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第二十四話:竜騎士団、出陣

 

 辺境伯オズワルドの居城は、屈辱の熱で歪んでいた。

 磨き上げられた大理石の床を、歪んだ銀の杯が、からん、と虚しい音を立てて転がる。


「……これが、そなたの報告の全てか」


 オズワルドは玉座から、床に平伏する密偵の長クラウスを、氷の目で見下ろした。


「は、はい……。も、申し訳ございません……。奴らの諜報網は、我らの想像を……」


「黙れ、無能が!」

 オズワルドの怒声が、だだっ広い玉座の間で虚しく響く。


 クラウスが持ち帰ったのは、敗北ではない。侮辱だ。

『対話の門戸は開いている』だと? あの若造の使節は、そう言ったという。勝者が敗者に、犬に施しを与えるように投げかける慈悲の言葉。


 この神聖帝国の貴族たるオズワルド・フォン・レミントンが、東の蛮族に、完全に見下されている。


 諜報戦での完敗。外交での屈辱。

 オズワルドの中で、何かが音を立てて砕け散った。


(……もう、よい。小細工は、終わりだ)


 彼は、玉座の肘掛けに、骨が軋むほどの拳を叩きつけた。硬い樫の木が、悲鳴を上げて砕け散る。


「――来い! 誰か、ある!」

 その声は、もはや領主の威厳を失い、ただの獣の咆哮であった。


「サー・ゲオルグを呼べ! 竜騎士団を! いや、全軍だ! グリフォンもアイアンボアも、団長共を、この場へ引きずってこい!」 


「問答は無用! あの虫けらどもには、力こそが唯一の法であると、骨の髄まで思い知らせてくれるわ!」


 ◇


 城内の礼拝堂は、静謐と、祈りの匂いに満ちていた。

 ステンドグラスを透した七色の光が、床の石畳に、神の御業のごとき紋様を描き出す。その光の中心で、サー・ゲオルグは、神の御前に膝をついていた。


 磨き上げられたミスリル銀の鎧が光を反射し、彼自身が、まるで聖遺物の一部であるかのように見えた。


(……おお、天にまします、我らが主よ)

 彼の心を満たすのは、静かな、しかし、灼けつくような怒りであった。


 東の森に現れたという、謎の勢力『オダワラ』。奴らは、雷鳴と共に鉄の礫を放つという。


 騎士の誉れも知らぬ、卑怯者の妖術。神に見放された獣…森のエルフ、地のドワーフと、同じ盃を交わすという。聖なるものと、穢れたものの区別さえも、解さぬ者ども。


(そのような異端が、神聖なる帝国領を脅かすなど、断じて許されることではない)


 彼の信じる騎士道とは、神の秩序を、その剣と槍で地上に体現すること。混沌の獣を討ち、法を乱す盗賊を断罪する、神聖な義務。


 この『オダワラ』と名乗る者たちは、その秩序を根底から覆す、最も危険な「病」に他ならなかった。


 その静謐を、礼拝堂の扉が、轟音と共に開け放たれて引き裂いた。

 一人の伝令兵が、息を切らして駆け込んでくる。


「サー・ゲオルグ!」


「辺境伯閣下より、ご命令です! 全軍、総力を以て、出陣せよ、と!」


「……そうか」

 ゲオルグは、ゆっくりと立ち上がると、胸の前で十字を切った。その瞳に、迷いはない。


「主よ。これより、あなたの御名において、東の地に蔓延る異端を浄化することを誓う。我が槍に、神の裁きの雷を」


 彼は、伝令兵を振り返ると、ただ、短く、そして、重い一言を告げた。

「――準備を」


 ◇



 辺境伯の前に、三人の騎士団長が、三本の鋼の柱のように佇んでいた。竜騎士団長サー・ゲオルグ。『グリフォン』第一騎士団長。『アイアンボア』第二騎士団長。


「聞いたな! 明朝、夜明けと共に出陣する! 目指すは東の森、蛮族どもの城『オダワラ』! 皆殺しだ!」


 オズワルドの狂気に満ちた言葉に、二人の騎士団長は一糸乱れぬ動きで膝をついた。

「「ははっ!」」


 だが、ゲオルグだけが、その場に仁王立ちのまま動かない。


「閣下。お言葉ですが、我ら竜騎士団は、すぐには手を下しますまい」


「……何だと、ゲオルグ? この期に及んで、臆したか」

 オズワルドの目に、猜疑の色が浮かぶ。


「まさか。なれど、竜の爪で蟻を潰すのは、騎士の誉れにあらず」

 ゲオルグの誇り高い瞳が、主君の猜疑を射抜く。彼は、膝をつく二人の騎士団長を一瞥した。


「まず、『グリフォン』と『アイアンボア』に、かの城を攻めていただく。蛮族どもの戦力を、地上にて引きずり出し、消耗させるのだ。我ら竜騎士団は、天よりその戦況を監視する」


「そして、敵が、その卑劣な『雷の魔法』とやらを使い、疲弊した、その瞬間。空から、神の鉄槌を下す。それこそが、我ら竜騎士の戦い方にございます」


 それは、戦力の逐次投入という愚策。だが、その根底にあるのは、己の力への絶対的な自信と、他の騎士団への、隠しようのない侮蔑であった。


 オズワルドは、ゲオルグを睨みつけていたが、やがて、その口元に満足げな歪んだ笑みを浮かべた。


「……良いだろう。好きにせよ。ただし、仕損じるな。あの若造の使節の顔を思い出すだに、腸が煮え繰り返るわ」


「御意のままに」


 辺境伯の号令は、領土全土を戦の熱に叩き込んだ。


 城下には各所の砦から騎士団が集結し、鍛冶場の槌音が昼夜の別なく響き渡り、兵糧を荷駄に積む怒声が空気を震わせる。それは、この地に平和が訪れて以来、忘れられていた光景であった。



 七日後の早朝。城の大手門が、地響きを立てて開かれていく。


 朝の光を浴びて最初に姿を現したのは、グリフォンの紋章を掲げた第一騎士団。その一糸乱れぬ隊列は、辺境伯領の正規軍としての誇りを示す。


 次に続くは、巨大な猪の紋章を掲げた第二騎士団。こちらは傭兵上がりの者たちで構成された荒々しい気風の集団で、その目には規律ではなく、血と金への渇望が浮かぶ。


 彼らの後ろには、数千の歩兵部隊が、東を目指す鉄の川となって続いていた。


 その地上部隊の頭上を、巨大な影が覆った。

 城の中庭に隣接する巨大な岩窟の厩舎エアリーから、十数頭の飛竜が、革の翼を打ち鳴らし、空へと舞い上がる。


 サー・ゲオルグは、天から、進軍する自軍の威容を見下ろした。眼下には、鋼の鱗となって進む、無敵の軍団。彼の相棒、深紅の飛竜『イグニス』が、戦を予感し、喉の奥で、地の底から響くような咆哮を上げた。


「者ども、聞け!」

 ゲオルグの声が、風に乗り、眼下の騎士たちの魂に直接届く。


「我らが向かうは、東の森に巣食う、神をも恐れぬ蛮族の集団である!」


「奴らは、騎士の戦いを、知らぬ。ただ、遠くから卑怯な鉄の礫を放つのみ。なれば、我らが教えるべきことは、ただ一つ!」

 彼は、その竜槍の切っ先を、天に突き上げた。その穂先が、朝の光を吸い込み、一点の星のように輝く。


「――真の戦とは何かを! 竜の翼が起こす嵐と、その牙の前には、人の石垣など何の意味も持たぬということを! 神の裁きは、天より下されるということを!」


「おおおおおっ!」

 地上の騎士たちが、槍の石突を、大地が割れるほどの音を立てて、一斉に地面に打ち付け、応える。


「辺境伯領に栄光を! 竜騎士団に勝利を! 神の御名の下に!」

 ゲオルグは、イグニスの腹を蹴った。


「――全軍、進軍!!」


 大陸最強と謳われる、生ける災厄の化身、竜騎士団。それを支える、数千の地上部隊。辺境伯が動かす全ての戦力が、一つの目的のために動き出す。その進軍を阻むものはない。彼ら自身が、そして、屈辱に震える辺境伯が、そう信じていた。

 東の空、小田原を目指し、天と地から、鋼と、鱗と、殺意の奔流が突き進んでいった。



 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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