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第四十八章:ドワーフ、王への嘆願

 

 東の地で、エルフの若葉たちが、新たな未来を求めて旅立った頃。

 北の、万年雪を抱く大山脈の、その遥か地の底。ドワーフの地下王国カラク・ホルンでは、エルフの森とはまた違う、熱く、そして、硬質な変革の槌音が、響き始めようとしていた。


 大溶鉱炉「ヴォルンヘイム」から少し離れた、若き革新派の職人、グレンの工房。

 そこは、夜だというのに、炉の赤い光と、幾人ものドワーフの男たちの、抑えきれない熱気に満ちていた。彼らは皆、小田原に滞在するギルドマスター、ドルグリム・ストーンハンマーの考えに同調する者たちであった。


「――皆、準備はいいな!」

 工房の中央に立ったグレンの声が、壁に反響する。その手には、鉄の留め金で固く巻かれた、ずしりと重い羊皮紙の巻物――国王ブロック・アイアンフィストへの嘆願書が、握りしめられていた。


「ドルグリム様が、かの地で、命懸けで我らのための道を切り拓いてくださっているのだ! 我ら、この地で、その道に続く礎を築かずに、何がカラク・ホルンの職人か!」


 グレンの脳裏には、ドルグリムから、特別な伝令ドローン(北条家が開発した、魔石で動く伝書鳩の改良型)で送られてきた、驚くべき報告の数々が焼き付いていた。


 日本の「たたら製鉄」が生み出す、純粋な鋼「玉鋼」。

 常識を覆す、動力源「魔石機関」。

 そして何より、あの人間たちの王、ホウジョウ・ウジヤスが掲げる、民のための国づくり。


「王も、長老方も、お年を召しすぎた! このままでは、我らカラク・ホルンの技は、古き良き化石になるだけだ! ドルグリム様が見た、新しい時代の光を、我らの手で、この山に持ち込むのだ!」


「「「おおっ!」」」

 職人たちが、一斉に、手にした槌を、傍らの金床へと叩きつける。カン、カン、カン、という、不揃いだが、力強い決意の音が、地下の工房に、熱く響き渡った。


 ◇


 翌日。王城へと続く、巨大な隧道。

 グレンを先頭に、各工房の代表である十数名の職人たちが、その道を、厳粛な面持ちで歩いていた。彼らが、恭しく捧げ持っているのは、昨夜、職人たちの総意が込められた、鉄の嘆願書であった。


 壁面に刻まれた、古代の英雄たちのレリーフが、まるで、彼らの行く末を、値踏みするように見下ろしている。何千年もの間、変わることのなかった、この石の道。その重みが、彼らの肩に、ずしりとのしかかる。

 だが、彼らの足取りに、迷いはなかった。


 やがて、一行は、玉座の間へと通された。

 広大な、石の広間。その最も奥まった場所、山の岩盤そのものを削り出して作られた玉座に、ドワーフの王、ブロック・アイアンフィストが鎮座していた。


 その白銀の髭は、床に届かんばかりの長さを誇り、その瞳は、磨かれた黒曜石のように、揺るぎない。

 王は、グレンたちの姿を認めると、その変わらぬ、低い地鳴りのような声で、問いかけた。


「……若造どもが、揃いも揃って、何の用だ。また、ドルグリムの奴が、異国の地から、奇妙な手紙でも寄越したか」

 その声には、親しみはなく、ただ、旧態依然とした日常を乱されることへの、かすかな苛立ちだけが滲んでいた。


 グレンは、一歩前に進み出ると、深々と頭を垂れた。


「王よ。本日は、我ら、鍛冶ギルドに属する、若き職人たちの、総意をお伝えしたく、参上いたしました」

 彼は、仲間から嘆願書を受け取ると、王の前で、それを、ゆっくりと広げた。

 そして、その内容を、朗々と、読み上げ始める。


「――我らが偉大なる王、ブロック・アイアンフィスト陛下に、謹んで、嘆願いたします」


「先に、東の地より訪れた人間たちの使節が提示した、『技術交流協定』。これを、正式に、ご承認いただきたく……」


「かの地で、我らがギルドマスター、ドルグリム様が見聞した技術は、我が国の、次の千年を支える、希望の光にございます。彼らが持つ、鋼の製法と、我らの高炉技術が融合すれば、かつてない合金を生み出すことができましょう」


「伝統とは、守るだけにあらず。磨き、高め、次代へと繋いでこそ、真の輝きを放つもの。どうか、陛下。我らに、新たな挑戦の機会を、お与えください!」

 グレンの、魂からの叫び。


 だが、玉座の王は、目を閉じたまま、微動だにしない。その顔は、感情を一切排した、ただの石像のようであった。玉座の脇に控える、化石のような長老たちが、聞こえよがしに、鼻で笑うだけだった。


「ドルグリムは、とうとう、人間の妖術に魂を売ったか」


「若造どもが、頭領の戯言に、踊らされておるわ」


 やがて、グレンが、全ての言葉を読み終える。

 重い沈黙が、だだっ広い玉座の間を支配した。


 どれほどの時間が、過ぎたか。

 ブロック王が、ゆっくりと、その瞼を上げた。

 黒曜石の瞳が、初めて、グレンを、捉える。


「……小僧。そなたの名は」


「はっ。グレンと申します」


「グレンよ。そなたの、その炉の火にも似た情熱は、確かに、見事なものよ」

 その言葉に、グレンと、若き職人たちの顔に、一瞬、期待の色が浮かんだ。


 だが、王の、次に続いた言葉は、その淡い期待を、無慈悲に、そして、完膚なきまでに、打ち砕いた。


「なれど、そなたのその目は、ドルグリムが送ってくる、異国の、目新しい玩具の輝きに、眩んでおる」

 王の声は、どこまでも、冷たく、そして、硬かった。


「我らが道は、五千年の長きにわたり、我らが祖先が、血と、汗と、そして、誇りを以て、この岩盤に刻み込んできたもの。我らの鋼は、大陸の、全ての基準。我らの技は、神々さえも、唸らせたものだ。それを、昨日今日、現れた、夏蝉の如く短命な人間どもの、まやかしの技と、交わらせるなど……」

 王は、一度、言葉を切り、そして、断罪するように、言い放った。


「――それは、我らが祖先と、この山そのものへの、最大の侮辱に他ならぬ」


「この嘆願は、若さ故の、愚かな過ち。そして、我がカラク・ホルンの歴史に、一点の染みを残す、恥と知れ」


「――よって、却下する」

 その言葉は、絶対であった。


 王は、もはや、グレンたちに、一瞥もくれることなく、側近に、別の些末な政務の報告を促す。まるで、この嘆願そのものが、初めから、存在しなかったかのように。


 グレンと、若き職人たちは、ただ、その場で、立ち尽くすしかなかった。

 彼らが、自分たちの未来を賭けて打ち出した、渾身の一振り。それは、伝統という、あまりに分厚く、そして、硬い岩盤の前に、火花一つ散らすことなく、無惨に、弾き返されたのだ。


 やがて、衛兵に促され、一行は、夢遊病者のように、ふらふらと、玉座の間を後にした。

 グレンの手から、力の抜けた嘆願書が、からん、と、乾いた音を立てて、石の床に転がり落ちた。

 その音が、彼らの、完全な敗北を、告げていた。


「……これが、王の答えか」

 グレンは、唇を噛み締め、悔しさに、その体を震わせる。


「長老たちも、王も、もう、何も見えてはおらん! このままでは、この国は、本当に、ただの石の墓標になってしまう!」


 工房へ戻る隧道の中、職人たちの間には、絶望と、諦観の空気が、重く垂れ込めていた。

 だが、その中で、グレンの表情だけが、違っていた。


 彼の顔から、嘆願が受け入れられなかったことへの、悔しさや、悲しみは、消えていた。

 代わりに宿っていたのは、炉の最も深い場所で燃える、青白い炎のような、冷たく、そして、静かな、怒りであった。


 その夜、再び、革新派の工房に、職人たちが集っていた。だが、そこに、昨夜までの熱気はない。誰もが、うつむき、重い沈黙に支配されていた。


 その絶望の空気の中心で、グレンが、ゆっくりと立ち上がった。

 彼は、工房の隅に置かれていた、自らが最も使い慣れた鍛冶用の大槌を、その手に取った。


「……王は、おっしゃった。我らの嘆願は、愚かな過ちである、と」

 彼の声は、不思議なほど、穏やかであった。


「王は、我らの『言葉』を、お聞き入れにならなかった。我らが示す、『理』を、お認めにならなかった」

 グレンは、工房の中央にある、巨大な金床の前に、ゆっくりと歩みを進める。


「ならば、我らもまた、我らのやり方で、王に、我らの『意志』を示す他あるまい」

 彼は、大槌を天高く振り上げた。


「王は、我らの言葉を、お聞きにならない。――ならば、我らもまた、沈黙を以て、王に、語りかけるとしよう」


 次の瞬間。


 ゴォォォォンッ!!!!


 大槌が、金床へと、渾身の力で、振り下ろされた。

 それは、鉄を鍛えるための音ではない。


 全ての対話を拒絶し、次なる戦いの始まりを告げる、反逆の、鐘の音であった。

 その日を境に、カラク・ホルンの、全ての炉から、火が消えることになる。

 ドワーフ、鍛冶ギルド、総出のストライキ。

 その、長きにわたる、沈黙の戦いの火蓋が、今、切って落とされた。



 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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