなかった。

正面から受けた。


胸に衝撃——


(——これは)


この武器の感情は、違った。


若い男の「後悔」だった。

夢を途中でやめた後悔。家族に謝れないまま死んだ後悔。

そして——


(これは父の感情に近い)


「守れなかった」という形の後悔。

構造が、似ている。


渦が、武器を砕く。

三つ目の感情が流れ込む。


視界が揺れた。


怒り。孤独。後悔。

複数の声が混ざる。誰かの叫び。誰かの嘆き。誰かの呼ぶ声。

境界線が、また薄れていく。


「いいですよ」


男が、冷静に言った。


「もっと混ざれ。境界線が消えるほど感情が混ざれば——あなた自身の未練が浮き上がってくる。それがSランクになる。それをいただく。それが今夜の目的です」


「……ああ」


瑛一は、立ったまま言った。


「そうだな」


「え?」


「浮き上がってきた」


右手の渦が——急に止まった。


「な——」


男の顔が、変わった。


「渦を止めた? なぜ——」


「回収するのをやめたんじゃない」


瑛一は、右腕に力を込めた。


「溜めてた」


-----


## ◆


手放せなかったものが、身体を繋ぎ止める。


押し潰されるほどの怒りが——前に出る力になった。


長い時間かけて積み上げた執着が、足場になった。


誰かを想って眠れなかった夜が、崩れそうな自分を支えた。


そして——


後悔が、背中を蹴った。


右腕の筋が、赤から白に変わった。


体内に蓄積した全ての感情——

中年男の怒り。老婆の孤独。青年の後悔。

今夜受け取った三つの感情。

全部、一点に集める。


光が、爆発した。


「——っ」


工場の壁が吹き飛んだ。

五人が、同時に弾き飛ばされた。

鉄骨が曲がった。

天井の一部が崩れた。


鉄の破片と埃が舞う中で、瑛一は立っていた。


(なんだ、これは)


体内から溢れてくる感情の量が、今まででいちばん多い。


誰かの感情じゃない。


自分の感情だ。


父を失った十二歳の怒り。

答えがわからないまま十四年働いた疲労。

真実を探し続けてきた執着。


全部、今まで「燃料に変換できなかった感情」だった。

俺自身の未練が——浮き上がってきた。


使えなかったのではなく、使いたくなかったのだ、と今わかった。

父への後悔を使えば——父への未練が消える。

それが怖かった。

怖くて、十四年間、手をつけなかった。


だから今夜初めて、それが爆発した。


「——っ」


男が、立ち上がれなかった。

壁に叩きつけられたまま、動けない。


「お前ら、父親を殺したのか」


瑛一は、男の前に立った。


男が、震えながら口を開いた。


「……そうだ。でも——棗修一の未練が、お前に宿ったのは」


「言え」


「彼が最後まで守ろうとしたのは——お前だ。お前がこの力を持つことを、あの男は——」


「知ってたのか」


「彼は回収者だった。お前が生まれた瞬間から、お前に能力が宿ることを知っていた。だから調べた。この組織を。息子をこの世界に巻き込まないために」


工場が、静かになった。


「守れなかった」という父の未練。

その意味が——今、初めてわかった。


父は、俺をこの世界に巻き込まないために動いた。

そして——失敗した。

守れなかった。


(……父さん)


笑えるか笑えないかわからない気持ちだった。

守ろうとした結果、息子はこの世界で十四年仕事をしている。


(でも——俺はここにいる)


「……そういうことか」


瑛一は、右手を開いた。


「引き取る」


男の視線が、動いた。


「何を」

「お前の感情を。今お前が感じてる恐怖と後悔を」

「俺は死んでいない」

「生きてる人間の感情も回収できる。知らなかったか」


男が、青ざめた。


「ただし——」


渦が広がった。

男の恐怖が、少しだけ吸い込まれる。

瑛一は、それを即座に変換した。


燃料ではなく——証拠として。


「心配するな。燃やさない。記録する」


体内に、記録した。


「第四部の違法活動の記録、全部回収した。俺の中に入った」


「そんなことが——」


「澪に渡す。あの子の親父が二十年かけて集めた証拠の続きを、今夜俺が締めた」


男は、何も言えなかった。


少しの間があって——


男が、初めて笑った。

自嘲のような、疲れたような笑いだった。


「棗さん。最後に一つだけ」


「……言え」


「あなたが私たちと違うと言える根拠は、今夜見つかりましたか」


瑛一は、少し考えた。


「わからない」


「正直ですね」


「ただ——」


コートを払った。


「俺は同意を取る。それだけだ。それが答えかどうかは、まだわからない。でも今夜はそれで動いた」


男は、黙った。


-----


## ◆


その夜。

澪に記録を渡した後、瑛一は事務所に帰った。


右腕の筋を見た。

三本——いや、四本になっていた。


俺自身の未練を、初めて燃やしたからだ。


(使った)


どんな感覚か、事前にはわからなかった。

痛くはなかった。

ただ——軽くなった。


十四年間、どこかで背負っていた「父の死の意味」が、ようやく形を持った。

守ろうとして、守れなかった。

それが父の未練だった。

そしてその未練が——俺の能力の核になっていた。


鏡を見た。


顔は、自分の顔だった。

前回見た時より、少し違う気がした。

それでも——「俺だ」と思えた。


(父の感情を受け取ったから)


守れなかった息子が、ここにいる。

消えていない。


「……ありがとう」


誰に言っているのか、わからなかった。

父に言ったのかもしれないし、今夜の感情を寄越してくれた誰かに言ったのかもしれない。


スマホに、澪からメッセージが届いた。

〈資料、国家機関の内部告発担当に渡しました。父の調べていたことが、ようやく先に進みます〉


少し間を置いて、もう一件届いた。

〈棗さんのお父さんの件も、一緒に調べます。一人でやらないでください〉


瑛一は、少し考えた。


返信した。


〈頼む〉


三文字だけ送った。


コーヒーを飲んだ。

苦い。

自分の感覚で、苦いと思った。

誰かの感情の混入じゃなく——俺が苦いと感じた。


「まだ俺だ」


呟いた。

今夜は、確かめなくてもわかった。


-----


## ◆ エピローグ:燃やし続ける理由


翌朝。

事務所の窓から、空が晴れていた。


新しい依頼は来ていなかった。

珍しい。

珍しいが——悪くなかった。


瑛一は、ノートを一冊取り出した。

何も書いていない、真っ白なノートだ。


ペンを持った。

最初のページに、一行だけ書いた。


「棗 修一。回収者。俺の父親」


父が知っていた世界を、俺は今生きている。

父が守ろうとした俺が、今夜初めて父の感情を燃料にした。

それが良かったのか、悪かったのかはまだわからない。


「感情は浪費されるより回収されるべきだ」と男は言った。

間違っていない、と思う部分がある。

それが怖い。


ただ——一つだけ変わったことがある。


今まで「答えが出るまで止まれない」という理由で動いていた。

今夜から——

「届ける言葉がある限り、続ける」という理由に変わった。


倫理的か?

わからない。

でも——父が守ろうとした息子が、今夜もここにいる。

それだけは、確かだ。


右腕の筋、四本。

人の想いを燃やして、俺は今日も進む。

消す前に、受け取る。

それが、棗瑛一の仕事だ。


ペンを置こうとして——


手が、止まった。


右腕の筋が、かすかに脈打っていた。

まるで——まだ足りないと言っているみたいに。


(これは俺の意思か?)


わからなかった。


少しだけ、怖かった。

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