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幕間六:明日への学び舎

 小田原城下に、全ての子供たちのための寺子屋「明日塾あしたじゅく」が開校された。

 その日、真新しい木の匂いがする学び舎の前に、様々な姿の親たちと、その背中に隠れる子供たちの姿があった。


 開校式で、北条氏政は集まった全ての民に向け、その声に確かな熱を込めて宣言した。


「この学び舎では、人の子も、ドワーフの子も、エルフの子も、皆が等しく学ぶ。身分も、種族も、ここでは関係ない。我らが目指す、新しい国の礎を、この場所から築き上げるのだ!」

 快活な商人の娘「お花」は、期待に胸を膨らませて、明日塾の門をくぐった。


 だが、教室内には、見えない壁があった。人間の子は人間の子で、ドワーフの子はドワーフの子で固まっている。森から来たばかりのエルフの子たちは、怯えたように部屋の隅で小さくなっていた。


「ねえ、あの子たち、耳が長いのね」


「ドワーフの子って、小さいのにおじさんみたいな顔してる」

 子供たちの、悪気のない、残酷な囁き声が、教室の空気をぎこちないものにしていた。


 授業が始まる。先生は一人ではない。


 最初の授業は、日本の武士による「書」。


 武士は、筆の持ち方から、「いろは」を教える。静まり返った教室に、墨の匂いと、衣擦れの音だけが満ちていた。


「先生!」

 その静寂を破ったのは、ドワーフの少年グルンであった。


「こんなふにゃふにゃしたもので、どうして字が書けるのだ! 儂の父ののみの方が、よほど真っ直ぐな線が引けるぞ!」

 教室に、どっと笑いが起こる。武士は怒らず、グルンの小さな手に、自らの大きな手を重ねて、筆を握らせた。


「良いか、グルン殿。これは力ではない。心の流れを、紙に写すのだ」

 次の授業は、エルフのリシアによる「森の知恵」。


 教壇に、様々な薬草や、毒々しい色のキノコが並べられる。


「この赤いキノコは、一つ食べただけで、大きなお腹のドワーフさんでも、三日はお腹を壊してしまいますからね」

 その言葉に、グルンをはじめとしたドワーフの子たちが、一斉にリシアを睨みつけた。


「リシア先生!」お花が手を挙げる。


「その綺麗な青い花は、食べられますか?」

 リシアは微笑み、その花の茎から滴る一滴の乳液が、どれほどの猛毒であるかを教えた。子供たちの顔から、好奇が畏怖へと変わった。


 最後の授業は、ドワーフのドルグリムによる「技の理」。


「いいか、小僧ども!」

 ドルグリムは、巨大なてこを持ち込み、一番体の小さいエルフの少女に、自分よりも大きな岩を動かさせて見せた。


「小さな力でも、技と理屈を知れば、大きなものを動かせる! これこそが、我らドワーフの真髄じゃ!」

 彼の授業は、常に工房の熱気と、鉄の匂いがした。


 昼餉の時間。授業で少しだけ打ち解けたものの、まだ子供たちは種族ごとに固まっていた。


 お花は、母親が握ってくれた、大きな梅干し入りのおにぎりを、その小さな両手で宝物のように抱えた。そして、意を決して、隅で一人、木の実をかじっているエルフの少女、エラーラの元へ歩み寄った。


「これ、おいしいよ。食べてみない?」

 エラーラは、その差し出された白い塊を、警戒した目で見た。米の匂いも、梅干しの匂いも、彼女が知らない匂いであった。だが、お花の屈託のない笑顔には、敵意のかけらもなかった。


 エラーラは、おそるおそる、その米の塊を受け取った。


 一口、口にする。温かい米の甘み。そして、口の中に広がる、経験したことのない、しょっぱさと、甘酸っぱさ。エラーラの大きな瞳が、驚きに見開かれた。そして、生まれて初めて、はにかんだような笑みを浮かべた。


「……おい、しい」

 その様子を見ていたドワーフの少年グルンが、ずかずかと二人の元へやって来た。彼は、自慢の、虹色に輝く珍しい石を、お花の目の前に突き出す。


「おい、人間! 俺のこの石、すごいだろ!」

 それが、彼なりの友情の示し方であった。


 授業が終わる頃には、子供たちは種族の壁を忘れ、一緒になって鬼ごっこをしていた。エルフの子は、身軽さで鬼を翻弄し、ドワーフの子は、その頑丈な体で、仲間を守る壁となる。人間の子供は、その間を、ただ元気よく駆け回った。


 その光景を、氏政と大道寺政繁が、感慨と、確かな手応えを感じながら見つめている。


「……やれやれ。大の男たちが、何ヶ月も頭を悩ませていた問題を、子供たちはたった一日で、おにぎり一つで解決してしまいましたな」

 政繁の皮肉に、氏政は穏やかに微笑んだ。


「ああ。……これこそが、父上が、我らが見るべきだと仰せになった、『禄寿応穏』の、本当の姿なのかもしれぬな」

 北条家が目指す「多種族共存社会」の理想と、その未来。


 それは、戦場の鬨の声ではない。子供たちの、この屈託のない笑い声の中にこそ、確かな芽吹きを見せていた。



 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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