表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
97/102

第八十三話:影対影、最後の舞


 城下の廃屋。重く湿った闇の中に、二つの影が佇んでいた。


 漆黒の騎士、夜告鳥。

 そして、旅の吟遊詩人、ラメント。


 夜告鳥は、冷ややかな視線で吟遊詩人を見下ろしていた。

「……手筈通りだな、ラメント。団長閣下より、最終命令が下った。『今宵、確実に北条の心臓を抉り出せ』とな」

 ラメントは、愛用のリュートを弄びながら、困ったように肩をすくめた。


「やれやれ。人使いが荒いことだ。この美しい指は、殺しよりも歌を奏でるためにあるというのに」


「無駄口を叩くな。失敗は許されん。……貴様のような下賤な密偵が、黒薔薇の紋章を許されている意味を忘れるなよ」

 夜告鳥は、威圧するように一歩踏み出した。


 だが、ラメントは怯えるどころか、リュートの弦を指で弾き切り、不協和音を響かせた。


「ふふ……。クククッ」

 ラメントの肩が揺れる。


 その口から漏れたのは、卑屈な笑いではなく、腹の底から湧き上がる哄笑だった。


「何がおかしい」

 夜告鳥が剣の柄に手をかける。


「いや、滑稽でな。……おい、夜告鳥。お前は、団長の本当の顔を見たことがあるか?」


「……何だと? 団長閣下は、我らの前でも素顔を晒すことはない。それが鉄の掟だろ」


「そうか。ならば教えてやろう」

 ラメントが顔を上げた。


 その瞳から、道化の色が消え失せていた。そこに宿っていたのは、夜告鳥の魂さえも凍らせる、底知れぬ支配者の眼光。 


 ドォッ、と。

 ラメントの体から、どす黒いマナが噴き出した。それは夜告鳥の知るいかなる騎士よりも強大で、禍々しい。


「――私はな、こうして部下が『自分こそが操り手だ』と勘違いして踊る様を、一番の特等席で眺めるのが趣味なのだよ」


「な、まさか……貴さ、いや、あなたは……!?」

 夜告鳥は後ずさり、膝が震えるのを止められなかった。


 この威圧感。この絶対的な闇の気配。

 間違いない。自分が命令を伝えていたこの男こそが、自分たちが絶対の忠誠を誓う、組織の頂点。


 ラメントは――いや、黒薔薇騎士団団長は、懐から漆黒の短剣を取り出し、夜告鳥の喉元に切っ先を向けた。


「ご苦労だった、夜告鳥。私の正体を知らぬまま、よくもまあ、偉そうに吠えてくれたものだ。……退屈しのぎにはなったぞ」


「だ、団長閣下……! も、申し訳ございませ――」


「下がっていろ。これより先は、私の舞台だ」

 ラメントの姿がふっと揺らぎ、影そのものへと変質していく。 


「行くぞ。北条の心臓こころを抉り出し、聖戦の狼煙のろしとする」


 ◇


 丑三つ時。

 本丸奥、黄梅院の居室。

 障子越しに、一心に祈りを捧げる女性の影が揺れている。


 ラメントは壁の染みとなり、床の影を伝い、音もなく障子の内側へと滑り込んだ。


(……愚かな。警備の目は、王である氏康と、次期当主の氏政に集中している)

 闇の中で、ラメントは冷酷に笑った。


 北条の守りは堅い。だが、その堅守は「家」を守るためのもの。当主とその跡継ぎさえ無事ならば、組織は揺るがないと信じている。


 だからこそ、隙が生まれる。

 この女こそが、民の心を繋ぎ止める「要」だとも知らずに。


 護衛の気配はない。風魔の主戦力も、表の騒ぎと当主の警護に引きつけられている。


 全ては計算通り。今が、好機。

 帝国の禁呪『影渡り』。

 実体を捨て、背後から心臓を一突きにする。それで終わる。


 彼は影から実体へと戻り、黒い短剣を振り上げた。

「――幕引きだ」

 刃が走る。


 その切っ先が、黄梅院の細い首筋に触れる、寸前。

 ガキィッ!!

 硬質な音が闇を裂いた。


 何もないはずの空間から伸びた黒い刃が、ラメントの短剣を完璧に受け止めていた。

 ラメントが舌打ちをして飛び退く。


 黄梅院の前の闇が揺らぎ、鬼の面をつけた影が実体化する。

「……無粋な音だ。歌はどうした」

 風魔小太郎。


 主君の大切な人を守るため、彼もまた、最初から闇の一部となっていたのだ。

「風魔……。私の正体に、気づいていたか」

 ラメントの顔から、詩人の仮面が剥がれ落ちる。


 小太郎は、愛刀『無明』をだらりと下げたまま、静かに答えた。

「ただの密偵にしては、気配が大きすぎる。それに、お前たちの組織の動き……統率が取れているようで、どこか歪だ。かしらが、常に現場で遊んでいるからだろう」

 小太郎の眼光が、仮面の奥で鋭く光る。


「……誰も顔を知らぬ『団長』。我らにも気取らせぬ存在。それが貴様だな」 


「……ククッ、ハハハ!」

 ラメントが哄笑する。


「面白い。実に面白いぞ、東の影よ! 味方も欺き、敵の懐で踊る。これぞ暗躍の極致ではないか!」

 ドォッ、とラメントの体から殺気が膨れ上がる。


「その通り、私が黒薔薇騎士団団長、ラメント!影の王は二人もいらぬ。神の御名において、その魂ごと喰らってやる!」

 戦闘は、瞬きする間に沸点へ達した。


 ラメントが踏み込む。その速度は音を置き去りにする。

 短剣が蛇のように伸び、分裂し、全方位から小太郎と黄梅院を襲う。帝国の暗殺剣と闇魔法の融合。


 対する小太郎は、最小限の動きで『無明』を閃かせる。

 キン、キン、キィン……!

 火花だけが闇に散る。 

 だが、ラメントの猛攻は止まらない。


 彼は左手をかざし、どす黒い影のマナを放出する。

「《影蝕シャドウ・イーター》!」

 部屋の影そのものが牙を剥き、無数の黒い棘となって小太郎を襲った。


 小太郎は身を捻り、紙一重で回避するが、避けきれなかった一撃が彼の忍び装束を切り裂き、腕から鮮血が飛ぶ。


「ぐっ……!」

 小太郎の体勢が崩れる。


 その隙を見逃すラメントではない。帝国の暗殺剣が、蛇のようにしなり、小太郎の喉元へと迫る。 


 ガギィンッ!

 小太郎は『無明』の柄で辛うじて受け止めるが、凄まじい膂力に押され、じりじりと後退を余儀なくされる。


「どうした、風魔! 噂ほどではないな!」

 ラメントが嘲笑いながら、さらに圧力を強める。

 小太郎の仮面の一部が砕け、血が滴り落ちる。呼吸が荒くなる。


 速さ、技、そして魔法による搦め手。

 そのすべてにおいて、ラメントはこれまで戦ったどの敵よりも「格」が違った。


「……さすがは、黒薔薇の団長か。大陸最強を誇る帝国の闇の頂点……伊達ではないな」

 小太郎は、血を吐き捨てながら、敵の強さを認めた。純粋な戦闘能力では、あるいは相手の方が上かもしれない。


「光栄に思え。この私の本気を見る者は、貴様が初めてだ!」

 ラメントの瞳が狂気に輝く。彼は勝利を確信していた。


 小太郎を壁際まで追い詰め、とどめの一撃を放つべく、黒い短剣に膨大なマナを収束させる。


「なぜだ! なぜ守る!」

 ラメントは叫びながら、必殺の間合いへ踏み込んだ。


「貴様ほどの腕があれば、闇の頂点に立てる! なぜ、か弱き女一人のために命を張る!」

 その切っ先が、小太郎の心臓を捉える寸前。

 小太郎の瞳から、焦りが消えた。

 そこにあったのは、深い静寂と、哀れみ。


「……哀れな男よ」


「何だと!?」


「主を持たぬ影は、ただの闇だ。貴様は、誰をも信じず、誰からも信じられず、ただ孤独に闇を彷徨う亡霊に過ぎん」

 小太郎の気配が変わった。


 追い詰められた獲物のそれから、罠にかかった獲物を見下ろす狩人のそれへ。


「――ここだ」

 小太郎が、印を結んでいた左手を、床に叩きつけた。


「見せてやる。これが、風魔の『影』だ」


 ズズズッ……!

 ラメントが踏み込んでいた床の影が、生き物のように蠢き、一斉に彼の足元に牙を剥いた。


 風魔忍法・影縫い。


 小太郎は、防戦一方になりながらも、ラメントをこの「影の濃い場所」へと誘導していたのだ。


「しまっ――!?」

 足を取られ、ラメントの動きが止まる。その顔に、初めて驚愕の色が浮かぶ。


 その一瞬の隙。


 銀色の閃光が、彼の視界を白く染めた。

 『無明』の一撃。

 ミスリルを鍛え上げた黒い刀身が、防御の上から団長の心臓を正確に貫いていた。


「が、は……」

 ラメントが崩れ落ちる。

 手から滑り落ちた短剣が、カラン、と乾いた音を立てた。


 彼は薄れゆく意識の中で、頭上の満月を見上げた。

 かつて、自分が愛し、歌に詠んだ月。


「……見事、だ……。孤独な亡霊、か……言い得て妙だ……」

 血の泡と共に、最期の言葉が漏れる。


「……枢機卿閣下は……必ず……神の……裁きを……」

 呪詛を残し、黒薔薇騎士団団長は絶命した。


 部屋に静寂が戻る。

 小太郎は、傷ついた体を引きずり、黄梅院の前に膝をついた。


「……お怪我は」


「ありません……。小太郎、ありがとう」

 気丈に振る舞っていた黄梅院の膝が、安堵で崩れ落ちる。


 その時、部屋の襖が勢いよく開かれた。

「お梅! 無事か!」

 血相を変えて飛び込んできたのは、夫である北条氏政。


 そして、その後ろから、総大将・北条氏康も静かに姿を現す。


「あなた……」

 氏政は妻を抱きしめ、その温もりに震えた。


 氏康は、庭に転がるラメントの骸を一瞥し、小太郎に視線を移した。


「ご苦労であった、小太郎。まさか、敵の団長自らが乗り込んでくるとはな」


「は。……手強い相手でした。奴が慢心していなければ、危なかったかもしれません」


「頭を失った黒薔薇は、もはや枯れるのみ。残る鼠どもも、夜明けまでに始末いたします」


「うむ」

 氏康は窓際へと歩み寄り、東の空を見据えた。


 白み始めた空が、決戦の朝を告げている。

「影の戦いは終わった。……次は、光の下での決着だ」

 氏康の声に、小太郎も深く頷く。


 物理攻撃、地下工作、毒、兵糧攻め、そして暗殺。あらゆる手を封じられた帝国軍。残された道は、狂信と暴力による正面突破のみ。


「行くぞ、小太郎。最後の仕上げだ」


「御意」

 影は主君の影へと戻り、光は新たな朝を迎える。

 戦いの行方は、ここから決まる。



 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

 皆様の応援が、何よりの執筆の糧です。よろしければブックマークや評価で、応援していただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
まさかラメントが黒薔薇騎士団団長だったとは…。これは予想外でした。そしてその力恐るべし…!だけど小太郎がその凶刃を防いでくれて良かった…!実は幕間を見てから黄梅院様の安否が気になりすぎて夜しか眠れなか…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ