第3話:ノエルの沈黙
修道院の夜は静かだった。だがその静けさの裏に、何かが蠢いている。
クラリスは手に写本を抱え、旧地下礼拝堂へと足を運んでいた。ノエル──沈黙の子羊と呼ばれた少女──がかつて“閉じ込められていた”と噂される場所。
カリスタの言葉が脳裏をよぎる。
「彼女は預言を語りすぎた。だから、“記録される前に”封じられたの」
階段を下りるたびに、空気が重くなる。
灯りの届かない地下の奥。苔むした石の壁に囲まれた小さな扉。その鍵はなぜか、開いていた。
「……誰か、先に?」
扉を開けると、ひんやりとした空間が広がる。中央に粗末な寝具、壁に刻まれた無数の記号──それは明らかに、記録だった。
「予言……これは、夢を見たまま、書きなぐった?」
“灰の文字”ではなく、単なるチョークや煤で描かれていた。が、明確にパターンがあった。
──赤、白、火、手、倒れる王、沈黙。
「言葉にはなっていない。でも、確かに“伝えよう”としてる」
そのとき、背後で微かな足音。クラリスは素早く身を隠した。
入ってきたのは、ラファエルだった。
「……あなたも来たのね」
「ごめんなさい。ノエルのこと、まだ僕も調べていて……気になって」
彼は懐から、一枚の紙を取り出した。
「これ。ノエルが最後に残した“歌”です。修道女の一人が、亡くなる前に譲ってくれたと」
受け取ると、それは古い楽譜だった。歌詞は単純な繰り返しだったが、そこに暗号があるのは明白だった。
《朝がくる 火がのぼる
羊は見ていた 誰かが手を差し出す》
そこに隠されていたのは、日時と場所。
「“火がのぼる”……八月二十三日、日が昇る時間。
“羊は見ていた”──小羊舎。“誰かが手を差し出す”──つまり、火災は事故ではなく“誰かが引き起こす”?」
ノエルはすべてを“見た”。そして、歌に託して記録した。だが、なぜ“黙った”のか。
「……きっと、“予言は変えられない”と言われたから」
クラリスは確信していた。
ノエルは、自分の予言で人が死ぬことを恐れた。だから口を閉ざした。だが、それでも“記録”を残した。
火事、王の死──それを“防ぐため”に。
「ねえラファエル、あの火事、模倣かもしれないけど……“本物”が迫ってる。次は、“王都”かもしれないわ」
ラファエルが小さく頷く。
「もしそうなら、残された時間は、あまりない。ノエルの記録を辿って、僕たちで止めないと」
クラリスは礼拝堂の壁に記された最後の印を見つめる。
──《Ω》──終焉の文字。
「……ノエルはここで、予言を終わらせた。けれど、私は……その続きを記録する」
手帳に書き記す。
『火を見た子羊は黙した。だが、記録は語る。
予言の終わりは、記録の始まり。』
運命は変えられる──クラリスはその言葉を、ノエルに届けるように記したのだった。




