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悪役令嬢は冤罪でした。──死んだはずの事件記録を読み返す時、運命は書き換えられる  作者: 露草 ひより
第三章:盗まれた予言書と、沈黙する予知者
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第9話:記録にない記憶、記憶にない記録

 夜のアステリア邸は、冷たく無音だった。


 クラリスは長い石畳を歩き、屋敷の奥――記録室ではなく、伯爵自身の執務室へと案内された。

 扉の前に立つと、従者が静かに扉を開ける。


 中には、黒曜石のような瞳を持つ老貴族が一人、デスクの前に座っていた。

 アステリア伯・レオニダス。王家の記録制度を司る家の現当主である。


「来たか、クラリス・ヴェルンシュタイン嬢。まずは警戒を解いてくれるかね。私は君を害するために呼んだのではない」


 クラリスは答えず、鞄の中から例の記録の写しを取り出して机の上に置いた。


「これが目的でしょう? “偽の記録”。エドゥアルド記録官が筆を加え、あなたの印が押されていた。王妃毒殺未遂事件の核心部分よ」


 レオニダスはそれを見ても眉一つ動かさず、逆にこう言った。


「では、君に問おう。――君は、本当に“あの日”のすべてを正確に覚えていると自信を持って言えるのかね?」


 クラリスは無言で彼を見返す。


「事件当日、君は王妃のもとへ一度も行っていないと証言していたな」


「もちろん。行くはずがない。王妃付きの侍女と茶係がいて、私の立ち入る余地など──」


「しかし、記録にはある。『クラリス嬢、王妃執務室を短時間訪問』と。時刻は十三時四十五分」


 クラリスは息をのんだ。


「そんなはず──私は、そんな記憶はないわ」


「記録には、君が“王妃へ直に手渡しした”とも書かれている。“小箱”を、な」


 小箱?


 クラリスの頭に、遠い靄のような光景が差し込んだ。


 ――たしかに、あの日の午前、誰かに「王妃へ届けてほしい」と言われて何かを受け取った。

 だが、それが誰だったのか。何を渡したのか。記憶が曖昧に歪む。


「……そんな……それが事実だとしたら……私……」


「冷静になりたまえ。私は君を告発するために記録を開示したのではない。君に問いたいのだ。なぜ、君の記憶からこの“訪問”が抜け落ちているのかを」


 クラリスは震える手で額を押さえる。


(私は……あの日、王妃のもとへ……?)


 だとすれば、冤罪どころか、状況はさらに複雑だ。

 自分自身が“何者かに利用された”可能性が濃厚になる。


 アステリア伯は、デスクの奥から一枚の古い用紙を取り出した。


「これは、記録補正前の“初期草稿”だ。エドゥアルドが記した、最初のログ。君の名は……書かれていなかった」


 クラリスは、その文字を見た瞬間、背中に寒気が走った。


 筆跡が違う。エドゥアルドのものではない。

 補正後の文書では、彼の筆致に“似せた”誰かが、名前を加えていたのだ。


「……つまり、こういうことね。

 “最初は、私は記録にいなかった”――

 それが“補正された記録”に名前を加えられ、“私が毒を盛ったように”見せかけられた」


 レオニダスは深く頷いた。


「私が知る限り、その書き換えが行われたのは、事件の“翌朝”。その前夜、王太子付き筆頭文官が記録室を訪れている」


「……王太子……?」


 クラリスの胸が、強く脈打つ。


 彼――王太子アレクセイ。かつての婚約者。

 唯一、自分を“断罪の場”に引きずり出した本人。


 まさか、彼が記録改ざんの主導者……?


「名前を記したのが彼とは限らない。ただ……王室の者が、“記録に手を加えられる唯一の特権”を持っているのも事実だ」


 クラリスは口元を引き締めた。


「ならば、次に問いただす相手は決まったわ」


 その瞳には、恐れではなく――怒りと確信が宿っていた。

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