第17話:裁きの前夜、毒はまだ微かに香る
特別聴聞会の開催は、王の直命によって決定された。
形式上は「女官長ヴァレリアの不正疑惑に関する内部調査」だが、実質はクラリスに対する冤罪事件の再審の場となる。
その前夜。
王宮の一角、侍女たちの居住棟の一室で、エルミナは黙々と証拠の整理をしていた。ヴァレリアの署名入りの供述書。毒物管理簿。禁記保管室の出入り記録。これら全てが、あの“死んだ事件記録”と矛盾していた。
「……ここまで来た。明日、すべてを明かす」
クラリスはひとり呟いた。
その時だった。扉の向こうで、微かに気配が動いた。
「……誰?」
問いかけには応じず、足音は遠ざかっていく。だが、クラリスはすぐに異変に気づいた。
湯呑みに注いだはずのハーブ茶が、かすかに匂いを変えていた。
「……これ、“クラヴィスの実”?」
クラヴィス。嗅覚に作用し、神経に一時的な麻痺を引き起こす毒草。症状は緩慢で、外見上は疲労か過労死に見える。
「明日の朝、目が覚めなければ、聴聞会は開かれない……そういうことね」
クラリスは湯呑みをそのまま布に包み、立ち上がった。
向かう先は、宦官頭のユリウスの部屋だった。
「……これがその茶ですか」
ユリウスは慎重に匂いを嗅ぎ、眉をひそめた。
「間違いありません。“クラヴィス”の揮発成分が残っています。だが毒物として扱うには微量。あなたが自ら飲んだと主張されれば……事件にはならないでしょう」
「つまり、誰かが“明日を潰そう”とした証拠にはならない」
クラリスは唇を噛み、拳を握る。
その時、ユリウスが静かに告げた。
「……王妃陛下は、おそらく明日の場にも姿を現さないでしょう」
「逃げる、ということですか?」
「いいえ。“表に出るまでもない”と判断なさる。つまり──あなたの発言は無視するに足る、という意思表示」
それが王妃ルシアナのやり口だった。敵意は直接示さない。だがその背後で、着実に“口封じ”だけは果たそうとする。
「……ならば、明日、私は“毒を盛られかけた”ことをも含めて、証言します」
「それは証拠にならない」
「“証拠”ではなく、“疑問”を植えつけるの。王妃の影を、王族の前に落とす」
ユリウスの目に、微かな驚きが浮かんだ。
「……あなたは本当に、変わりましたね。まるで……」
「“悪役令嬢”みたいに?」
クラリスは微笑みを浮かべて言った。
「皮肉な話ね。私は“冤罪”で断罪されたけれど、今では“計略を使う女”になった。でも、それでもいい。誰も傷つけないためなら、私は“偽物の悪女”でも構わない」
その夜遅く、クラリスの部屋の前に、ひとりの侍女が現れた。彼女は周囲を見回し、小さな紙片を扉の隙間に滑り込ませると、音もなく去っていく。
朝になって、それに気づいたクラリスは、開いた紙に目を通す。
──明朝、王妃陛下は“南の回廊”から侍医長と密会予定。
それが意味することを、クラリスは即座に理解した。
「……新たな“証拠隠滅”か、“口裏合わせ”……?」
聴聞会は午前十時。だが、その前に“何か”が動く。
「間に合うなら、先に……南の回廊へ行くべきかもしれない」
王妃は、まだ全てを諦めていない。
──明日が勝負だ。
クラリスは、淡く朝の光を浴びながら、決戦の朝へと備えた。




