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第三十六話:鎮守の森

 

 評定の間に、北条幻庵の静かな確信に満ちた声が響いていた。


「――以上が、此度の怪異の真相にございます。一連の出来事は、この土地に宿る『精霊』たちの仕業と見て、相違ありますまい」


 その報告に、戦場の武勇で鳴らした将たちは、どう反応すべきか、戸惑いの色を隠せない。


 その沈黙を破ったのは、綱成に次ぐ武勇の将と謳われる、遠山綱景であった。その声は、綱成のような烈火のそれとは違う、冷静で鋼のような硬質さを帯びていた。


「幻庵様。つまり、その『精霊』とやらは、我らにとって、直接的な脅威ではない、ということで相違ないですな?」


「うむ。むしろ、その逆よ。彼らは、我らの暮らしに興味を持ち、僅かながらも、それを助けようとさえしておる」


「ならば、話は早い」

 綱景は、きっぱりと言った。


「害意なきもの、正体不明のものに、我らが貴重な兵や資源を割くべきではございません。それよりも、西に控える『帝国』への備えを固める方が、はるかに現実的な策かと存じます」

 その言葉に、氏政が、わずかに眉をひそめた。


「綱景殿。ですが、西の辺境伯領は、先の戦で……」


「辺境伯ではございません」

 綱景は、静かに氏政の言葉を制した。


「あの男は所詮、田舎の国人衆。ですが、侮ってはなりませぬ。問題は、あの男が『大陸最強』と謳われる竜騎士団を私兵として有していること。一介の地方領主が、それほどの戦力をなぜ維持できるのか。それは、背後に控える『帝国』が、それを許し、あるいは支援しているからに他なりませぬ。つまり、辺境伯は帝国の『牙』。我らが今、真に備えるべきは、その牙を操る巨大な本体でございます」


 綱景の、冷静で隙のない論理。その場の多くの者が、その言葉の重みに頷いた。

 だが、幻庵は、揺るぎない眼差しで綱景を見返した。


「綱景殿。そなたの言う『備え』は、武の理としては、寸分の間違いもない。なれど、それはこの世界を治めるための理の、まだ半分やもしれぬ」

 その物言いは、一見、綱景を諭すかのようであった。だが、その声には、侮辱ではなく、一族の行く末を案じる最長老としての深い慈愛が込められているのを、氏康は感じ取っていた。


「武と政は、国の骨肉。じゃが、我らが今立っておるこの大地、この大気に満ちる理……それはいわば、国の『魂』じゃ。骨肉だけでは人は生きられぬ。魂と和してこそ、真に永らえることができる。綱成が北条の『剣』、綱景、そなたの守りが北条の『盾』であるならば、わしは、この『魂』と向き合う、北条の『祈り』となろう。それこそが、一族の最長老としての、わしの最後の役目じゃ」


 幻庵の、静かな覚悟の前に、守りの名将である綱景も、もはや何も言うことはできなかった。


「幻庵、そなたの考え見事である。すぐに取り掛かれ」

 氏康の、その鶴の一声で全ては決した。


 ◇


 数日後。城の鬼門にあたる丘の上に、真新しい白木の祠が完成した。


 最初の奉納の儀。幻庵は、真新しい神官の装束に身を包み、祠の前に佇む。


 供えられた陽光米から立ち上る湯気と、満たされた清酒が放つ芳醇な香り。彼は深く息を吸い込むと、日本の古式ゆかしい言葉で綴られた、「祝詞のりと」を紡ぎ始めた。


「――かけまくも、かしこき、この地の産土うぶすなの大神たちよ……」


 その声は、音の連なりではなかった。幻庵の、この土地の精霊への敬意と、八万の民との共存を願う、純粋な「意志」そのものであった。


 その、瞬間であった。

 幻庵の魂の奥底で、何かが弾けた。


 スキル【神祇感応じんぎかんのう】の覚醒。


 祝詞を唱えながら、幻庵は驚愕に目を見開いた。

 世界が変わる。


 知識として理解していた『マナ』が、無数の意思の囁きとして、彼の魂に直接流れ込んでくる。風の音は喜びの歌に。木々のざわめきは感謝の囁きに。彼は、この土地そのものと、精神を完全に同調させていた。


「幻庵様……!」

 隣でその様子を見守っていたリシアが、息を呑む。


 彼女の目には、幻庵の言葉が一言一言、黄金の光の粒となり、祠の周りに集まった無数の蛍のような精霊たちへ、優しく染み渡っていくのが見えていた。


 祝詞が終わる。幻庵は、わななくような声でリシアに問うた。


「リシア殿……今、わかった。わしは、彼らの『声』が聞こえる。感謝が、喜びが、流れ込んでくる。そして、わしの言葉もまた、彼らに届いておるようだ。これは……」


「はい……!」

 リシアは、涙ぐみながら力強く頷いた。


「あなたの想いは、確かに精霊たちに通じました! あなたは、彼らと心で対話する道を、お開きになったのです!」


 幻庵は、自らの中に芽生えた新たな「感覚」に、武者震いを禁じ得なかった。


 敵を斬る力でも、城を築く力でもない。この世界の深奥にある理と「和する」力。彼が生涯をかけて求めてきた、知の探求の一つの答えが、そこにあった。


 その日を境に、城下の不思議な悪戯は止んだ。代わりに、ささやかな、確かな「奇跡」が頻発する。


 医療院の病人の回復が早まり、井戸の水は清冽な味わいを増し、畑の作物は病害虫を寄せ付けなくなった。精霊たちからの、ささやかな「返礼」であった。


 幻庵は、丘の上に立つ鎮守の祠を見上げ、確信していた。

 この新たな力があれば、いずれ精霊たちと「契約」を結び、彼らを、この国を守る真の「鎮守の神」とすることも不可能ではない、と。


 日本の神道と、異世界の精霊信仰。二つの理が結びついて生まれたこの小さな祠は、やがて種族を超え、新生・北条領の全ての民の、心の拠り所となっていくのであった。



 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

 皆様の応援が、何よりの執筆の糧です。よろしければブックマークや評価で、応援していただけると嬉しいです。



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