第3話:事件記録:7年前の氷室塔毒殺事件
夜の帳が降りた王都の外れ、ルチェンティア修道院の静寂を、古びた記録のページをめくる音だけが支配していた。
「……これは……」
書庫の隅、燭台の灯が一人の少女を照らしている。
静かに資料に目を走らせていたのは、白い修道服に身を包んだ元侯爵令嬢、エリシア。
数刻前、彼女が偶然見つけた一冊の事件記録は、まさに“あの日”の核心に触れていた。
【事件記録抜粋:ルチェンティア修道院保管番号No.47/閲覧制限解除記録あり】
事件名:氷室塔毒殺事件
年月:七年前、王暦480年、冬至の日
被害者:ユアン・アルダス卿(宮廷錬金師、第一階位)
死因:テトラオキシン中毒(摂取後、20分で呼吸麻痺を起こし死亡)
目撃者:なし
容疑者:被疑者なし(証拠不十分により未解決)
補足:遺体は凍結保存状態で発見。毒物は熱処理済みのワインに混入。
「テトラオキシン……確か、常温で揮発しない特殊な神経毒……?」
エリシアは記憶をたぐった。
かつて父の書斎で、毒物に関する書籍を読み漁った日々の中で、それに言及していた一節を思い出す。
(少量であっても心臓と呼吸中枢を麻痺させる。精製は困難、使用には高度な知識と手順が必要)
そうだ。あれは天然物ではない。人工毒――つまり。
「犯人は錬金術師か、それに準ずる知識を持つ人物に限られる」
エリシアは記録の余白に残された、鉛筆の走り書きに目を留めた。
『毒の性質上、時間差を狙ったもの。冬至の氷塔は極寒、遺体の発見は事故的でなければもっと遅れていたはず。犯人は、時間経過による揮発と分解を計算していた?』
(これを書いたのは……誰?)
記録の筆跡は、明らかに異なっていた。公式記録ではなく、修道院関係者の私的な覚書だろうか。
その仮説に至ったとき、エリシアの脳裏に、ある人物の名がよぎった。
「クロエ・ファラン……あの女官」
彼女は確か、宮廷錬金術研究班の助手から修道院付きの薬草医見習いへ左遷されたと聞く。
事件が起きた当時、被害者のユアン卿の助手をしていた人物だ。
「……なぜ記録に彼女の名が一切ないの……?」
遺体発見時の状況、周囲の証言、そして毒物の取り扱いに関する追及――
どれも異様なほど曖昧にぼやかされていた。
数日後。
エリシアは修道院内の薬草温室へ足を踏み入れた。
そこにいたのは、薬瓶を並べながらハーブの乾燥具を整える、黒髪の女性。
「……クロエ・ファランさん、で間違いないかしら?」
クロエは振り向きもせず、静かに答えた。
「修道女としては“シスター・クロエ”と呼ばれています。……あなたがエリシア・ノクターンですね。白百合棟の新入り」
「質問があるの。七年前の氷室塔事件――あなたは関与している」
その一言に、空気が凍りついた。
クロエはゆっくりと瓶を棚に戻し、振り返った。
「……いいえ、私は“観察していた”だけです。あの日、私は何もしていない。ただ――知っている。あなたの父は、真相に辿り着きかけていた。だから……殺された」
エリシアの目が、見開かれる。
「今、あなたがその続きを辿ろうとしている。……気をつけて。あの毒は、血筋さえも標的にする。王城の中に、まだ“それ”を作れる者がいるのだから」
「……あなたは、犯人の正体を知っているの?」
クロエは答えなかった。代わりに、一枚の古びた紙片を差し出す。
「これは?」
「“処方表”。ユアン卿が死の三日前に書き残した調合法。その毒は、彼自身が記録したもの。――その意味が分かるなら、あなたは次に『誰がその処方を完成させたか』を疑うべき」
エリシアは震える手でその紙を受け取った。
記された文字列、配合、温度、精製手順――
そのすべてが、学術的な冷徹さを持ちながらも、どこか“遺言”のようにも見えた。
夜、白百合棟に戻ったエリシアは、窓辺で紙片を見つめていた。
(“あの毒は、被害者自身が記した”……? なぜ? なぜそんなことを……?)
次々に疑問が湧き出す。
真実に近づくたびに、過去の事件はより深く、より複雑な闇を孕んでいく。
エリシアは静かに、処方表の裏に鉛筆で書き記した。
「犯人は、ユアン卿の処方を“改竄”した者。――そして、それを隠蔽した者」
それは新たな“記録”の始まりだった。




