第二十六話:地黄八幡、天に吼える
「見つけたぞ、大将首」
北条綱成の、血に飢えた獣の目が、天を舞うサー・ゲオルグの姿を、その網に捉えた。
その言葉は、音ではない。凄まじい闘気を伴った、純粋な殺意の塊であった。
上空、飛竜イグニスを駆るサー・ゲオルグは、その視線に、肌を焼かれるかのような圧を感じた。
(なんだ、あの男は……!? これまでの兵とは、格が、魂の圧が、違う……!)
眼下の平野では、綱成率いる一隊が、竜騎士団の奇襲で崩壊したはずの陣形を再編し、押し返している。その指揮は見事の一言。だが、ゲオルグの騎士の誇りが、地上の一将軍に恐れを抱くことを許さない。
「イグニス! あの黄金の将軍を狙え! 敵の大将首だ!」
ゲオルグの号令。
深紅の飛竜が、天より死のブレスを吐き出す。灼熱の炎が、一つの奔流となって、戦場を舐め尽くさんと綱成めがけて殺到した。
「――甘いわ!」
綱成は、迫りくる炎を前に、馬上で咆哮すると、その手綱を放り捨てた。
彼は、疾駆する馬の背から大地へと跳び降りる。その着地は、大地に一つの楔を打ち込むかのように、重く、揺るぎない。
その巨躯が、大地に深く根を張る。
彼は、背に負った一振りを、咆哮と共に抜き放った。
小田原鋼を母体に、刃金にミスリルを打ち込んだ豪壮な太刀。その刀身は、主の闘気に呼応し、地黄八幡の旗印のごとき黄金色の光を放つ。太刀、『獅子奮迅』。
この異世界で生まれた、北条家最初の宝刀であった。
「おおおおおおっ!」
綱成は腰を落とすと、光る『獅子奮迅』を、薙ぎ払うように一閃させた。
信じがたい光景が、ゲオルグの目に飛び込んできた。黄金の光の刃が、炎の奔流そのものを斬ったのだ。炎は綱成の左右を抜け、背後の大地を無意味に焼き焦がす。その中心で、綱成は傷一つなく、ただ静かに、天の騎士と竜を、不敵な笑みで見上げていた。
「馬鹿な……!? イグニスのブレスを、斬っただと!?」
ゲオルグの思考が、一瞬、凍り付いた。
天を支配する竜の炎を、地を這う人の子が斬る。彼の、騎士としての常識が砕け散った、その一瞬の隙。
「――今だ!」
綱成は、大地を蹴った。否、大地そのものが、彼を天へと射出したかのようであった。
黄金の光の塊と化した綱成は、竜の顎の下、がら空きになった懐へと、流星のごとく突き刺さった。狙うは、天を舞う騎士ではない。この戦いが始まって以来、彼が狙い続けた、ただ一点。竜の翼を動かす、巨大な筋肉の付け根。
「――これぞ、我が武威よッ!」
黄金の光の刃が、イグニスの翼の付け根を、鱗を、肉を、そして骨ごと、断ち切った。
「グギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」
星そのものを揺るがす絶叫が、戦場を支配した。
片翼を失った巨体は、空に留まることができない。きりもみ状に回転し、地上へと墜落していく。ゲオルグは相棒の背から振り落とされ、なす術もなく地面に叩きつけられた。全身を、鎧の上から骨の芯まで砕く衝撃が襲う。
地響きと、舞い上がる土煙。
それが晴れた時、ゲオルグの目に映ったのは、翼から血の奔流を流し、苦痛にのたうつ愛竜イグニスの姿。
そして、その向こう。黄金の光を放つ刀を肩に担ぎ、自分を見下ろす、鬼神の姿であった。
「好機! 敵の大将は、地に落ちた! 全軍、立て直せ! 押し返せ!」
その絶好の機会を、戦場の氏邦が見逃すはずもなかった。
彼の号令一下、崩れかけていた北条軍が、再び一つの生き物のように動き出す。氏照も、負傷した腕を押さえながら、兵たちを鼓舞している。
オーク傭兵部隊もまた、グルマッシュの咆哮に応え、混乱する騎士団へと、最後の猛攻を仕掛けた。
戦況は、完全に、決した。
◇
戦場の中心。
サー・ゲオルグは、朦朧とする意識の中、身を起こした。全身の骨が、鉛の枷となって軋む。だが、それ以上に彼の心を支配するのは、騎士の誇りを砕かれた、絶対的な絶望であった。
(……負けたのか。この私が。神の加護を受けし、この竜騎士が……)
彼は、憎悪と畏怖を込めて、目の前の男を睨みつけた。
「さて」
綱成は、獣のように笑った。その肩に担いだ『獅子奮迅』が、黄金の光を放っている。
「天での舞は、これまでよ。さあ、騎士殿。地の上で、尋常に勝負と洒落込もうではないか」
ゲオルグは、残った力で自らの剣を抜き放った。
代々ヴァレンシュタイン家に伝わる、数々の魔物を屠ってきた宝剣。その切っ先に、震えはない。敗北を前に、彼は一人の騎士として、最後の誇りを燃え上がらせていた。
「……異端者め。我が命、神と辺境伯様に捧げたもの。貴様ごときにくれてやるものか!」
ゲオルグが駆ける。その剣筋は、大陸屈指と謳われる、重く、鋭い、王者の剣。
対する綱成もまた、『獅子奮迅』を構え、その一撃を正面から受け止める。
キィィィィンッ!
二つの刃が、火花を散らして激突する。
ゲオルグの剣は、破壊の奔流。一撃で盾を砕き、鎧を断つ。
綱成の太刀は、流れる水。相手の力を受け流し、捌き、その反動を、より鋭い一撃として返す。
十合、二十合と打ち合ううち、ゲオルグの呼吸が乱れ始めた。彼の剛剣は、ことごとく綱成の太刀の鎬や棟にいなされる。威力を殺された剣戟の隙間、剃刀の切っ先が鎧の隙間を掠め、彼の体に無数の赤い線を描いていく。
(……なんだ、この男の剣は! 太刀筋が読めぬ! 違う、読み切った上で、その更に裏をかかれているのか!)
最後の力を振り絞り、ゲオルグは渾身の大上段を振り下ろした。
それに対し、綱成は初めて刀で受けず、身を沈めてその一撃を懐へと誘い込む。空を切った剣。がら空きになった胴体。
だが、綱成が狙ったのは、胴ではなかった。
「――終わりだ」
地を這う角度から、逆袈裟に斬り上げられた『獅子奮迅』の刃が、ゲオルグの宝剣の、その中心を捉えた。
パキィィィィィンッ!!
甲高い、ガラスが砕ける音。ゲオルグの愛剣が、中ほどから断ち切られた。
「なっ……!?」
ゲオルグは、信じられないという目で、手元に残った、ただの鉄の棒と化した柄を見つめる。
その一瞬の硬直。彼の喉元に、冷たい、燃えるような黄金色の切っ先が突き付けられていた。
「……勝負、ありだな。騎士殿」
綱成は肩で息をしながら告げた。その瞳には戦いの熱はなく、ただ、強者を屠った後の深い静寂だけがあった。
ゲオルグは、膝から崩れ落ちた。
「者ども、その男を生け捕りにせよ! 丁重に扱え! 我が殿への良い土産となるわ!」
綱成は、天へと勝ち鬨を上げた。それに呼応し、平野の各地から、北条軍の雄叫びが上がった。
その日、異世界テラ・ノヴァの歴史上、無敵を誇った竜騎士団は、「敗北」という二文字を、その翼に刻み付けられた。
そして、その中心にいたのは、獅子のごとく猛り、神の如く戦った、一人の日本の武将。
「地黄八幡」北条綱成の名は、この日を境に、畏怖と賞賛と共に、この異世界に轟いていく。
その手にした宝刀『獅子奮迅』の、黄金の輝きと共に。
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