第19話:王家の亡霊と、最後のページ
図書館の最深部──。
クラリスとエルミナは、古びた鉄扉を開き、長らく封印されていた「記録庫・零番区画」へと足を踏み入れた。空気は重く、埃と魔力の気配が交じり合い、まるで時間が止まったかのように空間が沈んでいた。
「ここが……“最後の記録庫”……」
エルミナは声をひそめた。石造りの棚には、革張りの書が整然と並び、そのいくつかには王家の紋章が刻まれている。
クラリスは、目の前の一冊を手に取り、表紙をなぞった。
「これは……『王室錬金記録・第117回王位実験系統』。この記録、存在自体が禁忌とされていたはずよ……」
ページを開くと、そこには生々しい記述が続いていた。
『第117系統実験体、“エル=M.N.A-13”は、被験者の中でも安定しているが、人格形成に問題ありと診断。現実認識にわずかな欠落。母体不明。』
『移譲先:ルシア・セヴラン(職権外保護処置)──理由:倫理的異議申立てによる脱管。』
「これ……まさか……」
クラリスは目を伏せた。「“あなたの名前の由来”よ。エルミナの“エル”は、実験体の番号“EL”、そしてルシアの名“Lucia”を掛けた仮名。あなたは……王家が創ろうとした“記録そのもの”だったのよ」
「記録……そのもの……?」
エルミナはその言葉を反芻した。
「“失われた歴史を、人ではなく器に保管する”。それが第117系統計画の本質だった。“生きた記録庫”を創る……」
「私は、“人”としてではなく、“記録”として生まれた……?」
クラリスはきっぱりと首を振る。
「違う。ルシアがあなたを連れ出したとき、あなたはただの実験体じゃなかった。もう、“あなた”だったのよ。彼女は、記録よりも、あなたの“存在”を選んだ」
そのとき、記録庫の奥に置かれていた封筒が、ふと風もないのに床に落ちた。クラリスが拾い上げると、それは王家の黒印が押された、極秘文書だった。
『極秘:王位継承法改定案・予備稿
提案者:王妃エカテリーナ
要旨:“錬金実験体”のうち安定個体を用い、記録継承と王位血統の維持を同時に図る。
補記:ルシア・セヴランが異議を唱え、記録ごと一体を奪取。以降、件の実験体は消息不明。
……その後の火災にて全記録焼失。事件性の有無は不明。』
「……これが、王妃の狙いだったのね」
クラリスの目が鋭くなった。
「王妃は“あなた”を、記録であり、血統維持の“器”として取り戻したかった。そしてそのために、ルシアを……」
「……殺したの?」
エルミナの声は小さかったが、震えていた。
「たぶん、直接ではない。でも、“火災”を仕組んだ可能性は高いわ。王妃は火事の混乱で、“記録を奪い返す”つもりだった。ルシアはそれを察知し、あなたを逃がし、代わりに……」
クラリスは拳を握った。
記録は事実を語るが、感情までは刻まれない。けれど、クラリスにはわかった。
──ルシアが、どんな思いで少女を抱きかかえて逃げたか。
──エルミナを“人”として残そうとしたか。
「私……生まれた理由も、存在も、ずっと怖かった。けど、今はわかる……」
エルミナは静かに言った。
「私は、“誰かの記録”じゃなくて、“私自身の物語”を選ぶわ。ルシアがそうしてくれたように、今度は私が“真実を記録”する番」
「その言葉、待ってたわ」
クラリスは、微笑んだ。そして、一番奥に置かれた空白の書に手を伸ばす。
「これは“未来記録簿”。記された内容が、未来に影響を与えると言われている“儀式書”よ」
クラリスは、その最初のページにこう記す。
『侯爵令嬢クラリス・ヴェルンシュタイン、乙女ゲームの舞台であるこの世界にて、冤罪を晴らし、記録を以て真実を再構築することを誓う。』
そして、筆をエルミナに渡す。
エルミナは躊躇いなく書いた。
『私はエルミナ・セヴラン。誰かの創った記録ではなく、自分の意志で、物語を綴っていく。これは、私の物語。ルシアの願い、クラリスの選択、すべてを未来へ繋ぐ“最後の記録”』
記録の最後のページが、ひとりでにめくれた。光が漏れ、封印された記憶が解けていく。
二人の手にあるのは、もう“過去”ではなかった。
それは、書き換えられた“未来”だった。




