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からくり競輪 ー烈風のマブイー  作者: 水前寺鯉太郎
G1編

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第四十三話:筑後川の試練 ―久留米、原点への回帰

聖地・久留米における「重力の再定義」

 北九州メディアドームでの「競輪祭」制覇から二週間。速水健吾の名は、からくり競輪界における絶対的な太陽として刻まれた。しかし、その輝きの代償はあまりにも大きかった。「一兆度の静寂」は、健吾のマブイのコアを極限まで削り、鋭利なガラス細工のように脆く変えていたのである。

 次なる舞台は、年末の最終決戦「KEIRIN GP」。場所は厳冬の東京都、立川。

 極寒の空気、吹き荒れる空っ風、そして一億円の重圧。今の「研ぎ澄まされすぎた」健吾では、立川の最初の一漕ぎでマブイが粉砕しかねない。源さんが健吾を連れて向かったのは、九州競輪の聖地――久留米競輪場であった。

* 筑後川の湿潤重圧(筑後・ヘヴィ・エア): 日本最大の流域面積を誇る筑後川から流れ込む湿った空気が、バンク内に独特の粘りドラッグを生み出す。

* マブイの熾火化エンバー・プロセス: 瞬間的な爆発力を捨て、長時間にわたって熱量を維持・持続させるための魂の変容プロセス。


 「……空気が、肌にまとわりつく。小倉とは正反対だ」

 久留米競輪場の検車場。速水健吾は、肌を刺すような冬の湿気に顔をしかめた。

 ここは、多くの伝説的レーサーを輩出した「聖地」である。からくり技術が導入される以前の時代から、九州の男たちが自らの脚と魂をぶつけ合ってきた場所。

 「速水、いいか。小倉での勝利はお前を頂点に引き上げたが、同時に『人の領域』から遠ざけすぎた。今のままじゃ、立川の寒気の中で、お前のコアは急激な収縮に耐えられず、内側から砕けるぞ」

 不破源さんが、筑後川から吹き抜ける冷たい風に目を細めながら、健吾の機体を見つめる。

 今回の久留米出走は、異例の一般開催(F1)への補充参戦。本来、GP出場を決めた賞金王が走る場所ではない。しかし、ここには健吾が失いかけている「重み」が残されていた。


 久留米の検車場に現れた健吾を待っていたのは、最新鋭のスーツを纏ったライバルたちではなかった。

 「……久しぶりだな、阿蘇の小僧。少しは見られるツラになったじゃねぇか」

 そこにいたのは、かつて健吾を苦しめた「旧世代の精鋭」たちや、すでに全盛期を過ぎ、引退を囁かれているベテランレーサーたちであった。彼らのスーツは、傷だらけで古色蒼然としている。しかし、その佇まいには、何十年という月日をバンクに捧げてきた者だけが持つ、岩のような存在感があった。

 「GPはな、技術や熱量だけじゃ勝てねぇんだ。最後は『重み』だ」

 一人のベテランが、油の染みた手で健吾の肩を叩いた。

 「俺たちがこの地で流した汗、散っていった仲間たちのマブイの残滓……その積み重なった『重さ』を、その身に叩き込んでいけ。俺たちは今日、お前のための『動く標的ターゲット』だ」


 久留米のバンクは、小倉の「無音の宇宙」とは違い、絶えず風と水音、そして大地の震えが「音」として伝わってくる。

 健吾は、源さんの指示により、最新の電子制御カウルをすべてロック。さらに自動姿勢制御もオフにした、限りなく「鉄のフレーム」に近いアナログ設定でバンクに入った。

 レースが始まると同時に、地元のベテランたちが健吾を取り囲む。

 彼らの最高速度は、健吾のそれには遠く及ばない。しかし、彼らは「位置取り」と「呼吸」だけで、健吾の動きを完璧に封じ込めた。

 「(……くっ、熱が出せねぇ! 隙間がない……! 追い込もうとするほど、俺のマブイが空回りしてやがる!)」

 健吾が加速しようとすれば、ベテランの風圧が絶妙なタイミングでそれを相殺し、健吾が内を突こうとすれば、三半規管を惑わすような重低音の駆動音が健吾を包み込む。

 それは、暴力的な破壊ではなく、巨大な「沼」に引きずり込まれるような、泥臭い戦術タクティクスであった。


 三周目、筑後川を渡る冷たい強風が、剥き出しの健吾の体に叩きつけられた。

 その瞬間、健吾は理解した。

 これまでの自分は、常に「爆発」することで壁を突破してきた。館山でも、弥彦でも、小倉でも。一瞬の最大出力を高め、光の速さで駆け抜ける。しかし、それは同時に、自らを燃やし尽くす「自食」の行為でもあった。

 GPという、選ばれし九人の「怪物」が極限状態でひしめき合う場所では、安易な爆発は一瞬で中和され、反撃の糧にされる。

 今、自分に必要なのは、一瞬の閃光ではない。

 どんなに冷たい風に晒されても、どんなに泥沼の展開に引きずり込まれても、決して消えることのない**「持続する熾火おきび」**。

 「……そうか。親父が見ていたのは、これだったんだ。派手な光の裏にある、消えねぇ熱だ」

 健吾のコアから、トゲトゲしい白銀の閃光が消えた。代わりに、コアの奥底から深く、重厚な**「琥珀色の熱」**が、ゆっくりと、しかし圧倒的な質量を伴って溢れ出し始めた。


 調整の最終日、久留米F1開催の決勝戦。

 健吾は、観客が期待した「異次元のロケットスタート」を封印した。

 最後方に置かれながらも、一漕ぎ一漕ぎに、全身の細胞、そして勾玉の記憶を乗せていく。

 最終コーナー。健吾が仕掛けたのは、華やかな捲りではない。地を這う重戦車が如き、バンクを物理的に押し潰さんばかりの「力押し」であった。

 「……なんだ、この重圧は!? 速水じゃない、まるで筑後川の濁流が押し寄せてくるみたいだ!」

 対峙するベテランたちが、驚愕に目を見開く。健吾の背後には、誰の姿もない。しかし、彼らが感じる圧力は、まるで九人の王者が同時に迫っているかのような重厚さだった。

* 1着:速水 健吾(阿蘇)

* 決まり手:捲り(琥珀の衝撃)

 1着でゴールした健吾は、電光掲示板も、自分を讃える観客の声も振り返らなかった。

 彼はただ、愛機から降り、筑後川の向こうに沈む、深いオレンジ色の夕日を見つめていた。その瞳には、もはや小倉で見せた焦りや、弥彦で見せた危うい鋭さはなかった。

 そこにあるのは、すべてを受け入れ、すべてを焼き続ける、「王者の熱」。

結末:立川へ、伝説の終焉へ

 「……再調律、完了だな」

 源さんが、満足げに頷いた。健吾のスーツは、見た目こそ変わらないが、その内核には、立川の寒気さえも自らの熱源に変えてしまう「熾火の心臓」が宿っていた。

 しかし、その健吾の元へ、一人の少女が駆け寄る。

 「健吾さん! 大変です、算盤さんから……緊急の通信が!」

 算盤陣からのメッセージには、一瞬で健吾の表情を強張らせる内容が記されていた。

 『立川の特設バンクに、僕たちの計算を全て無効化する「第十の機体」が運び込まれた。……そしてその機体のパイロットは、死んだはずの君の父親……速水火炎かえんだ』

 死者が走るのか、それとも過去が牙を剥くのか。

 



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