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第七十五話:書かれざる一太刀

 

 

 完膚なきまでの、敗北であった。


(……これまでか)

 綱成の心に諦観の念が浮かぶ。自らの【剣聖】の力さえも、この番人の前には子供の戯れに等しかった。


 だが、その絶望の淵で、幻庵だけが、戦うことをやめていなかった。彼は、砕かれた肋骨の痛みに喘ぎながらも、その老いた頭脳を、極限まで回転させ、敗北の記憶を、一瞬一瞬、反芻していた。


(……おかしい。何かが、おかしい)

 ゴーレムの動きは、完璧であった。あまりにも、完璧すぎたのだ。


(……奴の『意識』は、どこにある?)

 幻庵は、思い出した。


 ゴーレムは、常に攻撃を仕掛けてくる相手の方へと、その顔を、その意識を寸分違わず向けていた。同時に攻撃を仕掛けても、その意識は、最も脅威度の高い攻撃へと、優先的に割り振られているようであった。


(……奴は、全てを同時に見てはおらん! その無限にも思える計算能力を、最も危険な一点へと、集中させておるのだ!)


「皆、聞け!」

 幻庵が、絞り出すような声で叫んだ。


「あの番人は、全知全能ではない! 奴は、我らの『意識』を読んでおる! 殺意を、闘気を、攻撃の意志を感知し、その瞬間に、最適解を導き出しておるのじゃ!」

 幻庵は、ぜいぜいと息をしながらも、その魂を燃やすように続けた。

「奴を打ち破る道は、ただ一つ! 奴の『意識の外』から、一撃を叩き込む! 奴が、絶対に予測できぬ、完全に認識の外にある、ただ一撃を!」


 その言葉は、暗闇を貫く一筋の光であった。

 一行の目に、再び闘志の火が灯る。


「面白い。そういうことか!」

 ドルグリムが、獰猛に笑った。


「ならば、我は、奴の意識を一つの場所に釘付けにするための、最高の『囮』となってやろうではないか!」


 ◇


 作戦は、単純であった。

 綱成、リシア、ドルグリムの三人が、これまでの人生で持ちうる、最大級の殺意と闘気を放ち、ゴーレムの意識を、ただ一点に引きつける。


 幻庵は、その戦いの渦から一歩退き己の全てを「眼」と化して、ゴーレムの反応を、ルーンの瞬きの一瞬までも見逃さぬ。


 そして、その間に、自らの意識さえも殺し、完全に「無」となった影が、必殺の一撃を放つ。


「――参るぞッ!!」

 綱成の咆哮を合図に、三方向からの陽動が始まった。

 綱成は、もはや防御を考えない。ただ、最大威力の一撃を、絶え間なく、ゴーレムへと叩き込み続ける。

 黄金の剣閃が、聖堂を昼のように照らし、轟音が空間を震わせた。


 リシアとドルグリムも、自らの最大級の魔法と技を、左右から叩きつけ、ゴーレムの意識を乱す。


 アルカナ・ゴーレムの、本を持つ腕が、凄まじい速度でページをめくり、残る三本の腕が、その情報に基づいて、三人の猛攻を完璧に捌き続けていく。


 その意識は、完全に、目の前の三人の英雄たちに、釘付けにされていた。


 その、背後。

 ゴーレムの、巨大な影の中。

 もう一つの影が、音もなく、揺らめいた。


 風魔小太郎。


 彼は、風魔に伝わる秘術中の秘術、「無心之歩」を用いていた。自らの殺意、闘気、気配、その全てを、完全に殺しきる。

 

 彼は、もはや生物ではない。ただ、そこに在るだけの影。石ころ。空気。


 ゴーレムの、完璧なセンサーは、彼の存在を、生命として、脅威として、全く認識できていなかった。


 小太郎は、確実にゴーレムの背後、幻庵が予測した動力源である魔石核が埋め込まれた、その無防備な一点へと近づいていく。


 その手に握られていたのは、愛刀『無明』。小田原に存在する、僅か三振りのミスリル刀の一振り。

 闇に溶け込むような黒漆の鞘に納められた忍び刀は、ミスリルを多めに使うことで、鋼とは思えぬほどの軽量化を実現している。


 振っても風を切る音がほとんどせず、光の反射もない、まさに暗殺のためだけに生まれた凶刃であった。


 綱成の、渾身の一撃がゴーレムの作り出した光の盾と激突し、聖堂全体が光と衝撃に包まれる。


 ゴーレムの、全ての意識が、その一点に集中した、その刹那。


 幻庵が、叫んだ。

「――小太郎! 今じゃッ!」


 その声に応え、小太郎が動いた。

 音もなく気配もなく。

 ただ、その鍛え上げられた刃が、ゴーレムの背中、魔石核が埋め込まれた、ただ一点を、吸い込まれるように貫いた。


 プツリ、と。


 まるで張り詰めた糸が切れるような、あまりにも静かな感触。


 次の瞬間。

 アルカナ・ゴーレムの、全ての動きが完全に停止した。


 綱成の剣を受け止めていた光の盾が、霧散する。体表を流れていたルーンの光が急速に失われていく。

 そして、ただの黒い石の塊となって、何の音もなく塵へと崩れ落ちていった。


 静寂。

 一行は、荒い息をつきながら、その光景を信じられないという思いで見つめていた。

 彼らは、勝ったのだ。この世界の、叡智の化身に。


 北条家が誇る、最強の男が作り出した絶対的な好機。

 それを、北条家が誇る最暗の男が完璧に貫いたのだ。


 やがて、中央の祭壇が、彼らの前まで降りてくる。

 光り輝く書物、『創世神話の原典』が、その重厚な表紙を自らの意思で開いた。

 五人は、吸い寄せられるように、その書物を覗き込む。

 古代の文字が、彼らの脳裏に意味の奔流となって、流れ込んできた。


 そこに書かれていたのは、英雄譚ではなかった。

 ただ、冷徹な、世界の「理」の記録。


『――星の命脈、尽きんとすたび、世界は新たな生命を渇望す』


『古の契約に基づき、異界の門は幾度も開かれ、彼の地の最も生命力に満ち溢れし「種子」が、この枯れた大地へと移植され続けた』


『初めに、森の子らありき。次に、山の子らありき。彼らは、この地で根付き新たな文明を築き、そして、いずれその魂をこの星へと還すことで、星は再び若さを取り戻す』


『これ、救済にあらず。繰り返される、生存のための置換なり』


 これは真実であった。

 転移とは救済ではない。

 滅びゆく世界を延命させるための、「生贄の召喚」。

 彼らは、英雄などではなかった。 


 ただ、この大地に喰われるためだけに、故郷から根こそぎ引き抜かれた、哀れな供物であったのだ。


 幻庵は、その戦慄の真実を理解すると、隣に立つ、リシアとドルグリムの顔を、憐れむような、そして悲痛な目で見つめた。


「……そうか。そうであったか。リシア殿、ドルグリム殿。我らだけでは、なかったのだな……」


「初めに、森の子ら……次に、山の子ら……。そなたたちの祖先もまた、我らと同じ、この星に選ばれた『種子』であったか」


 幻庵の言葉が引き金となった。


「……なん、だ。それは……」

 最初に、声を発したのは、ドルグリムであった。その声は、怒りよりも、純粋な困惑に満ちていた。


「我らドワーフが、五千年の長きにわたり、槌を振るい、山を掘り、築き上げてきた歴史の全てが……ただ、この星の、腹を満たすための、餌だったとでも、言うのか……?」


「嘘よ……」

 リシアが、その場に崩れ落ちた。彼女の瞳からは、涙が止めどなく溢れている。


「わたくしたちが愛した、森の歌も、風の囁きも、全ては、わたくしたちを食らうための、甘い罠だったというのですか……。あんまりだわ……」


 残酷で理不尽な真実に、五人は言葉を失い、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。





 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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