幕間十二:老獅子たちの盤上
軍議の間の熱気とは対照的に、城の最も陽当たりの良い一室は、冬の日差しと静寂に満ちていた。
北条氏康は、碁盤を挟み、ドワーフの王ブロック・アイアンフィストと静かに対局していた。その傍らでは、外交僧・紅雪斎が、茶を啜りながら、静かにその様子を見守っている。
パチリ、と。氏康が、一つの黒石を打つ。
それは、一見、重要そうには見えない石を、あえて敵の白石の勢力圏に置き去りにする、大胆な「捨て石」の一手であった。
「……ふん」
ブロック王が、その長い髭を扱きながら、不満げに唸った。
「ホウジョウ殿。お主の打つ手は、どうにも、危うくてかなわん。王たる者、盤上の、全ての石を守り抜くことこそが、務めではないのか」
その言葉は、碁盤の上だけでなく、数ヶ月前、氏康が、国の柱石である五人を危険な旅へと送り出した、あの決断への問いかけでもあった。
氏康は、穏やかに笑った。
「ブロック殿。真の王が守るべきは、個々の石にあらず。この盤上そのもの。そして、この戦が終わった後も、幾世代と続いていく、この『戦』そのものではござらぬかな」
「……なに?」
「石は、時に、捨てねばなりませぬ。小さな勝利を、あえて手放すことで、より大きな未来の勝利を手に入れるために。……わしは、ただ将としての務めを果たそうとしておるだけよ」
その言葉に、ブロック王は何も言い返さなかった。
彼は、思い出す。自らの頑固さ故に、国を二分しかけたあの愚かな日々を。そして、自らの誇りよりも、民の未来を選び「親征」を決断した、あの日のことを。
目の前の男は、自分よりも遥か先を見ている。
紅雪斎が、静かに茶碗を置き口を開いた。
「……生もまた、死もまた、一局の碁。されど、その一手が、次の一手へ、そして百手先へと繋がっていく。我らが為すべきは、ただ最善と信じる、次の一手を打ち続けることのみにございますな」
その禅問答のような言葉。
三人の老練な指導者の間に、言葉はなくとも深い共感の空気が流れた。
彼らは、目の前の戦の勝ち負けだけを見てはいない。
この戦の先に待つ、世界の理不尽な運命「大災害」という、決して、勝つことのできぬ相手を見据えている。
そして、その決して勝てぬ戦に、それでも次代の者たちが、挑み続けるための、「礎」を、いかにして遺すか。
そのことだけを、考えていた。
パチリ、と。
ブロック王が、力強く一つの白石を打つ。
それは、氏康の捨て石を敢えて取らず、自陣の守りを固める彼らしい質実剛健な一手であった。
だが、その一手には、もはや以前のような頑なさはない。
氏康の、その途方もない戦いを、自らのやり方で、支えようという、盟友としての、確かな意志が、込められていた。
戦の指揮は、若者たちに任せた。
だが、この国、この連合の魂は、この老獅子たちが、その双肩に背負っていた。
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