第6話「ドワーフの暴れん坊」
本職もあるため、更新遅めです……。
ご了承くださいませ<(_ _)>
酒場の灯りが暖かく揺れている。
石造りの壁に吊るされたランプの火が、木の長椅子や酒樽を柔らかく照らし、賑やかな笑い声や歌声が響いていた。
酔ったドワーフたちが腕を組んで歌い、卓上では豪快に肉と麦酒が飛び交っている。
その片隅に、セリュオスとフィオラは腰を下ろしていた。
二人の前に並んでいるのは焼いた獣肉の皿と、香草を利かせた野菜の煮込み。
それを前にしながらも、フィオラは落ち着かない表情を浮かべている。
「……酒臭い……」
「そうか?」
「匂いだけじゃない。声も、空気からも臭ってくる。酔っぱらいの大声なんて聞いてると、頭が割れそう」
彼女は周囲の喧噪に眉をひそめ、耳を押さえていた。
エルフの耳は人よりも敏感だから、笑い声や食器のぶつかり合う音がいっそう鋭く突き刺さるのだろう。
セリュオスは苦笑して、皿から骨つき肉を引き上げた。
「慣れろよ。戦場なんてこんな騒ぎよりずっと喧しいだろ」
「戦いの場と食事の場を一緒にしないでちょうだい」
そっけない返事をしながらも、フィオラは煮込みを一口すくった。
舌に広がる味は意外に悪くないとでも思っているのだろうか。
だが、フィオラはそれを隠すように、わざと眉を顰めて見せる。
セリュオスはそれを見てニヤリと笑った。
「……なんだよ、美味しいんだろ?」
「べ、別に普通に決まっているでしょう。……ただの塩味よ」
「へえ、そうかい」
わざとらしく相槌を打つセリュオスに、フィオラは頬を赤らめてグラスを傾けた。
薄い葡萄酒が喉を滑る。
そんな時、酒場の扉が乱暴に開かれた。
冷たい夜風と共に、煤と鉄の匂いをまとった大柄な影が入ってくる。
乱れた赤茶の髭、厚い胸板に煤汚れのついた作業着。
目つきは鋭く、背中には大ぶりな戦斧を背負っている。
その男は、迷うことなくカウンターに向かうと、無造作に腰を下ろして酒を注文した。
「……あのドワーフ、ただ者じゃないわね」
「フィオラも気づいたか。周りのヤツらとは雰囲気が全く違うな。あれはいつ暴れ出してもおかしくないぞ」
セリュオスが低く言うと、フィオラも警戒するように視線を逸らす。
とはいえ、しばらくは何事もなく、穏やかな賑わいが続いていた。
だが、やがて一つの声が荒々しく響き渡った。
「おい、勘定は明日でいいだろ! こちとらアンタらんとこの鉱山を追われて来たんだぜ、金なんざ出せるかよ!」
「一日くらい待ってくれたっていいじゃねえかァ!」
数人のよそ者らしい男たちが、酒代を踏み倒そうとしているのか、店主に食ってかかっていた。
周囲のドワーフ客たちが顔を顰めて見守る中、先ほどのカウンターの男が、ぐいと立ち上がった。
椅子が床をきしませ、彼は無言のまま大股で男たちに歩み寄る。
その背中に漂う圧は、今までの賑やかさを一瞬で凍りつかせるほどだった。
セリュオスとフィオラも思わず手を止めて様子を見る。
「……始まるぞ」
「ああ……またダルクのヤツか?」
そう誰かが呟いた直後、その男――ダルクの拳が、酒代を踏み倒そうとした男の顔面を豪快に殴り飛ばした。
木のテーブルがひっくり返り、酒樽が割れて麦酒が飛び散る。
怒号と悲鳴が入り混じり、酒場の喧騒は一瞬にして乱闘へと変わった。
酒と麦の匂い、怒号、破片の散乱――酒場は制御することを諦めていた。
飛び散るジョッキ、倒れる椅子、跳ねる肉や野菜。
セリュオスとフィオラも、思わず立ち上がった。
「くっ……毎度こうなのか、ここは!」
セリュオスは叫びながら、飛びかかる酔っ払いを躱す。
一方で、ダルクは斧を一度も抜かず、腕力だけで次々と暴れる男たちを弾き飛ばしている。
拳と肩がぶつかるたび、テーブルが軋み、酒場の梁が震える。
「おい坊主! そこで見てるだけかよ! こっち来てオレと戦おうぜェ!」
ダルクが指差しているのは、まさにセリュオスのことだった。
「セリュオス、ダメよ! あなたが戦う理由なんてないでしょう!」
「すまん。急に手合わせしてみたくなった……」
「もう、あなたって人は……」
セリュオスはフィオラの制止を聞かずに歩き出していた。
フィオラは呆れて溜息をつくことしかできない。
気づけばセリュオスとダルクは互いの拳を突き合わせていた。
ダルクの腕は太く、まるで鉄のような筋肉がしなやかに動く。
セリュオスの腕とぶつかった途端、ダルクの全身に衝撃が走る。
「ぐっ……力だけじゃねえのか、お前ェ!」
ダルクの声には怒号と笑いが混じっていた。
まるでこの戦いそのものを楽しんでいるかのようだ。
「いいや、力だけじゃないね。それだけで勝てると思うなよ!」
セリュオスは反撃の間合いを計り、左腕を盾のように構えてダルクの腕を弾きながら、逆に膝蹴りを放った。
ダルクは身を捻って躱すと、そのまま豪快にセリュオスの肩を弾き飛ばした。
その頃、酒場の客たちは悲鳴を上げて逃げ惑っていた。
テーブルはひっくり返り、食器や酒が床に散乱している。
とはいえ、安全そうな場所を見つけると、二人の戦いを見ることに熱中し始めてしまったわけだが。
互いの目には怒りというよりも、好奇心と興奮が宿っていた。
二人とも、自分の力を試したくて仕方ないような目をしている。
「お前ェ……細い人間のくせに、なかなかやるな!」
ダルクは笑いながら、次の一撃を振り下ろした。
斧を使わずとも腕力だけで衝撃を与えるその威力に、セリュオスは本物の盾を構えることにした。
「油断するなよ、俺だって負けてねぇ!」
セリュオスは盾で受け止めながら、踏み込んで反撃する。
拳がぶつかり、肩が衝突し、二人の身体が床を滑った。
戦いながらも二人は怒鳴り合い、笑い合い、突き飛ばしながらも互いの動きを観察し合う。
「お前、ただの力自慢かと思ったら、頭も切れるんだなァ!」
「そっちもな! 力だけじゃなくて、ちゃんと度胸があるじゃねえか!」
肩からぶつかってくるダルクに対して、セリュオスも笑いながら応戦する。
床に散らばる破片やこぼれた酒の匂いの中、二人の戦いは徐々に様相を変えていった。
「ここからは、本気で行くぞ!」
セリュオスは、剣を腰から抜き放った。
鋭い光を帯びた刃は、酒場の暗がりに青白く反射する。
「望むところだァ、坊主!」
ダルクも肩に背負った戦斧を手に取り、その目を輝かせる。
二人の間に空気が張り詰め、互いの力と意地をぶつけ合う戦場が、狭い酒場の中に生まれる。
セリュオスの剣が振り下ろされるたび、ダルクは斧で受け止め、跳ね返す。
金属同士の衝撃音が響き、飛び散る火花がランプの光を乱反射した。
「かなり重いな……!」
セリュオスは斜めに剣を振り上げて斬撃を躱すと、素早く横に踏み込んで反撃の構えを取る。
「すばしっこくて、うざってえなァ!」
ダルクは斧を振るいながら笑い、剣を受け止める腕に力を込める。
その振動が床を震わせ、近くの椅子や酒樽が倒れた。
セリュオスは盾を左腕に構え、斬撃を弾きながら回転して距離を取る。
「私は掃除屋じゃないんだけど!」
フィオラはその隙間に小さな風の魔法を飛ばし、飛散する破片を吹き飛ばした。
「お前ェ……久し振りに昂らせてくれやがる!」
ダルクが斧を縦に振り下ろす。
セリュオスは剣で受け止め、力を押し返す。
金属同士の擦れる音が耳を刺す。
二人の攻防は次第に激しさを増し、剣と斧がぶつかるたびに酒場全体が揺れる。
床に刻まれる傷跡、割れるグラス、飛び散る酒――混乱は最高潮に達していた。
「やれるもんならやってみろ!」
セリュオスは盾の隙間から斬撃を差し込み、斧を受け止めるダルクの腕を弾き飛ばす。
「おお……! 面白いじゃねえか、坊主!」
ダルクは笑いながら踏み込み、勢いよく斧を振り下ろす。
セリュオスは剣と盾を使ってそれを受け止め、力を込めて跳ね返す。
二人の体が押し合い、まるで戦場で戦っているかのように鬼気迫っていた。
それからどれくらいの時間が経っただろうか。
二人の戦闘は深夜まで続き、やがて月明かりが弱くなってきたように感じてきた頃合い、二人は互いに膝をつき、荒い息をついた。
剣と斧が交わした衝撃によって互いの力と意地を感じ、二人の間に奇妙な理解と尊敬が芽生えたような気がしていた。
ダルクは荒々しく笑い、手を腰に置いた。
「……悪くなかったな、坊主。お前、根性もあるし、頭も悪くない」
セリュオスも息を整えながら、剣を鞘に納める。
「あんたも……腕力だけじゃなく、意地もあっていい戦士になれるぜ」
「ダルクだ……」
「ん?」
「オレの名前だよ」
「知ってるよ。ドワーフたちがアンタの噂してたからな」
「さすがに有名人すぎたか。んで、坊主は?」
「……俺は、セリュオスって言うんだ」
「いい名前だな」
破壊された酒場の中、二人の目には戦いを通して生まれた不思議な連帯感が宿る。
互いの実力と意志を認め合った瞬間だった――。
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