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第六十六話:選ばれし者たち

 

『沈黙の図書館』への旅立ちが三日後に迫っていた。


  連合軍結成と帝国との決戦準備に沸き立つ城下の熱気とは裏腹に、選ばれし五人の仲間たちはそれぞれの場所で静かに、濃密な時を過ごしていた。世界の未来を賭けた重い使命を前にした最後の準備、自らの魂との対話であった 。


 ◇


 北条幻庵は自らの書庫に籠っていた 。 彼が読み耽っていたのは図書館への道筋を示す古文書ではない。自らがこの世を去った後のための「知」の相続の準備を進めていた。


 統治の心得、鉄の製法、薬の調合、この世界で得た魔石の知識 。全てを来る日も来る日も、血を吐くような思いで何十巻もの巻物へと書き記していく 。筆を走らせる腕が、老いた体には重く感じられた。


(……足りぬ。まだ足りぬわ)


  彼の内心は焦燥に駆られていた。この旅は七十を超えた老骨にとって恐らくは片道の旅となる 。ならばこの身が滅びる前に己が持つ知の全てをこの国の礎として残さねばならぬ。その執念が彼を突き動かしていた。


  彼は過去の図書館探索者たちが残した数少ない失敗の記録も同時に読み解いていた 。


(……罠の記録はない。番人の記録もない。ただ全ての記録が『精神が内側から喰われた』とだけ記しておる。物理的な脅威ではないな)


 幻庵はこの旅がただの冒険ではなく、人の魂そのものが試される過酷な巡礼となることを正確に予見していた 。


 ◇


 北条綱成は一人、城裏手の滝に打たれていた 。 凍てつく冬の瀑布が鋼の肉体を打ち据える 。彼が鍛えようとしていたのは肉体ではなかった 。

【剣聖】


 嘆きの谷で山のヌシとの死闘の果てに覚醒した人知を超えた力 。 今の彼にとってその力はあまりにも巨大で未知であった。敵を斬るための力ではない。もっと根源的な、世界の理にさえ干渉する巨大な「鍵」のようなもの 。彼は戦士の本能で感じ取っていた。


(……なぜだ。なぜこの力が俺に宿った)


  滝に打たれながら彼は自問を繰り返す 。 これまでの戦は単純であった。敵がいれば斬る。ただそれだけ 。 今回の敵は「大災害」。斬ることさえできぬ巨大な理不尽 。その前でこの剣は一体何の役に立つというのか 。


(……分からぬ。だが今はただ、この力を己の魂と完全に一つにする他あるまい)


  彼は雑念を振り払うように咆哮した 。水飛沫が獣の叫びと共に霧散する。 初めて覚える自らの力への戸惑い。その葛藤そのものが彼の魂をただの猛将から真の「武神」へとさらに研ぎ澄ませていくのであった 。


 ◇


 風魔忍軍の地下にある隠れ工房。 風魔小太郎は巨大な大陸地図を前に微動だにせず座していた 。地図の上には彼が持つ全ての情報――古い風魔の記録、自由都市同盟の諜報ギルド『水銀』から得た情報、命を落とした部下たちが最後に残した断片的な報告――が無数の線と印で書き込まれている 。


 それは複雑な蜘蛛の巣のようであった。 彼の部下たちが周りで黙々と旅の道具を整えていた。リシアが調合した薬草を使う者、ドワーフが打った鋼を研ぐ者 。 工房全体が静かな、しかし極限の緊張感に満ちていた 。 霞が音もなく背後に現れる 。


「頭領。ドワーフの国境を超える、北の山脈ルート。改めて調べさせましたが、やはり、情報が古すぎます。」

 その報告に小太郎は仮面の下で静かに頷いた 。


(……わかっておる)

  彼の葛藤はそこにあった 。


  この旅の最も危険な部分は図書館内部ではない。そこにたどり着くまでの道中。敵国のど真ん中 。 彼は主君が最も信頼する者たちを、自らの目が半ば見えぬ闇の中へと導かねばならない。その重圧はこれまで彼が背負ってきた、いかなる任務とも比較にならなかった 。


「……ならば新たな『目』を作るまでよ」

 小太郎は地図の上、北ルートに描かれたいくつかの帝国の砦を指でなぞった 。


「霞。北ルートで行く。極寒用の外套と、凍傷薬を倍の量、用意させよ。幻庵様の体力も考慮せねばならん」


「承知。しかし砦の警備は……」


「迂回する。迂回できぬ場合は……正面から事を起こす」

  小太郎のあまりに意外な言葉に霞は息を呑んだ 。


「我らはもはやただの影ではない。帝国が我らに牙を剥くならば、こちらもまたその喉笛に牙を立てるまでのこと」

 彼の戦いはもう始まっていた 。


 ◇


 技術研究所ではリシアとドルグリムが最後の準備に追われていた 。二人の間に以前のような刺々しい空気はない。同じ目的を持つ仲間としての確かな信頼が芽生え始めていた 。


「ドルグリムさん。この薬草は強い幻覚作用があります。これを風魔の方々が使う煙玉に混ぜれば、敵の騎士たちを一時的に無力化できるかもしれません」


「ほう、面白いことを考えるわい。ならばわしの方はこのミスリル銀の粉末を目潰し用の鉄粉に混ぜておこう。魔法使いの目を眩ませるには最高の代物になるはずじゃ」

  二人はそれぞれの種族が持つ全く異なる知識を組み合わせ、この旅のための新たな武器を生み出していた 。 だが、その表情には時折深い憂いの色が浮かぶ 。


  彼らはこの小田原で生まれて初めて種族の垣根を超えた安寧を知った 。今、自らの意思でその安住の地を離れ、九死に一生の旅へと向かおうとしている 。

 

「……少し、怖いのです」

 夜。二人きりになった工房でリシアがぽつりと本心を漏らした 。


「もし我々が失敗すれば、この小田原に生まれた小さな希望の光も消えてしまうのではないかと」

  あまりに素直な弱音にドルグリムは豪快に笑い飛ばした 。


  その目にはいつもの頑固さとは違う、仲間を思いやる温かい光が宿っていた 。


「けっ! 案ずるな小娘。わしらが信じるべきは己の技と、あのふてぶてしい人間の王よ。あの男は我らがしくじったところで揺らぐような安っぽい城は作っておらんわい」

  ドルグリムは懐からずしりと重い鋼鉄の盾を五つ取り出した 。

 一つ一つに彼が夜を徹して刻んだであろう守護のルーン文字が力強く刻まれている 。


「それにだ。このドルグリム様がお前さんや幻庵殿を易々と死なせるものか。……これは仲間としての最初の『仕事』よ」 不器用だが力強い言葉 。 リシアは涙ぐみながらも力強く頷いた 。


 ◇


 旅立ちの前夜 。 五人の仲間たちは城の最も高い櫓の上に集まっていた 。 言葉はない 。 ただ眼下に広がる、自分たちが守るべき愛おしい城下の灯りをそれぞれの目に、魂に焼き付けている 。


 幻庵はこの地に残す知の全てを 。

  綱成は自らが背負うべき武の真髄を 。

  小太郎は仲間を導く影の道を 。 リシアは種族の未来を繋ぐ希望を 。

  ドルグリムは友と仲間を守る鉄の誓いを 。


 それぞれが覚悟を胸に静かに、明日昇るであろう太陽を待っていた 。 彼らの長く過酷な旅がもうすぐそこまで迫っていた 。



 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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