第8話:影の印、密やかなる署名
封印された非公開文書棚――王室の記録官が保管する、一般には開示されぬ“操作の痕跡”が眠る場所。
クラリスは細心の注意を払い、鍵のかかった引き出しを解錠した。
中には、皮の背表紙で装丁された分厚い記録帳が横たわっていた。金文字でこう刻まれている。
『補正記録:王妃行動管理帳(第VIII巻)』
クラリスはその背を開き、該当日のページを捲る。
そこには、見覚えのある文字列があった――
『午後十四時、茶葉受領、服用直後に一時的な嘔吐・失神症状。
侍医の判断により、毒物混入の疑いあり。
原因不明のため、提出茶葉は記録保管室へ移送。』
その文面の末尾に、極めて小さく書かれた署名があった。
“E.G.”
(エドゥアルド・グレイ……やはり)
しかし、その下に重ねるように書き足された印影にクラリスの目が留まる。
それは、金色のインクで浮かび上がる、細く歪な“影”のような紋章だった。
(……アステリア伯家の印)
まぎれもなく、それは“アステリア伯”――この国の記録機構を統括する伯爵家の私印だった。
通常、王家直属の記録文書に貴族が私印を押すことなどあり得ない。
それはつまり、“文書操作の指示が、伯爵家から出された”という決定的証拠だ。
「やはり……あなたたちが仕組んだのね」
クラリスはそのページを写し取り、文書を元に戻した。
鍵をかけ、引き出しの表面の埃を整え、何もなかったようにその場を離れる。
だが廊下を曲がった瞬間、背後から声が響いた。
「クラリス・ヴェルンシュタイン様。そこは、立ち入り禁止区域のはずですが」
冷たい声だった。振り返ると、黒衣を纏った男が立っていた。
仮面をつけていたが、彼女はすぐに気づいた――これは、以前アステリア伯のそばに控えていた“黒衣の記録者”だ。
「……私は、再審を求めるための調査中です。王妃事件の真実を知るために、記録を確認したまで」
「記録は、真実を語りません。語るのは“制度”です」
「では、制度とは嘘の代弁者なのかしら? 私を陥れるために“記録を改ざん”しておきながら」
黒衣の記録者は一瞬黙した後、クラリスに一枚の封筒を差し出した。
「これは、アステリア伯からの“再接触の許可状”です。あなたにお話があるそうです」
クラリスは封筒を受け取った。金の封蝋には、さきほどの“影の紋章”が刻まれている。
「……逃げないでくれるのなら、歓迎よ。こちらからも、問いただしたいことがあるわ」
その夜。クラリスは再び、アステリア伯の邸宅へと足を運ぶ。
だが、彼女が踏み入れることになるのは、情報の応酬ではない――
“記録の闇”と、“記憶の罠”が交錯する、さらなる迷宮だった。




