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からくり競輪 ー烈風のマブイー  作者: 水前寺鯉太郎
G1編

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第四十六話:立川・黄金の逃走、単騎・死地を駆ける

からくり競輪史の特異点「単騎・先行」

 十二月三十日、午後四時三十分。立川競輪場。

 九人の選ばれし修羅たちが発走機に据えられたその時、四万人の観衆、そして全世界数億人の視聴者が同時に目撃したのは、戦術という名の「合理」を焼き捨てた一人の男の狂気であった。

 「KEIRIN GP」という舞台において、勝利への鉄則は「ライン」にある。風を切り、盾となる仲間を連れ、最後の直線でその力を爆発させる。それがからくり競輪における「数式」であった。しかし、1番車・速水健吾が選んだのは、その数式を根底から否定する「単騎たんき」という孤高。

* 自己矛盾の熱量: 仲間を愛しながらも、仲間の手を拒絶する。絆を燃料に変えながら、独りで風を斬る。この精神的摩擦が、健吾のマブイに未知の負荷を与えていた。

* 物理限界の超越: 速度と空気抵抗の相関関係を、精神エネルギー(マブイ)による空間歪曲で無視しようとする、からくり工学上の自殺行為。


 「……何だと!? 速水が、単騎たんきだと!? 葵や算盤との連携を、土壇場で解除したというのか!?」

 実況席の叫びが、スピーカーを震わせた。

 2番車の絶対王者・神代には、彼を崇拝するベテラン勢が3名。鉄壁の「神代ライン」を構築している。一方で、不知火焔、算盤陣、桜庭葵の三人は、打倒・神代のために健吾を先頭に据えた「新世代連合」を組むと誰もが確信していた。

 しかし、発走直前、健吾は無線を通じて仲間に告げたのだ。

 「源さん、算盤……すまねぇ。でもな、誰かの後ろを走って、誰かに守られて勝っても、俺のマブイは一生納得しねぇんだ。……俺は、俺の火だけで、神代の氷を溶かしたい」

 健吾の『真・炎 Mk-III』は、装甲を極限までパージし、骨格とコアが剥き出しの状態。それはもはや機体ではなく、健吾の魂を剥き出しにした「臓器」に近い。

 「作戦は……一つだけだ。『先行せんこう』。最初から最後まで、誰にも前を走らせねぇ」


 「構えろ!」

 号砲が鳴り響いた瞬間、立川の凍土が爆発した。

 健吾は迷いなく、自身の腱が断裂せんばかりの力でペダルを叩きつけた。1番車の利を活かし、インコースから最短距離で飛び出す。通常、GPでの先行争いは牽制から始まるが、健吾に迷いはなかった。

 「……バカな! 単騎の速水が、自ら風圧のすべてを引き受け、逃げを打つつもりか! 自殺行為だ!!」

 神代率いる「王者ライン」が、その暴挙を嘲笑うかのように背後へぴたりと張り付く。神代の『氷王』から放たれる絶対零度の冷気が、健吾の剥き出しの背中を、そして熱を帯びたコアを凍りつかせようと牙を剥く。

 「(……冷てぇ。背中が凍りそうだ。だがな、神代……。この寒さが、俺の火をさらに熱くさせるんだよ。冷やされれば冷やされるほど、芯の火は強くなる……それが阿蘇の、火山の意地だッ!!)」


 残り一周。立川の冬空に、運命のジャン(鐘)が鳴り渡る。

 その瞬間、後方で牙を研いでいた怪物たちが一斉に動き出した。

 「沈め、速水!! 貴様の熱など、この歴史の氷の中に閉じ込めてやる!」

 神代が動いた。圧倒的な「氷の捲り」で健吾を飲み込もうと、大外へと持ち出す。

 同時に、不知火の黒炎、葵の静寂、算盤の数式。すべての異能が、先行する健吾一人を目掛けて、まるで巨大な津波のように襲いかかってきた。

 「……ここだ。ここが、俺の死に場所ゴールだぁぁぁッ!!」

 健吾の胸の勾玉が粉々に砕け、その瞬間、コアの輝きが琥珀色から**【純黄金ピュア・ゴールド】**へと変色した。

 久留米で手に入れた「大地の重み」と、館山・弥彦・小倉で培った「仲間の熱」。それらが健吾の孤独の中で一つに融合し、からくり競輪の歴史上、誰も到達したことのない超高温度域へと達した。

 単騎ゆえに、誰の走行ラインも気にしない。

 単騎ゆえに、誰にも邪魔されない、自分だけの究極の回転ケイデンス


 最終コーナー。

 神代の放つ氷の壁が、健吾の後輪にまで迫る。神代の絶対的な重圧を受け、健吾の機体からはミシミシと骨を軋ませるような音が上がった。

 「落ちろ、速水! 独りで背負えるほど、GPの風は軽くはない! 独りの限界を知れ!」

 神代の絶叫。

 「……独りじゃねぇよ。……神代、お前には見えねぇのか。俺の背中には、源さんの執念が、妙子さんの風が、算盤の論理が、葵の想いが……日本中の『マブイ』が乗ってるんだッ!!」

 健吾は、カーボン製のハンドルを引きちぎらんばかりの力で引き寄せ、黄金の輝きとともに最後の直線を駆け抜けた。

 逃げる、逃げる、逃げる。

 背後の八人の怪物たちが、健吾が作り出した「黄金の熱の防壁」に押し戻され、一車身、二車身と離れていく。立川の冷気が蒸発し、視界を遮るほどの蒸気が立ち昇る中、ただ一つの黄金の光だけが、ゴール板を指して進んでいく。


 閃光。

 ゴール板を通過した瞬間、立川のバンクを覆っていたすべての雪が瞬時に蒸発し、巨大な白い霧となってコース全体を包み込んだ。

 その後、訪れたのは暴力的なまでの静寂。

 数秒後、電光掲示板の頂点に、一つの数字が灯った。

* 1着:1番車 速水 健吾(阿蘇)

* 決まり手:逃げ

* タイム:立川レコード更新(参考記録)

 単騎。先行。逃げ切り。

 からくり競輪史において、最も無謀であり、かつ最も美しいとされる完全勝利。

 「……あ、ああ……」

 健吾は、ゴールを越えた百メートル先で、ついに機体と共に力尽きた。

 冷たい雪の上に転がった彼の体からは、黄金の蒸気が立ち昇り、冬の朝日を受けて虹色に輝いている。

 そこへ、神代が、葵が、焔が、算盤が、一人ずつ、敗者としての敬意を抱いて近づいてきた。

 絶対王者・神代が、初めて自身の氷を解き、黙って健吾に右手を差し伸べた。

 「……完敗だ。速水、お前が……新しい日本の、王だ」

 健吾はその手を握り、ふらつきながらも、自らの脚で立ち上がった。

 スタンドから降り注ぐのは、地鳴りのような「健吾」コール。その中には、感極まって泣き崩れる不破源や、誰よりも高く、誇らしげに拳を突き上げる那須妙子の姿があった。

 数日後。

 賞金一億円の小切手を手に、健吾は阿蘇の広大な草原に立っていた。

 傍らには、もはや修復不能なまでに戦い抜き、静かに沈黙する愛機『真・炎』。

 「……父ちゃん、母ちゃん。俺、日本一になったよ。あんたたちの見せたかった景色を、俺、全部見てきたぜ」

 冷たい冬の風が吹き抜け、阿蘇の中岳から上がる噴煙が、どこまでも高く空へ昇っていく。

 速水健吾の「からくり競輪」第一章は、ここで一つの完結を迎えた。しかし、彼の物語は終わらない。

 胸の勾玉は、粉々になったはずだが、その破片は今も健吾の心臓の鼓動に合わせて、静かに、そして確かな琥珀色の光を放ち続けている。

 

 次なる舞台は、日本を超えた「世界」か。それとも、からくり技術の根源を辿る新たな旅か。

 速水健吾は、黄金の余熱を抱いたまま、阿蘇の険しい道を再び歩み始めた。


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