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第三十話:獅子の恩賞、そして次なる一手

 レミントン辺境伯軍を撃退して幾日。小田原城の本丸御殿は、戦勝の熱気と、払った犠牲への沈黙が混じり合う、厳粛な空気に満ちていた。


 評定の最初の議題は、捕虜の処遇。

 その広間の中央に、竜騎士団長サー・ゲオルグが引き出される。医療院での治療で命に別状はない。だが、その瞳から傲慢な光は消え、深い苦悩と混乱の色だけが揺れていた。


 玉座に座す氏康が、その誇り高き騎士を見据え、裁定を告げる。


「サー・ゲオルグ。そなたの武勇は見事であった。なれど、その誇りは盲目であったな。死を以て罪を償うは、容易い道。そなたには、生き恥を晒してもらう。この小田原で、真の『禄寿応穏』とは何かを、その目で確かめよ」


「よって、そなたに小田原の軍事顧問の任を与える。その騎士の戦術と思想を、我らに教えよ。我らもそなたから学ぼう。そして、そなたも、我らから学ぶがよい」

 その、あまりに異質な沙汰。ゲオルグの顔が、屈辱に歪んだ

 。

(……何だと? 殺しも、解放もしない? この私に、我らを打ち破ったの蛮族に、騎士道を説けと申すか……! これほどの屈辱、これほどの侮辱があろうか!)


 彼は、怒りに唇を噛み締め、何かを叫ぼうとした。

 だが、その脳裏を、一つの光景がよぎる。医療院の工房で見た、鋼の義手を掲げた侍の、あの誇りに満ちた横顔。


 その記憶が、彼の喉まで出かかった怒りの言葉を、鉛の塊となって飲み込ませた。。


 評定の間の空気が変わる。氏康は、次の布石を打った。


 「氏規」

 その声に、広間にいた全ての者の視線が、一人の若武者に注がれた。

 前に進み出た四男、北条氏規に、氏康は命じる。


「先の使い、見事であった。だが、此度の役目は、前回とは比べものにならぬほど重い。再び辺境伯の元へ赴き、我が名の下に、『降伏勧告』を突きつけよ」


「……降伏、勧告。父上、それは、もはや交渉の余地はない、と」

 氏規の声が、その言葉の重みに震えた。


 「うむ。辺境伯オズワルドには、こう伝えよ。その座を退き、隠居・出家するならば、命までは取らぬ、と。かの地の民を、これ以上戦火に巻き込むつもりはない」

 氏康は一度言葉を切ると、その目を氷のように冷たくした。


「なれど、もし、この慈悲を退けるならば、次こそは、我ら北条の全軍を以て、その城を、石垣一つ残さず、この地から消し去る、と」

 勝者による、冷徹な最後通牒。だが、その刃の奥には、民の命を無益に散らすことを厭う、為政者の慈悲が隠されていた。


 ◇


 その日の午後、城の広庭に主だった将兵が集められた。論功行賞の儀である。

 広間には、勝利の熱気と、払った犠牲への沈黙が混在していた。


 家臣たちが居並ぶ中、先陣を切った氏康の息子たち、氏照と氏邦が父の前へ進み出る。


「氏照、氏邦。そなたたちの勇猛さは聞き及んでおる。オーク傭兵部隊と見事な連携を取り、騎士団を打ち破った武威、見事であった」

 二人の顔に、誇らしげな色が浮かぶ。だが、氏康の言葉はそこで終わらない。


「なれど、お前たちの功名心は、竜の前に砕け散った。将たる者、勝つことよりも、負けぬこと、兵を一人でも多く生きて帰すことの重さを知れ。此度の戦の教訓こそが、お前たちへの最大の褒美ぞ」

 その言葉に、二人の顔から誇らしげな色が消えた。


 自分たちの未熟さが招いた兵たちの死。その現実が、父の言葉という刃となって二人の胸を貫く。


「……申し訳、ございませぬ」


「うむ。その悔しさを忘れるな。そなたたちには感状と、新たな役目を与える。此度の戦で得た教訓を元に、対竜、対魔法戦術を専門とする新たな部隊を編成し、その訓練を監督せよ。失敗から学ぶことこそ、将の器よ」

 二人は、褒美の脇差を手に、その重みと父の期待の重さを噛み締め、頭を下げた。


 次に、オークの族長グルマッシュが呼ばれる。

 氏康は彼らの奮戦を称えた。だが、彼が与えたのは金銀ではない。オークという種族が、最も価値を置く「禄」であった。 


 一つ、『異界式当世具足』のオーク仕様のものを、傭兵部隊の全員に支給すること。


 一つ、彼らの食糧として、奇跡の米『陽光米』を安定的に供給すること。


 そして、一つ。彼らの新たな本拠地として、小田原の西にある肥沃な谷間の一つを、「鉄牙部族・特別自治領」として与えること。


 その破格の申し出に、グルマッシュは言葉を失った。彼は玉座の氏康を見上げ、生まれて初めて主君への畏敬を知った。彼は、その巨大な拳を自らの胸に、ゴッと音を立てて打ち付けた。


「……大殿。このグルマッシュ…そして、我が鉄牙部族は、生涯、牙と斧を、北条のために捧げよう。この恩義、鉄の掟として、我が一族に刻み込む」

 その武骨な魂の誓いに、氏康は静かに頷いた。


 そして、論功行賞の最後。此度の最大の功労者、北条綱成が氏康の前に進み出た。


「綱成。そなたの武威なくして、此度の勝利はなかった。まこと、大手柄であった。望むものを言うてみよ。土地か、金か、城の一つでもくれてつかわす」

 広間が、期待に満ちて静まり返る。

 だが、綱成の返答は、その場の全員の予想を超えるものであった。


「ありがたき、お言葉。なれど、殿。この綱成が望むは、土地でも、金でも、ございませぬ」

 綱成は、自らの手を見つめた。ゲオルグとの死闘。その中で、彼は己の武の限界と、その先に広がる、まだ見ぬ「高み」の存在を感じていた。


「殿。この綱成に、しばしの『いとま』を、お与えください」


「暇、だと……?」


「はっ。この世界は広く、我らの知らぬ強者が数多眠っております。この綱成、己の剣を磨き、北条家の、より鋭き『牙』となるための、旅に出とうございます。――武者修行の、お許しを」

 家臣たちが、その意外な願いにどよめく。

 だが、氏康だけは、全てを理解した顔で頷いた。


「……そうか。そなたの目が見据える先が、わかった。良いだろう、綱成。許す」


「行け。そなたの求める、武の頂へと。されど、ゆめ忘れるな。いずれ、この国に真の嵐が訪れる。その時は、戻ってこい。この国には、そなたという『獅子』が必要だ」


「ははっ!」

 綱成の顔に、満足げな笑みが浮かんだ。彼は、深く頭を下げた。


 ◇


 評定が終わった後、氏康は一人の男を自らの私室に招いた。そこは玉座の間とは隔絶された、一人の為政者の仕事場であった。壁という壁は書棚に埋め尽くされ、卓上には墨の匂いを放つ書状と、未だ空白の多い大陸地図が広げられている。


 男の名は、板部岡江雪斎。外交を預かる、僧形の男。


 「江雪斎。ドワーフの国での働き、見事であった。だが、休む暇はないぞ」

 氏康は、卓上に広げられた一枚の羊皮紙を指し示した。


 それは、清水康英がもたらした南方の海図。未知の海流と島影が、異国の筆致で描かれている。


「南方の自由都市同盟を名乗る商人たちの船が、岸に流れ着いた。彼らは我らの醤油と清酒に興味を示し、この海図を友好の証として置いていった」


 「ほう……。南に、商人の国が」

 江雪斎は、その海図を覗き込む。その目に、新たな戦場の広がりが見えた。 


 「うむ。そなたには、この商人たちと交渉の席を持ってもらう。我らの産物を、彼らが持つ海の情報、未知の資源と交換するのだ」

 氏康の指が、地図の上で、西、北、そして南の三点を、弧を描くように結んだ。


「西の辺境伯とは、武で。北のドワーフとは、技で。そして、南の商人とは、利で結ぶ。これぞ、我が北条の、新たな三国同盟よ」

 「承知いたしました。この江雪斎、舌先三寸にて、彼の国の富、根こそぎ我が物としてご覧にいれましょう」

 雪斎は、柔和な笑みを浮かべた。その瞳の奥には、新たな獲物を見つけた、老練な鷹の光が宿っていた。


 ◇


 その夜、城下の広場は一つの巨大な祝宴と化した。


 いくつもの篝火が冬の闇を焦がし、その火の粉は人々の歓声と共に天へと舞い上がる。日本の新嘗祭と異世界の収穫祭。二つの祭りは、誰が教えるでもなく、一つの熱狂の中に溶け合っていた。


 釜で炊かれるのは『陽光米』。黄梅院の力が込められた、一粒一粒が内側から輝く奇跡の米。


「ガハハハ! この米、美味すぎる! 牙猪の肉よりも力が湧いてくるようだぜ!」

 一人のオーク兵が、巨大な握り飯を汚れた手で鷲掴みにし、その口いっぱいに頬張る。


「当たり前だ!」

 隣で酒を飲んでいたドルグリムが、大きな盃をテーブルに叩きつけた。


「そいつは、氏政様と奥方様の魂がこもった米だ! ありがたく食え! それにしても、この『サケ』というやつは、どうにもいかんな……。これを飲むと、槌を握るより詩を詠みたくなるわい!」

 少し離れた場所では、リシアとエルウィンが、森から来た同胞たちの輪の中にいた。


「信じられません。オークとドワーフが、同じ火を囲んで笑い合っている。長老たちが見たら、卒倒してしまいます」

 一人の若いエルフが、目の前の光景に戸惑いを隠せない。エルウィンは、そんな彼女に微笑みかけた。


「これが、この国の『ことわり』なのだよ。我らが千年かけても築けなかったものを、この人間たちは数ヶ月で作り上げつつある。我らも学ばねばならん。彼らの、この強さの根源を」

 宴の中心では、足軽たちが肩を組み、覚えたてのドワーフの仕事歌を歌う。


 その周りを、人間の子供とエルフの子供が、手を取り合って走り回る。言葉も通じぬ者たちが、一つの火を囲み、一つの家族となっていた。


 ◇


 宴の熱気が冷めやらぬ、翌朝。


 小田原の門から、三つの異なる一団が、それぞれの道を歩み始めた。


 西へ。北条氏規率いる十数騎の使節団が、レミントン辺境伯領へと向かう。勝者として、そして、より重い責務を帯びた、二度目の旅立ち。


 北へ。北条綱成が、背に『獅子奮迅』を負い、数人の供だけを連れ、まだ見ぬ強敵を求め、山脈地帯へとその姿を消す。その歩みは、修行者のようであり、獲物を求める飢えた獣のようでもあった。


 そして、南へ。板部岡江雪斎が、商人・近江屋利兵衛の手引きで数人の供を連れ、清水康英の待つ沿岸の港へと向かう。彼らの荷には、交渉の切り札となる清酒と醤油が満載されていた。


 氏康は、城の櫓から、三つの道をゆく者たちと、彼らが守るべき城下を見下ろしていた。


 辺境伯領との戦いは終わった。だが、捕虜ゲオルグの言葉の端々から、背後に控える巨大なアークライト神聖帝国の存在が、無視できぬ脅威として彼の心にのしかかる。


(……一つの戦が終われば、また次が始まる。戦国の世も、この異世界も、理は同じか)


 氏康は、眼下に広がる活気と、そこに暮らす多くの民の顔を見つめた。


(だが、やることは変わらない)


 彼の目に、為政者としての揺るぎない光が宿る。


(民を守り、国を治める。それだけだ)






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