第6話:記録官ユリウスの沈黙
王宮記録官室の一角。夕暮れの赤が染み込むように差し込む中、エルミナは扉をノックした。
「……ユリウス・ミネルヴァ補佐。少し、お時間をいただけるかしら?」
いつもは静謐な記録室。だが今日に限って、彼の筆が止まった。
ユリウスは僅かに目を伏せ、そして静かに席を立った。
「……クラリス嬢。こんな時間に、記録の相談とは思えませんね」
「もちろん違うわ。あなたに訊きたい、“記録には書かれなかったこと”があるの」
クラリスは懐から一通の書簡を取り出した。
「これは、事件前夜に交わされた“王家内命”の写し。クロエ・ランベールは、第二王子レイモンド殿下との婚約候補だった。あなたは、その事実を知っていた」
ユリウスは動じなかった。だが、その手の指先が微かに震えているのを、彼女は見逃さなかった。
「なぜ、事件の記録にそれを記さなかったの?」
彼は一拍、深く息を吐いた。
「……記せなかったんです」
「それは、命じられたから?」
「記録官の本分は、“事実”を書くことではなく、“王家にとって都合のいい真実”を残すことだから」
乾いた笑みが、彼の口元に浮かぶ。
「もし書いていれば、クロエ嬢の死は“政敵による暗殺”として政治問題になったでしょう。あのとき、王家は第二王子の立場を安定させることを優先していた。だから、あの遺書は……“都合のよい自殺”にする必要があった」
「……偽造を認めるの?」
「ええ、偽造したのは私です」
クラリスは唇を噛みしめる。
「それが記録官としての“誇り”なの? 一人の命を歪めてまで」
「違う……誇りなんかじゃない。ただ、仕組みの中で生きるしかなかったんです。クロエ嬢が死んだあの日——私は、彼女を止めようとした」
「止めた?」
その言葉に、クラリスの目が鋭くなる。
「……クロエ嬢は“死にたくて死んだ”わけじゃなかった。記録にはそう書かれているが、彼女は“最後に王子と話す”と信じて、侍従に呼び出されて出かけたんです」
ユリウスの手が、机上のペンを握りしめる。
「でも……待っていたのは、誰もいない中庭。そこに落ちていたのは、一通の封書と……剣」
「その封書、見たのね?」
ユリウスは頷いた。
「差出人は不明でしたが、こう書かれていました——“お前は王家にとって不要だ”。そして、“潔く死ねば、ランベール家の名誉は守られる”と」
「それを、彼女は読んだ……?」
「ええ、あのときの彼女の顔は、今でも忘れられません。まるで、自分が道具として捨てられたと悟ったような——」
クラリスの胸が痛んだ。クロエ・ランベールの最期は、ただの絶望ではない。“誰にも助けられない”という確信の上に、命を絶たされたのだ。
「ユリウス、あなたは記録を偽造して、その事実を闇に葬った。けれど、まだ終わっていない」
彼女は、白紙の記録簿を彼の前に差し出した。
「今、あなたの口から“真実”を書いて。これは、私が預かる“訂正文”よ」
ユリウスはしばらく黙っていた。
やがて、彼はゆっくりとペンをとる。
「——わかりました。記します。今度こそ、記録官としてではなく、一人の証人として」
その瞬間、静かに机上のランプが灯された。
“沈黙”は、ようやく終わりを告げたのだった。




