第五十二話:鋼と魔法の協奏曲
小田原城の北側、新たに「工業地区」と名付けられた一角は、かつての戦国の世では考えられぬほどの、異様な熱気に満ちていた。
西からは、ドワーフたちが持ち込んだ高炉が、轟音と共に地の底から吸い上げたような熱気を吐き出し、東からは、日本の「たたら」が、三日三晩燃え続ける静かな、しかし、揺るぎない炎で、砂鉄の魂を鋼へと変えている。
その二つの工房の中間に、此度の技術交流のため、真新しい巨大な作業場が設けられていた。
技術者交換協定に基づき、カラク・ホルンから派遣された最高の腕を持つドワーフの職人たちと、北条家が誇る相州伝の刀鍛冶や鎧師たち。彼らが、初めて一堂に会する日であった。
「……ふむ。これが、お主らの言う『名刀』とやらか」
ドワーフの鎧師の棟梁、ボルギン・アイアンハンドは、差し出された一振りの打刀を、その熊のように分厚い手で無骨に掴むと、眉間に深い皺を刻んだ。
ボルギンは、ドルグリムとは違う、伝統と実用性こそを至高とする、典型的なドワーフの職人であった。
彼の前に立つのは、北条家お抱えの刀鍛冶の棟梁、正宗。齢六十を超え、その顔の皺の一つ一つに、鋼を折り返した回数よりも多くの、誇りと経験が刻まれた男であった。
「いかにも。折り返し鍛錬千回、地鉄の肌には綾杉の紋様が走り、焼き入れによる刃文は、さながら嵐の海の如し。これぞ、我が生涯最高の一振り」
正宗は、自らの子を語るように、静かに、しかし、絶対の自信を込めて言った。
ボルギンは、その刀身を、陽光ではなく、工房の炉の光にかざし、鼻を鳴らした。
「ほう、確かに美しい。見事なもんだ。切れ味も、剃刀のようであろうな。……だが」
彼は、言葉を区切ると、その刀を、まるで価値のない鉄屑でも見るかのような目で、正宗に突き返した。
「このような、見た目ばかりの薄い鉄片、我らがドワーフの戦斧と打ち合えば、一合ともたず、ガラスのように砕け散るであろうな。美しいだけの、手紙切りよ」
その、あまりに無遠慮な侮辱。
正宗の背後に控えていた若い弟子たちが、わっと色めき立つ。正宗自身も、その顔から表情を消し、静かな怒りに、その肩を微かに震わせていた。
「では、見せてもらおうか。お主らの言う『本物の武具』とやらを」
正宗の、冷たく抑揚のない声に応え、ボルギンは、待ってましたとばかりに、弟子たちに、一つの巨大な盾を運ばせた。
ミスリル銀ではない。だが、幾重にも重ねられた鋼鉄を、魔法のルーンが刻まれたリベットで寸分の隙もなく留めた、まさに「鉄壁」と呼ぶにふさわしい大盾であった。
「どうだ、日本の匠よ。この盾、竜のブレスさえも、数度は耐える。これこそが、戦場で命を預けるに足る、真の『仕事』よ」
ボルギンが、得意げに胸を張る。
正宗は、その大盾の前に立つと、刀を抜くでもなく、ただ、その表面を、指先で、ゆっくりと撫でた。そして、盾の中央に穿たれた、一つのリベットの前で、その動きを止める。
彼は、ボルギンを一瞥すると、静かに言った。
「……ただ、重く、分厚いだけの、魂なき鉄の板よ。このようなものを抱えては、戦場で、自在に身をかわすことも叶うまい。これでは、亀の甲羅だ」
正見は、腰に差した小柄を抜き放つと、その切っ先を、先ほど見つけたリベットの、その僅かな隙間に、寸分の狂いもなく突き立て、そして、捻った。
パキン、という乾いた音。
盾の表面は傷一つついていない。だが、その内部で、リベットの留め金が、一つ、破壊されたのだ。
「なっ……!?」
今度は、ボルギンが絶句する番であった。この盾の弱点が、内部構造の、それも、たった一点にあることを、この人間は、一目で見抜いたというのか。
「おのれ、人間風情が!」
「鉄の魂も解せぬ、ただの穴熊が!」
ついに、二人の棟梁の堪忍袋の緒が切れ、互いの胸ぐらを掴み合おうとした、その瞬間。
二人の間に、そっと、一人の老人が割って入った。
北条幻庵であった。
「まあ、待たれよ、両名とも」
幻庵は、いつもの穏やかな笑みを浮かべていた。その隣では、ドルグリムが、やれやれとでも言うように、頭を掻いている。
「お主らの言い分、どちらも正しい。そして、どちらも、半分だけ、間違っておる」
幻庵は、ボルギンの肩を軽く叩いた。
「ボルギン殿。そなたの盾は、確かに最強の守りを持つ。なれど、その重さは、俊敏な敵の前では、命取りとなりましょう」
そして、正宗に向き直る。
「正宗殿。そなたの刀は、確かに最高の切れ味を持つ。なれど、人の理を超えた力の前には、あまりに脆い」
幻庵は、そこで一度、言葉を切ると、二人の棟梁の目を、真っ直ぐに見据えた。
「お主らの道は違えど、目指す頂は同じはず。ならば、互いの道を照らし合わせ、新たな道を探すことこそ、真の匠の道ではござらぬか」
幻庵は、傍らのドルグリムに合図し、一枚の巨大な設計図を、作業台の上に広げさせた。
そこに描かれていたのは、二人が見たこともない、歯車と、水晶、そして、複雑なルーン文字が絡み合った、異様な機械の図面であった。
「これは、かの帝国が誇る、宮廷魔術師団の魔法さえも、完全に無力化するための、我らが切り札。――【対魔法障壁発生装置】の図面じゃ」
「だが、これを作るには、問題がある。この心臓部となる『魔石炉』は、ドワーフの技がなければ作れぬほどの、高熱と圧力に耐えねばならぬ。そして、その力を制御する『精霊回路』は、日本の匠の技がなければ作れぬほどの、繊細さと、精緻さが求められる」
幻庵は、二人の顔を、交互に見比べた。
「これは、どちらか一方の技では、決して完成せぬ代物。そなたの盾が持つ『強さ』と、そなたの刀が持つ『魂』。その二つが、一つの炉の中で溶け合い、手を取り合って初めて、我らは、この世界の理を超えた、新たな力を手にすることができるのじゃ」
「どうじゃ、二人とも。この、途方もない喧嘩、買ってみる気は、ないか?」
ボルギンと正宗は、目の前の、常識を超えた設計図と、そして、互いの顔を、見つめた。
言葉はない。
だが、その目には、もはや互いへの侮蔑の色はなかった。
代わりに宿っていたのは、己の技の全てを賭けても、届くかどうか分からぬ、巨大な頂きを見つけた、職人としての、純粋な、そして、獰猛なまでの闘志の光であった。
ボルギンが、ふん、と鼻を鳴らした。
「……面白い。その喧嘩、買ってやろうではないか」
正宗もまた、静かに、しかし、深く頷いた。
異なる文化、異なる誇りが、初めて、一つの目標の下に、手を取り合った瞬間。
小田原の炉の火は、新たな合金を生み出すべく、これまでにないほど、赤々と燃え上がろうとしていた。
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