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第六十四話:小田原会談

 

 小田原城下はかつてない緊張と異様な熱気に包まれていた。 数日前、北の山脈より地響きと共にその姿を現したドワーフ王ブロック・アイアンフィスト率いる「鉄壁兵団」。


 全身を鋼鉄の分厚い鎧で固めた五千の軍勢は一糸乱れぬ動きで小田原郊外に陣を敷いた。そのあまりにも無骨で揺るぎない威容は、この地に集った者たちに新たな心強さと、同時に異質な文化への畏怖を抱かせるに十分であった。


 そして、その日。小田原城の本丸大広間は歴史的な局面を迎えていた。中央に設えられた巨大な円卓。その上座に主催者である北条氏康が静かに座している。


 彼の元にこの大陸の、あるいは異世界からの主要な勢力の長たちが、連合の存亡をかけ一堂に会したのだ。


 種族も出自も、利害さえも違う者たちが対等な立場で一つのテーブルを囲む。それはこの大陸の誰もが見たことのない光景であった。


 北条家を代表し氏康、氏政、幻庵、綱成が居並ぶ。 地下王国カラク・ホルンより自ら親征してきた頑固者の王ブロック・アイアンフィスト。


  鉄牙部族連合を率いる大族長グルマッシュ。


 森の民の未来を背負うエルフ革新派リーダー、エルウィン。


  旧レミントン領の民の未来を双肩に背負い暫定統治代官として参加したサー・ゲオルグ。


  南の海より自由都市同盟評議会を代表する老獪な商人ギルドの長。


 それぞれがそれぞれの思惑と国家の利害を背負い、この場に臨んでいる。空気は張り詰めた弓のようにきりきりと音を立てていた。


「皆、遠路よう集まってくれた」

 氏康の静かだが場の全ての空気を支配する声が会談の始まりを告げた。


  「議題はただ一つ。数ヶ月後に迫るであろう帝国三十万の十字軍に対し、我らがいかにして一つの『軍』として立ち向かうか。そのための連合軍結成についてである。――まずはそれぞれのお考えを聞こう」


 最初に口を開いたのはグルマッシュであった。彼は円卓に肘をつき挑戦的な目で他の指導者たちを見回した。


「ホウジョウの王よ。先の盟約通り我ら鉄牙部族は貴殿らの『傭兵』として牙と斧を捧げよう。それは鉄の掟だ」

  広間の空気が彼の実直な言葉にわずかに緩む。だがグルマッシュの言葉はそこで終わらなかった。


  「だが此度の戦はただの戦ではない。この戦で我らはただの傭兵働きではない、血と魂を捧げることになるだろう。我らオークの価値をこの大陸の全ての者どもの前で改めて証明して見せる」

  彼の声に野心と戦士としての誇りが漲る。


「故に一つだけ新たな約束をいただきたい。この大戦を我らが働きによって勝利に導いたその暁には――」

  グルマッシュはそこで一度言葉を切り氏康の目を真っ直ぐに見据えた。


「我ら鉄牙部族をもはや傭兵ではなく貴殿らと肩を並べる対等な『同盟国』として改めて迎えていただきたい。そのための盟約改定をここに要求する」


「一番槍の誉れはその覚悟の証だ。そして帝国から奪う『鋼』と『技』は新たな同盟国となる我らが自らの足で立つための礎となる」

 そのあまりに巧みな要求に広間はどよめいた。


 戦の前に結束を乱すことなく戦功を以て自らの地位を最大限に引き上げようという、明確な政治的意志表示であった。


「お待ちいただきたい」

  自由都市同盟の使者が冷ややかに口を挟む。


「オークの殿。貴殿らの武勇は認めよう。だが帝国の軍団はただの獣の群れではない。統率された歩兵と厄介な魔法を使う騎士団だ。猪のように突進するだけでは、犬死にするのが関の山ですぞ」


「なんだとこの銭勘定め!」

 グルマッシュが怒りで立ち上がりかけるのを、ブロック王の低い地鳴りのような声が制した。


「商人の言うことも一理ある。だが、銭と物資を動かすだけの戦に魂はない。我らドワーフの戦とはただの一歩も引かぬこと。鉄壁兵団は誰の指図も受けぬ。ただ最も硬き場所で壁となるのみ」

 エルウィンがか細くも凛とした声で続く。


「我らエルフの三百騎は、森でのゲリラ戦においていかなる大軍にも劣りませぬ。なれど、このような平野での大会戦は……」

 それぞれの主張が、それぞれの「正義」が、互いに譲ることなくぶつかり合う。


 連合とは名ばかりのただの烏合の衆。その危うい現実が白日の下に晒されていく。その中でサー・ゲオルグだけが静かに沈黙を守っていた。彼はかつて自らが所属した帝国の恐ろしさを誰よりも知っていた。


「ふん。聞くが、エルフの若造よ。お主が、森の民、全体の総意か? 我らは、国を背負ってここに来ておる。分裂した国の、ただの『反乱軍』と、肩を並べるつもりはない」


 正論。残酷な言葉。


 エルウィンの顔が、悔しさに歪む。連合の、最も脆い部分を突かれた瞬間であった。

 その時、これまで全ての議論を黙って聞いていた氏康が静かに手を叩いた。


「――小太郎」


 声に応え広間の最も深い影から、風魔小太郎が音もなく姿を現した。彼は円卓の中央まで進み出る。一枚の黒ずんだ羊皮紙を静かに置いた。


「先日我が配下の『目』が、エルフの都にて見てきたものにございます」

 小太郎の感情のない声が、事実だけを告げる。


「エルフの長老会が、帝国の密使と交わした『密約書』の写し。その内容は――森の不可侵と失われた古代魔法の提供を条件に帝国側につく、というもの」

 報告に広間は驚愕に包まれた 。 エルウィンの顔から血の気が引く 。


「……長老たちは森を帝国に売り渡したというのか……!」

 ブロック王もグルマッシュも、他の使者たちも、言葉を失っていた。


  氏康はその混沌の中心でゆっくりと立ち上がった。口から発せられたのは演説でない。為政者の「裁定」。


「皆聞いた通りだ。エルフの長老会はもはや中立ではない。敵だ」


「そしてエルウィン殿の革新派は今や帝国と戦う意志を持つ唯一のエルフ勢力となった。我らにとって彼らは『反乱軍』ではない。志を同じくする唯一無二の『盟友』である」 氏康は円卓に集う全ての指導者たちを見回す。有無を言わぬ声で選択を突きつけた。


「我ら連合軍はここにエルウィン殿が率いる革新派をシルヴァナール連邦の唯一正当な代表として正式に承認する。これに異論のある者はいるか」

 北条氏康という男の、連合の盟主としての絶対的な器量を示す、あまりに鮮やかな一手であった。


 彼は風魔がもたらした情報をただの切り札として使うのではなく、連合全体の理念と未来への道筋を示すための礎石へと変えてみせた。


 ブロック王はしばし氏康の顔を、そしてその言葉に涙を流しながらも決意を新たにするエルウィンの顔を見比べていた。やがて彼は、長い髭を扱きながら満足げに、どこか楽しげに唸った。


「……面白い。実に面白いわいホウジョウ・ウジヤス。お主の戦はただの槌を振うだけの我らのそれとは全く違うようだ。よかろう。その喧嘩、このブロック・アイアンフィスト、そして我が鉄壁兵団、乗った!」

 王の一言が全てを決した。


  一人また一人と、各種族の長たちが氏康のそのあまりに巨大な旗の下に集うことを決意する。それぞれの思惑や利害は帝国という共通の敵と、氏康という底知れぬ器を持つ王を前に、一つの巨大な流れへと飲み込まれていった。


 その日、小田原の地で種族を超えた真の連合軍が産声を上げた。彼らの前には三十万の絶望が待ち構えている。


 だが、その瞳にはもはや恐怖の色はなかった。ただ勝利への揺るぎない確信だけが燃え盛っていた。



 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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