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からくり競輪 ー烈風のマブイー  作者: 水前寺鯉太郎
G1編

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第三十八話:単騎、神域を裂く ―八握剣の試走(デモンストレーション)―

弥彦における「地磁気共鳴」と『八握剣』の工学的考察

 新潟・弥彦競輪場の天候は、もはや「荒天」という言葉では片付けられない、超常的な領域に達していた。寬仁親王牌・三日目。主力選手たちが準決勝に向けて牙を研ぎ、静まり返った検車場のモニターに、突如として「激震」が走る。

 欠員が出た補充戦。本来であれば、落車や体調不良で離脱した選手の穴を埋めるため、予選落ちした格下の選手が走る「敗者復活」の意味合いが強いレース。しかし、そこに記載された名は、弥彦のすべてを統べる禁足地の守護神――**御神みかみ**であった。

 そして彼が駆る伝説のからくりスーツ、『八握剣ヤツカノツルギ』。

 この機体は、最新のカーボン工学や電子制御プログラムの延長線上には存在しない。それは、かつて「からくり」という技術が、神仏への奉納品として作られていた時代の名残であり、現代の科学が「迷信」として切り捨てた理論を、物理的現実へと昇華させた「神話の断片」であった。

* 玉鋼たまはがね製モノコック: 日本刀と同じ伝統的製法で鍛え上げられた、不純物を極限まで排した鋼鉄フレーム。磁気伝導率が異常に高く、地球の磁場と直接干渉する。

* 龍脈同調ドラゴン・ライン・フェイズ: 弥彦神社の地下を流れる、大地のエネルギー「龍脈」の周波数に、マブイの拍動を強制的に同調させる出力形式。


 「……補充出走だと? 冗談じゃねぇ。あんな化け物を、この泥濘ぬかるみのバンクに放り出すのか!?」

 検車場で健吾は、モニターを凝視しながら戦慄していた。

 通常、補充戦を走る選手に求められるのは「無事に完走すること」であり、賭けの対象としての誠実さである。しかし、御神にとっては格も着順も、そして観客の馬券さえも無意味であった。彼はただ、弥彦の神に「至高の道」を捧げるためだけに、スタートラインに立ったのだ。

 ラインを組む相手もいない。後方を守る番手もいない。

 完全なる単騎。九車立てのレースでありながら、そこに並ぶ他の八人は、御神という太陽の前に消えゆく星屑に過ぎなかった。

 発走機に据えられた『八握剣』は、一切の電飾を排し、ただ研ぎ澄まされた刃のような冷たい銀色の光を放っている。その重厚なシルエットは、最新鋭の軽量マシンに囲まれることで、かえって異様なまでの存在感を際立たせていた。


 「構えろ!」

 号砲が鳴り響いた瞬間、観客、そしてモニター越しに見守る全レーサーは、自身の物理感覚を疑った。

 雨に打たれ、スリップしやすい泥濘の路面で、他の八台のからくりスーツがタイヤを空転させ、姿勢制御プログラムの火花を散らす中、御神の『八握剣』だけが、まるで**「前方にある真空に吸い込まれる」**かのような、滑らかで暴力的な加速を見せたのだ。

 「キィィィィィィィン……」

 それはモーターの回転音でも、風切り音でもない。玉鋼で鍛えられたフレームそのものが、弥彦の神域の空気と摩擦し、高周波の共鳴音を上げているのだ。

 

 「見て……風が、避けてるわ。あのスーツに触れることさえ許されないみたいに、空気の層が自ら道を譲っている……」

 館山の風の主、那須妙子が、そのあまりの「神々しさ」に呆然と立ち尽くした。

 『八握剣』は、弥彦の荒ぶる風を「斬り裂いて」いた。斬られた風は抵抗を失い、むしろ機体の後方へと整流され、巨大な推進力へと変換されていく。それは空力工学エアロダイナミクスを超えた、流体そのものを支配する「抜刀術」であった。


 残り一周、ジャンが弥彦の森に木霊する。

 通常なら、後続が追い込みをかける勝負どころ。しかし、御神はすでに後続を半周以上、距離にして百数十メートル引き離していた。

 

 だが、彼の走りは決して「逃げ」ではなかった。

 それは、バンクという円環の舞台を用いた、一つの**「剣舞けんぶ」**。

 『八握剣』の機体各所から、微かに青白いリン光が溢れ出し、路面に淡い軌跡を描いていく。

 算盤陣の持つ、世界最高峰の演算能力を誇るタブレットが、絶え間なく警告音を上げ続けた。

 「速水、見ろ……! 彼のマブイ出力、波形がめちゃくちゃだ。いや、違う……数値化できない『周期』で変動している。これは……弥彦神社の地下、深層岩盤を流れる**『龍脈りゅうみゃく』**の振動と、一分の一秒の狂いもなく完全に同期しているんだ!」

 算盤の指が震える。

 「彼は、自分自身のマブイで走っているんじゃない。弥彦という『土地』そのもののエネルギーを、機体という依代よりしろを通してバンクに解き放っている……! 計算が成り立たない。彼は、バンクの一部……神そのものと化しているんだ!」


 検車場からその光景を凝視していた健吾は、自身の『真・炎』が、御神の走りに呼応して、かつてないほど激しく震えているのを感じた。

 それは、弱者が強者を前にして抱く「恐怖」ではなかった。

 健吾の奥底に眠る、阿蘇の荒ぶる火山のような魂が、弥彦の神獣という「最高の標的」を目の当たりにし、狂喜乱舞しているのだ。

 「……単騎で、風を斬り、大地を従える。あんな競輪、あんな魂……俺は、今まで一度も見たことねぇ」

 御神は、ゴールラインを通過するその瞬間まで、一度もペダルを緩めなかった。

 彼がゴール板を駆け抜けた瞬間、弥彦山を覆っていた分厚い暗雲が、まるで巨大な刃で円形に切り取られたかのように一瞬で晴れ渡り、天から一筋の陽光が『八握剣』の銀色の装甲を照らし出した。

* 1着:御神(弥彦・神域守護)

* 着差:大差(観測不能)


 観客が言葉を失う静寂の中、バンクから引き揚げてくる御神。

 その前に、一人の若きレーサーが立ちはだかった。速水健吾である。

 

 健吾の身体からは、抑えきれない白銀の熱気が陽炎かげろうとなって立ち昇り、周囲の冷気を蒸発させていた。

 「御神さん……。あんたの走り、最高に『熱かった』ぜ。度肝抜かれたよ。……でもな、俺の炎は、神様だろうが龍脈だろうが、全部飲み込んで、もっとデカく燃え上がるようにできてるんだ」

 御神は、歩みを止め、メンを模したヘルメットの奥から、深く、静かな視線を健吾に向けた。その視線は、健吾のマブイの深層までを見通すかのように鋭く、そして慈悲深かった。

 「……若き火よ。お前の熱は、確かに弥彦の風を揺らした。だが、火はいつか燃え尽き、灰となる。明日、その言葉を灰にせず、万物を照らす光に変えられるか……。弥彦の風とともに、そのときを待とう」

 御神はそれだけ言い残すと、再び静寂の中へと消えていった。

結末:親王牌・最終日へ

 御神が見せつけた圧倒的な「単騎の力」。

 健吾はこれまで、仲間との絆、テクノロジーの進化、そして緻密な戦略で勝利を積み重ねてきた。しかし、目の前に提示されたのは、それらすべてを無に帰す**「個の極致」**。

 「絆」が甘えになるのか。「論理」が枷になるのか。

 最終日、寬仁親王牌・決勝。

 阿蘇の不死鳥と、弥彦の守護神。

 人か、神か。

 本当の「独り」で風を斬る覚悟がある者だけが、弥彦のいただきに立つ権利を得る。

 健吾は、静かに拳を握り、黄金色に染まり始めた弥彦の空を見上げた。

 「……見てろよ、親父。俺の火が、神様を驚かせてやるぜ」


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