第2話「旅立ち」
本職もあるため、更新遅めです……。
ご了承くださいませ<(_ _)>
ルゥン・ヴォルフーー魔王軍の尖兵である巨狼を退けた夜から、村の空気は一変した。
村人の誰もが震えながらも、勇者の紋章を宿した青年の存在に希望を見いだしていた。
そして勇者として覚醒することになったセリュオス自身は、自分が魔王軍と戦うことの意味を真剣に考えるようになった。
今までのように義父母の手伝いをしているだけではいられなくなったのだ。
「魔王軍の侵攻がすぐに始まるだろう。勇者は早々に旅立たねばならぬ」
翌朝の村会議で、村長がセリュオスに向かって告げた。
そう告げられたとき、セリュオスはある悩みを抱えていた。
その時は、ただ拳を握り締めて俯くことしかできなかった。
果たして、勇者の旅というものは一人でおこなうものなのか。
支え合うような仲間がいてはいけないのか。
セリュオスにはそれがわからなかった。
村に伝わる御伽話では、勇者は必ず何人かの仲間を見つけて、共に助け合って魔王に挑んだと聞いたことがある。
とはいえ、村人の中から戦えそうな者を連れて行くのは違うように思っていた。
セリュオスがいない間に村が襲われてしまうのも本意ではない。
村には義父オルフェンも義母セリナも残ることになる。
彼らの命が何よりも心配だった。
セリュオスの胸に焼き付いていたのは、勇者となった際に輝いた光の紋章と、恐怖に震える義母の手の感触だった。
それからの日々は、旅立ちの準備に費やすことになった。
義父のオルフェンは鍛冶場に籠り、炉の火を絶やすことなく鎚を振るった。
それは古びた剣を一度解体し、勇者の手に相応しい新たな剣を鍛え直すためだった。
鋼を打ち鳴らす音は、村全体に響き渡った。
皆がその甲高い音を聞きながら、勇者が武器を得て旅立ちの迎える確信を心に刻み込んでいった。
義母のセリナは、夜ごとに糸車を回し、マントを織った。
それはただの布ではなかった。
何日もかけて羊毛を撚り、染め上げ、手で縫い合わせたものだった。
魔よけの刺繍を一針ごとに込めながら、祈りを織り込んでいく。
セリナの目は赤く、夜更けに灯す油の匂いが家中に漂った。
それでも彼女は疲れを見せず、ただセリュオスが寒さに凍えぬようにとだけ祈りを捧げ続けた。
村人たちもそれぞれが贈り物を用意してくれていた。
薬師の老婆は乾いた薬草を包み、猟師は狩った鹿肉を燻して保存食としくれて、ある職人は小型のナイフを作って渡してくれた。
子どもたちは色とりどりの木の実で作った首飾りを差し出し、これを持っていれば必ず帰って来れるからと微笑んでいた。
セリュオスは大切な贈り物を受け取りながら、胸の奥に熱いものが込み上げるのを必死で抑えた。
だが、夜になると、不安が押し寄せてきた。
鎚の音が止んだ静けさの中、眠りにつけずに外へ出たセリュオスは、村の入り口から隣町へと続く街道を見つめた。
「自分に、魔王を倒せるのか……」
それはセリュオスの悩みだった。
勇者だからといって、すべての勇者が魔王を討つことができたわけではないのだ。
「ただの村の子だった自分が、勇者に選ばれて本当に良かったのか……」
――答えのない問いが、胸を締め付ける。
すると、義父のオルフェンが鍛冶場から現れ、煤まみれの顔でセリュオスの隣に腰を下ろした。
「眠れないのか」
義父の低い声を聞いて、セリュオスは小さく頷いた。
「……怖いのかも、しれない。俺が、本当に勇者なのかわからなくなって。魔王を倒す力を秘めていると言われても、信じられなくなって……」
静かに聞いていたオルフェンはしばらく黙って炎を見つめ、それから逞しい手でセリュオスの肩を叩いた。
「勇者だから戦うんじゃない。戦わねばならん時に立ち上がった者を、人は勇者と呼ぶんだ」
その言葉にセリュオスは息を呑んだ。
「それじゃあ、俺が……」
オルフェンの背中を追って家に戻ると、義母セリナが織りかけのマントを抱えて彼に見せてくれた。
「ほら、あと少しで完成するわ」
彼女の指先は針で傷だらけになっていた。
「セリュオス、あんたはあたしの息子だよ。血がどうとか、勇者に選ばれたとか関係ない。どこへ行っても、あんたはあんたのままだからね」
その声は揺れていたが、確かな温もりを帯びていた。
「義母さん……」
セリュオスはそう呟くだけで、涙を隠すように眠りについた。
翌日、村長がセリュオスを古い祠の前に連れて来た。
そこは森の奥にひっそりと佇み、苔むした石が積まれただけの粗末なものだったが、村人たちは代々ここで祈りを捧げてきたと言われている。
「勇者の紋章を宿す者よ、この地を守る神霊に誓いを立てよ」
長老に促されて、セリュオスは祠の前に膝をついた。
冷たい石の感触が掌を伝う。
「俺は……この村を、そして人々を守りたい。怖くても、逃げずに立ち向かう。そして、必ずこの世界を支配しようと企む魔王を、この手で……!」
声は震えていたが、その言葉はセリュオスの確かな意志だった。
その瞬間、左手の甲に宿る紋章が淡く輝き、祠の奥に刻まれた古い石碑の文様も同じ光を放った。
「神霊が勇者を祝福しているのか……」
傍にいた村長は息を呑み、やがて深く頭を垂れた。
セリュオスはその光を見て、ほんの少しだけ胸が軽くなったような気がした。
ついに旅立ちを翌日に控えた夜、セリュオスは幼い頃の記憶を夢に見た。
まだ物心がついて間もない頃、村の子どもたちにあいつは捨て子だと囁かれ、寂しさを覚えた日のこと。
泣きながら森の中に駆け込み、迷ってしまった自分をオルフェンが必死に探し出して抱き締めてくれたことがあった。
「血が繋がっていなくても、お前の場所くらいわかるさ。俺たちは、親子なんだからな」
そう言われた日の温もりが、夢の中で鮮やかに蘇った。
その記憶が、セリュオスを勇者の名に縛られるのではなく、守る力として支えてくれているのだと悟った。
――そして、旅立ちの朝が訪れた。
村の広場には大勢の人が集まり、皆がセリュオスの旅立ちを見守っていた。
「義父さん」
オルフェンが差し出した剣は、黒鉄に銀の縁取りを施した一本で、ずしりと重かった。
だが、それを握ると、不思議と手に馴染むような感覚があった。
「義母さん」
セリナが肩にかけてくれたマントは深い緋色で、朝日に照らされて温かく輝いた。
それは決して厚いものではなかったが、なぜか温かい気持ちにさせてくれた。
「セリュオス!」
村の子どもたちが駆け寄り、何度もその名を呼んだ。
老人たちは祈りを捧げ、女たちは涙をぬぐいながら見送っていた。
「みんな」
それは祝福であり、託宣であり、重荷でもあった。
セリュオスは剣の柄を握りしめ、深く息を吸った。
「……行ってきます!」
その一言に、広場は静まり返り、やがて大きな声援が沸き起こった。
セリュオスが背を向けると、胸の奥が締め付けられた。
だが、セリュオスの顔にもう迷いはなかった。
自分は勇者だ。
この村を守るためだけに勇者に選ばれたのではない。
――この世界をも守りたいと願ったから、勇者として選ばれたのだ。
そう心に刻み、セリュオスは歩き出した。
小さな村を後にし、まだ見ぬ仲間たちとの出会いに胸を膨らませ、魔王との戦いが待ち受けているであろう長い旅路を行く――。
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