第六十一話:鉄壁の証明
北条軍の兵士にとって、「魔法」という言葉は恐怖と無力感の記憶に他ならなかった。
彼らは覚えている。城壁に殺到したオークの群れ。その後方から放たれた巨大な岩礫が、仲間たちを陣形ごと無残に砕き潰した光景を。
彼らは忘れていない。西の平野で対峙した騎士団。彼らが放った炎の槍が鋼の盾をバターのように溶かし、仲間たちの肉を焦がした灼熱の痛みと絶叫を。
槍も鉄砲も届かぬ距離から、一方的に死をもたらす理不尽な力。それがこの世界の「戦の理」なのだと、彼らは骨身に染みていた。
そして今、諜報がもたらす情報は、さらに巨大な悪夢の到来を告げている。大陸中央に座す帝国が誇る、宮廷魔術師団。天から炎の嵐を呼び、大地を揺るがす雷を放つという。
人の知恵と勇気だけで、果たしてそのような天災に対抗できるのか。
その拭いきれぬ恐怖こそが、連合軍の兵士たちの心に重くのしかかっていた。
その恐怖に明確な「答え」を示すため、北条氏康は連合軍の全てを、この小田原郊外に新設された大練兵場へと集結させたのだ。
練兵場の中央に鎮座するのは【対魔法障壁発生装置】の試作第一号機 。荷車に搭載されたそれは、ドワーフが鍛えた分厚い鋼鉄の筐体に日本の職人技が光る精緻な漆塗りが施されている。
表面にはエルフが描いたマナを整流するための流麗な文様が銀で刻まれており、三つの文化が一つの目的のために融合した異形の、しかし力強い芸術品であった。
装置の脇には開発者である北条幻庵とドルグリムが、我が子の晴れ舞台を見守る親のように誇らしげな、そしてどこか不安げな顔で立っている。
練兵場の一角に設けられた観覧席には、この歴史的瞬間を見届けるため連合軍の指導者たちが集っていた。
玉座に座す北条氏康を中心に氏政、武の象徴たる北条綱成。
オーク族長グルマッシュは退屈そうに欠伸をし、暫定統治代官サー・ゲオルグは騎士としてその未知の兵器がもたらすであろう新たな戦の形に静かに思いを馳せていた。
そして彼らの視線の先、練兵場の反対側。三百のエルフたちが白樺の弓を手に静かに整列していた。エルウィンとリシアに率いられた北条軍が誇る新たな矢、『エルフ魔法弓兵部隊』。彼らが此度の演習における「敵役」であった。
「――皆の者、見られよ!」 氏康の声が拡声の術具を通して練兵場全体に響き渡る。「我らが帝国と渡り合うための『答え』がこれにございます」 その言葉に兵士たちの間に期待と不安の混じったどよめきが広がるる。
氏康は答えを急かさず静かに幻庵へと頷きかけた。幻庵が装置の前に進み出ると、その心臓部である巨大な魔石にゆっくりと手を触れた。
「――起動」
ゴウン……という低い、しかし腹の底に響くような駆動音と共に装置が震え始める。筐体に刻まれたエルフの文様が青白い光を放ち、装置の頂点に設置された巨大な水晶が眩いばかりの輝きを天へと放った。
次の瞬間、その水晶から半透明の光の膜がシャボンのように広がり、練兵場の中央、半径五十間の空間を巨大なドーム状の障壁で完全に覆い尽くした。
「……おお」 兵士たちから感嘆の声が漏れる。
「エルウィン殿!」 氏康の声が再び響く。
「手加減は無用! 我らが帝国宮廷魔術師団であると思い定め、その全力の一射を障壁へと放たれし!」
「御意!」 エルウィンは弓を高く掲げ三百の同胞に魂の号令を下した。
「森の子らよ! 我らの新たな故郷を守るための最初の祈りをこの一矢に込めよ!」
三百のエルフが一斉に矢を番える。
それはただの矢ではない。一人ひとりの矢の先に灼熱の炎、万物を凍らす冷気、岩をも砕く風の刃といった異なる属性のマナが渦を巻くように集束していく。
三百の異なる属性の魔法が色とりどりで恐ろしく美しい一つの巨大な破壊の奔流へと変わろうとしていた。
「――放てッ!!」
エルウィンの絶叫と共に三百本の魔法の矢が一斉に放たれた。空が裂けるかのような轟音と共に色とりどりの光の束が障壁の中心、ただ一点へと殺到する。
連合軍の兵士たちはそのあまりの魔力の奔流に思わず顔を覆った。グルマッシュでさえその威力に目を見張り驚愕の表情を浮かべていた。
そして破壊の奔流が半透明の障壁に着弾した。
だが轟音はなかった。爆発も起きなかった。
三百の魔法の矢は障壁に触れた瞬間、まるで静かな水面に落ちた雫のようにすぅっと光の膜の中へと吸い込まれていった。
その破壊のエネルギーは障壁の表面を美しいオーロラのような光の波紋となって駆け巡り、やがて何の音もなく大気の中へと霧散した。
完全に無力化されたのだ。
静寂。死んだような静寂が練兵場を支配した。兵士たちは顔を覆っていた手をおそるおそる下ろし、目の前の信じがたい光景に言葉を失っている。
三百のエルフたちもまた自らが放った全力の一撃が赤子の手をひねるように無力化された事実に呆然と立ち尽くしていた。
沈黙を破ったのは開発者の一人、ドルグリムの震える声であった。彼は隣に立つ盟友、幻庵の肩を震える手で掴んだ。
「幻庵……見たか。これだ。これこそが我らが夢見た技と魔法の真の融合よ……!」
幻庵もまた感無量の面持ちで深く頷いた。
やがて誰からともなく一つの小さな雄叫びが上がった。それは瞬く間に数千の兵士たちの地を揺るがすような巨大な歓声の波へと変わっていった。
「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!!」」」
それは帝国への恐怖が完全な勝利への確信へと変わった産声であった。
氏康はその歓声の嵐の中心で静かに、しかし満足げに頷いていた。ドワーフの『鉄壁』の技とエルフの『魔法』の理、そして日本の『制御』の知恵。
その全てが融合して生まれたこの新たな『鉄壁』こそが来るべき大戦の、そしてその先の理不尽な天災との戦いの揺るぎない礎となる。
こうして連合軍は希望という名の最強の盾をこの日初めてその手にしたのだ。
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