第5話:アステリア伯の黒き法衣
以前の5話と6話以降の話に齟齬が出てしまったので、新しく書き直しました。
王城の北翼、ほとんど使われていない階上の書庫。その一角に、古びた鉄扉で隔てられた部屋がある。
そこには、政務に使われなかったはずの“記録”が眠っていた。
クラリス・ヴェルンシュタインは、その部屋の中央に置かれた閲覧台に一冊の分厚い書簡録を広げていた。
その背後で静かに立っているのは、黒衣をまとった青年。アステリア伯家付きの神官、リュカ・エルデル。
「“記録”は絶対だと思っていた。……少なくとも、あの日までは」
クラリスの声はかすれていた。指先が震えているのは寒さのせいではない。
「断罪の時、提示された記録には、私が毒入りの茶を王妃に差し出したと明確に記されていたわ。でも……それは事実と違っていた。だから、確かめなければならないの。――記録の出処を」
リュカは、しばらく沈黙したままクラリスの背中を見つめていたが、やがて低く答えた。
「記録が事実を伝えるとは限らない。記録を“誰が残したか”で、すべては変わる」
「……その記録は、アステリア伯家の神官たちが記録管理の権限を持っていたと聞いた。改ざんは可能だったのね?」
「否定はできない。だが、すべての記録に手を加えたわけではない。むしろ……改ざんの命令があったのは、ごく一部だった」
クラリスは身を起こし、開いていたページをめくった。そこには、件の断罪当日、王妃の執務室に出入りした人物の記録が記されている。
だが――そこに書かれていたクラリスの名前には、ありえない時間が記されていた。
「午後二時……? 違う、私はその時、舞踏会の予行にいた。複数の証言があるわ。これは“誰か”が私を貶めるために書き換えた記録よ」
リュカは小さく頷いた。
「この記録を書いたのは、当時、王妃付き神官だった――“黒衣の記録者”と呼ばれる人物だ。アステリア伯家の分家筋にあたり、現在は……行方知れずだ」
「記録を操作した当人が消えている……?」
「奴は、事件の翌月に突然姿を消した。死亡届すら出ていない。だが、残された文書の断片から、何らかの圧力があったことは明らかだ」
クラリスは書簡録を閉じた。手袋越しでも伝わる厚みと重さ。その中に刻まれた“嘘”の記録。
「つまり、事件の裏には“記録の操作”があった。そしてそれは、アステリア伯家の影を通じて、王妃派の誰かが行ったということね」
「その推測は、否定できない」
リュカの答えは、明確な肯定ではなかったが、沈黙は肯定よりも雄弁だった。
「だったら私は、黒衣の記録者を探す。記録が偽りならば、それを暴く鍵は、その筆を取った本人にしかない」
クラリスの瞳には、断罪の日とは違う強さが宿っていた。
過去に焼き付いた記憶が、少しずつ真実を照らし出す。
“記録”は絶対ではない。
むしろ、それは操作されうる最も恐ろしい武器だ。
そして、それに手を染めた者が、今もこの王城のどこかに潜んでいるのだった――。




