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からくり競輪 ー烈風のマブイー  作者: 水前寺鯉太郎
G1編

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第四十五話:氷壁のストラテジー、立川・断絶のイブ

立川・凍結バンクの物理学的地獄

 十二月三十日、午前。立川競輪場を包む空気は、もはや気体ではなく、硬質な結晶となって競技者の肌を削り取ろうとしていた。空は高く晴れ渡っているが、それは太陽が熱を失い、宇宙の冷気が直接地表へ降りてきているような、透明な極寒。

 からくり競輪における「KEIRIN GP」は、その年で最も速い九人が集う場所だが、立川という舞台はそこに「環境という敵」を付け加える。路面温度は氷点下五度。アスファルトの微細な隙間に潜む水分が凍りつき、タイヤのグリップを根底から破壊する。最新のからくりスーツにとっても、この寒気は致命的な「毒」であった。

* 氷点下摩擦サブゼロ・フリクション: 低温によりゴムの分子構造が硬化し、グリップ力が通常の三割にまで低下する現象。

* サーマル・ショック・ノイズ: スーツ内部の超高温マブイ回路と、外部の極低温が衝突することで生じる、電子制御の「震え(ジッター)」。


 朝の指定練習。バンク表面は特殊な融雪装置によって黒いアスファルトを覗かせていたが、そこから立ち昇る白い冷気は、からくりスーツのセンサーを狂わせ、視界を遮る「白い毒」そのものであった。

 速水健吾は、1番車の白いカバーをつけた『真・炎 Mk-III』を転がし、ゆっくりと周回を重ねていた。一漕ぎごとに、路面から伝わる振動が氷のつぶてのようにフレームを叩く。

 「(……くそっ、一漕ぎごとにマブイが外気へ熱を奪われていく。熱を出せば出すほど、外気との温度差で機体内部に結露が生じ、精密回路がショートしかけるんだ。まるで、自らの火で自らを焼き切っているようなもんだぜ……)」

 久留米で手に入れた「琥珀色の炎」は、そんな過酷な環境下でも、芯からじわじわと温めるような安定した出力を保っていた。爆発的な加速スプリントは鳴りを潜めているが、凍てつく空気に負けない粘り強い熱量が、健吾の脚に確かな感触を伝えている。

 しかし、その隣を音もなく滑走する「絶対王者」神代の走りは、もはや生物の域、あるいは物理法則の域をさえ超えていた。

 神代の機体、『氷王ヒョウオウ』。

 彼が通り過ぎた後には、空気中の水分が瞬時に凝固し、キラキラと輝くダイヤモンドダストが舞う。そして、路面には雪さえも凍りつく「絶対零度の轍」が残されていた。

 彼は冷気と戦ってはいなかった。立川の寒さを自身の超電導回路の冷却に利用し、エネルギーへと変換する**【冷気同期サーマル・シンクロ】**。

 寒ければ寒いほど、神代は強くなる。この凍土において、彼は文字通りの「王」であった。


 練習を終えた検車場。そこには、火花が散るような緊張感が漂っていた。

 算盤陣が、青白い顔でタブレットを操作し、健吾の機体に最新の環境適応データを流し込んでいた。

 「速水、最悪だ……。明日の本戦予報はさらに気温が下がる。神代の『氷王』は、外気温が低ければ低いほど電気抵抗がゼロに近づき、超電導効率が跳ね上がる。……僕たちのヒートは、彼にとっては空気抵抗を増やすだけの『ノイズ』であり、吸収すべき『餌』でしかないんだよ」

 算盤の声には、珍しく焦燥が混じっていた。論理の男をもってしても、神代という「自然そのもの」と化した男を攻略する数式が見当たらないのだ。そこへ、漆黒のスーツを調整していた不知火焔が通りかかった。彼の誇る黒炎さえも、今日の寒さの中では勢いを欠き、煤けたような色をしていた。

 「算盤、四の五の言うな。理屈で勝てねぇなら、あいつが氷だろうが絶対零度だろうが、この立川ごと地獄の業火で焼き尽くしてやるだけだ。溶けない氷なら、蒸発させてやるよ」

 「……無謀ですね、焔さん。力で自然をねじ伏せようとすれば、その反動でマブイが砕けます」

 桜庭葵が、静かにタイヤの泥を拭いながら呟いた。彼女の周囲には、寒さを拒絶するのではなく、受け入れて無効化するような不思議な静寂が漂っていた。

 「明日のGP……最後は熱でも氷でもない、『心の密度』が勝敗を決めます。自分が何のためにここにいるのか……それを忘れた者から、この凍土に飲み込まれるでしょう」


 午後のバンクでは、本戦の前哨戦となる『ヤンググランプリ』が行われた。

 次世代のスターたちが、一億円への切符をかけて激突する二十歳前後の若者たちの戦い。しかし、そこで凄惨な波乱が起きた。

 最終コーナー。時速70キロを超える高速域で、優勝候補の一人が凍結していた路面――融雪装置の死角となっていた一箇所でスリップ。

 「ガシャァァァンッ!!」

 金属が砕ける悲鳴のような音がドームのない屋外バンクに響き渡る。後続の数名が回避できずに巻き込まれ、カーボンフレームの破片が雪の上に散らばった。

 客席から上がる悲鳴。健吾はその光景を、発走控え室のモニターでじっと見つめていた。その拳は、白くなるほど強く握りしめられていた。

 (……これが、GPの重圧。一瞬の油断、一ミリの滑走が、これまでの一年間の努力、仲間との絆、そして将来の全てを奪う。ここには『次』なんて言葉は存在しねぇんだ)

 落車した選手の、動かなくなった機体。それは、からくり競輪の残酷な一面を改めて突きつけていた。熱いだけでは勝てない。賢いだけでも勝てない。この冷徹なまでの現実に、どう立ち向かうべきか。

 宿舎へ戻る薄暗い渡り廊下。健吾を呼び止める、凛とした声があった。

 那須妙子だ。彼女は今大会、惜しくも出場権を逃したが、健吾の「一番の理解者」として、そして館山の風を代表して立川に駆けつけていた。

 「速水。……あんた、明日は『1番車』を捨てなさい」

 「……え? 妙子さん、何を……。1番車は最短距離、王者の枠だって……」

 妙子は健吾の胸元を強く掴み、その瞳を真っ直ぐに射抜いた。

 「最短距離を走ろうとしてインにこだわれば、神代の作った『氷の檻』に閉じ込められる。あんたのマブイは、そんな狭いところで満足するような火なの?」

 妙子は窓の外、暗闇に沈むバンクを指差した。

 「あんたは阿蘇の風でしょ? だったら外から、誰も通らない、凍てついた『道なき道』を焼き払いなさい。計算も最短距離も全部無視して、立川の雪を全部蒸発させるくらいの気概を見せなさいよ。……あんたが火を灯さなきゃ、誰が明日の夜を明かすのよ」

 妙子の言葉が、健吾の胸の中でくすぶっていた迷いを一気に吹き飛ばした。

 最短距離を走るのが「正しい競輪」だ。しかし、自分がやるべきなのは「正しい競輪」ではなく、人々の心を打つ「速水健吾の競輪」だったはずだ。

 「……ああ。分かってるよ、妙子さん。1番車を、ただの白いジャージだと思えばいいんだな」

5. 最後の夜:琥珀の灯火と宿命の朝

 十二月三十日の本戦を数時間後に控え、健吾は一人、自室で御神から託された勾玉を磨いていた。

 窓の外、立川の夜空には吸い込まれるような満天の星。地上は、吐く息が瞬時に白くなるほどの寒気に包まれている。

 「源さん、算盤、葵、焔……そして神代……。親父、見ててくれ」

 健吾の胸の中で、琥珀色のマブイが「ドクン」と、静かに、しかし地響きのような力強さで脈動した。

 それは、明日のレースがどのような結末を迎えようとも、自分自身が「火」として生き抜くことを決意した、王者の鼓動であった。

 「神様、あんたの氷がどれだけ冷たくても……俺の火は、もう消えねぇぜ」

 明日、号砲が鳴るとき。

 速水健吾の「琥珀色の炎」が、立川の凍土を溶かすか、あるいは神代の「絶対零度」がすべてを静寂に沈めるのか。

 歴史に刻まれる一日の幕が、いま静かに上がろうとしていた。

結末:そして、運命の号砲へ

 立川競輪場、午後四時三十分。

 夕闇が迫る中、カクテル光線が九人の戦士を照らし出す。

 神代の『氷王』から発せられる青い冷気が、発走機を白く染めていく。

 健吾の『真・炎 Mk-III』は、不気味なほど静かに、琥珀色の予熱を開始した。

* 【最終決戦の選択】:

* 「外一閃」: 妙子の教え通り、最短距離を捨て、大外の極寒路面から神代を焼き払う「道なき道」の勝負。

* 「内側への潜行」: 算盤の論理を極限まで信じ、神代の懐に飛び込んで「内部から熱暴走」を誘発させる決死の特攻。

* 「四天王の共闘」: 葵、焔、算盤と一時的に協力し、神代という「壁」を崩すための新世代ラインの形成。

 速水健吾、発走機へ。

 全マブイ、接続完了。

 

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