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第二十一話:異界式当世具足と小田原鋼

 その日から、小田原城の北側、工業地区は一つの巨大な炉と化した。日本のたたらが吐き出す松炭の甘い香りと、ドワーフの高炉が上げる石炭の焦げる匂い。二つの世界の火が、一つの空の下で混じり合っていた。


「面白い! こいつは面白いぞ、幻庵!」

 ドルグリムは、日本の「たたら」が生んだ海綿状の鋼の塊、『玉鋼』を宝物のように掲げた。


「我らの高炉は鉄の不純物を焼き尽くす。だが、同時に鉄が持つ粘り強さ…魂まで焼きかねん。だが、この『たたら』は、砂鉄と炭の魂を対話させ、一つの塊へと育てておる。なんと気が遠くなる、理に適ったやり方だ!」


 幻庵もまた、ドワーフの高炉を見上げ、その圧倒的な熱量に舌を巻いていた。


「うむ。そして、そなたらの高炉。この地獄の如き熱を、安定して維持するとは。この火力があれば、我らが知らぬ鉱石をも溶かし、新たな可能性の扉を開けよう」


 二人の天才は、互いの技に、己が失った半身を見出した。


 工房は戦場と化した。

 ドワーフの高炉が生む純粋な鉄。日本のたたらが生む強靭な玉鋼。二つを絶妙な配合で組み合わせ、日本の刀鍛冶が槌を振るう。


 カン!と甲高く響く日本の小槌。

 ゴォン!と腹に響くドワーフの大槌。


 二種類の槌音が、昼も夜も、対話のように工房に響き渡る。飛び散る火花が職人たちの汗を照らし、幻庵とドルグリムは、炉の火を睨みながら夜を徹して議論を重ねた。


 数週間の苦闘の末、一本の刀が生まれた。

 日本の刀の優美な反りを持ちながら、その地肌には、ドワーフのルーンを思わせる力強い文様が、魂の脈動のように浮かんでいる。


 試し切りに立った綱成は、言葉を失った。鉄の兜が、熟れた瓜のように両断される。その手応えは、驚くほど軽い。


「……見事だ。この鋼、この切れ味……。獣の膂力さえも、断ち切れるわ。これぞ、わしが求めていたものよ」


 幻庵は、その新しい鋼を、我が子を見るような目で見つめた。

「ドワーフの『力』と、日本の『技』が、ここに結実した。これこそ、我らが異世界で生み出した最初の宝。――『小田原鋼』と名付けようぞ」


 ◇


「小田原鋼」の誕生は、武具開発の熱を加速させた。

 今度の戦場は、武具工房。先の戦で得た、岩のような質感を持つ薄い皮膜や、鋼のごとき硬さを持つ牙猪の硬皮。未知の素材を前に、日ノ本とドワーフの職人たちが、腕を組み唸っていた。


「この岩翼の皮膜、鉄の鎧の半分以下の重さだ。なれど、この通り……」

 一人の日本の鎧師が、皮膜の切れ端を炉の火にかざす。それは一瞬で黒く縮れた。


「……火には紙同然。これでは、魔法使いの前では的になるだけだ」


「ふん、ならば全面を小田原鋼で覆えばよかろう」と、ドワーフの職人が応じる。「少々重くはなるが、竜の炎にも耐えるものができようぞ」


「馬鹿を言え! そんな鉄塊を纏って、綱成様のような俊敏な戦ができるか!」


 軽さと、剛性。二つの理は、工房の中で決して交わらなかった。

 その熱く行き詰まった空気の中に、幻庵がエルウィンとリシアを伴い、姿を現した。


「ならば、こうしてはいかがでしょう」

 エルウィンは、議論を静かに聞いていたが、やおら皮膜の上に、木の枝で一つの文様を描き始めた。


 それは、風が渦を巻くような、力の流れそのものをかたどった印であった。

「これは、風の精霊の守りを示す印。この文様を、薄く打った小田原鋼の板に刻む。鋼に、風の魂を宿らせるのです。さすれば、鋼は強度を、皮膜は軽さを保ち、印の力が熱を逸らす盾となる」


 その言葉は、天啓であった。工房は、再び戦場と化す。

 日本の鎧師が、岩翼の皮膜を熱した油で鞣し、小札に切り出す。ドワーフの職人が、小田原鋼を紙のように薄く打ち延ばし、その表面に、エルウィンが示す印を寸分の狂いなく刻み込む。


 日本の小札を重ねる技法、ドワーフの鋼の加工技術、エルフの精霊信仰。三つの文化が、一つの鎧の上で火花を散らし、新たな形を結んでいく。


 数週の苦闘の末、一つの獣が産声を上げた。


 胴体は、熱処理された岩翼の皮膜を鱗のように重ね、見る角度で色を変える。急所は小田原鋼の板で覆われ、肩や腕は、柔軟な魔物の皮の上に、祝福の印が刻まれた鋼の小札が縫い付けられた。そして、兜。その前立てには、牙猪の鋭い牙が、天を脅すかのように取り付けられている。


 その、生物の獰猛さと、武具の機能美が融合した姿に、幻庵は満足げに頷いた。

「日本の『当世具足』の理を、この異世界の理で超えたもの。……これを、『異界式当世具足』と名付けようぞ」


 ◇


 数日後。城の練兵場にて、完成した鎧の性能を試す実験が行われた。

 居並ぶ将兵が見守る中、試作品の鎧を纏った屈強な足軽組頭が、その手足を確かめる。


「……ほう。見た目より、軽い。これならば、一日中戦っても、疲れを知らぬわ」

 検分役の北条綱成は、満足げに頷き、実験の進行を命じた。


 最初の実験は、矢による射撃。矢は、甲高い音ではなく、鈍い音を立てて皮膜の表面を滑り、あらぬ方向へと弾かれた。

 次に、長槍。渾身の突きが、小田原鋼の胸板に阻まれ、甲高い悲鳴と火花を上げて滑る。


「……よし。ここまでは上々だ。次が本命だぞ」

 綱成の言葉に、練兵場の空気が緊張する。用意されたのは、オークの膂力を再現するための、無骨な鉄槌。これを、城内で最も腕っぷしの強い兵士が、大上段に振りかぶった。


「待て」

 その声は静かであったが、練兵場の全ての音を支配した。声の主は、綱成であった。


「その役、わしがやろう」


「なっ……!」

 その場にいた誰もが、耳を疑った。真っ先に声を上げたのは、氏政であった。


「なりませぬ、綱成殿! あなた様は、我が北条軍の柱! 万一のことがあれば、どうするのです!」

 宿老の一人も続く。


「氏政様のおっしゃる通り! 殿、何とぞお止めください!」

 家臣たちの視線が、氏康へと集まる。


 綱成は、その制止を意に介さず、不敵な笑みを浮かべた。

「ハッ、わかっておらん。この鎧の真価は、ただの兵が着ては分からん。極限の衝撃の中で、いかに体を捌き、威力を殺せるか。それを試さねば、実戦での意味はない。それに……」

 彼は、自らの胸を、拳でコン、と叩いた。


「この鎧と、己の腕を信じぬで、何が地黄八幡か!」

 綱成は、氏康へと向き直り、許可を仰いだ。


「殿、ご許可を!」

 氏康は、血気にはやる猛将と、案じる家臣たちを交互に見比べた。そして、一つの決断を下す。


「……好きにせい」


「父上!」と氏政が叫ぶ。


「だが、死ぬなよ、綱成」氏康は、重い言葉を続けた。


「そなたを失うは、この小田原にとって、城の一つを失うに等しい。それを、ゆめ忘れるな」


「御意!」

 綱成は咆哮すると、足軽組頭から試作品の鎧を受け取り、その身に纏った。


 再び、鉄槌が振り上げられる。


「――参る!」

 掛け声と共に、鉄槌が風を唸らせて振り下ろされた。

 ゴォォンッ!!

 世界が揺れるかのような、凄まじい衝撃音。

 鎧を纏った綱成の体が、数歩後ろによろめき、乾いた土煙を上げる。


 誰もが、息を呑む。

 土煙が晴れた時、そこに立っていたのは、己の足で仁王立ちする綱成の姿。胸の鎧は、衝撃で大きく凹んでいる。だが、その表面に刻まれたエルフの印が一瞬、淡い光を放ち、皮膜の鱗が一枚一枚、波のようにしなって衝撃を逃がしたのが見えた。致命的な一撃は、骨を軋ませる打撲へと、その威力を変えられていた。


「……はっ」

 綱成の口から、乾いた笑いが漏れた。


「はっはっは……! 見事だ! 実に見事だ!」

 その笑いは、やがて腹の底からの、雷鳴のような大咆哮へと変わった。


「おおおおおっ! これだ! わしが求めていたものは、これよ! これさえあれば、この世界の、いかなる獣、いかなる魔性とも、渡り合えるわ!」


 その雄叫びは、新たな力の誕生を祝福する鬨の声であった。

 練兵場は、遅れて、割れんばかりの歓声と拍手に包まれた。


 ◇


 その夜、工業地区の熱

 北条幻庵。ドワーフのドルグリム。そして、日ノ本一と謳われる刀鍛冶の棟梁。三人の老いた職人が、一つの炎を黙って見つめている。


 やがて、ドルグリムが耐火布の包みを解く。中から現れたのは、一塊の金属。炉の赤い光を吸い込み、月光そのもののような、冷たい銀色の輝きを放っていた。ミスリルであった。


「……ドルグリム殿。これほどの代物、まことによいのか」

 幻庵の声が、畏敬の念に震えた。この一塊の金属が持つ価値は、金銭に換算できない。小国の一つや二つを買える、伝説級の代物。


「ふん。王にも長老会にも内緒じゃ。これが無くなったと知れたら、わしの首が飛ぶだけじゃすまん」

 ドルグリムの顔に、悪童の笑みが浮かんだ。


「だが、お主らと出会い、わしの魂も炉の火に焼かれた。伝説を蔵で眠らせるだけでは、職人が廃るわい」


 刀鍛冶の棟梁が、布の上からミスリルを持ち上げる。その眉間に、深い皺が刻まれた。あまりに軽い。鉄が持つべき、確かな重みがない。


「ですが、ドルグリム殿。この銀、あまりに素直すぎる。鉄が持つ、反発し、鍛えれば応えるという荒々しい魂がない。これだけでは、刀の背骨は作れぬ」


「うむ。わしも同感じゃ」

 ドルグリムが、その銀を指で弾く。キーン、と、どこまでも澄んだ音が響いた。


「このままでは、ただよく切れるだけの、脆い刃物にしかならん。だが……」

 彼の視線が、傍らに置かれた『小田原鋼』のインゴットと、手の中のミスリルの塊を、往復する。


「……もし。もしじゃぞ。この二つの魂を、一つの鋼の中で結び合わせることができたなら……一体、どんな化け物が生まれる」


 その言葉は、呪文であった。

 幻庵と、刀鍛冶の棟梁の目に、同じ、不可能へ挑む職人の狂気が宿る。


 それは、途方もない挑戦。この小田原では、いくつもの不可能が可能となってきた。


 三人の男たちの、探求の夜は終わらない。

 北条家が真の宝刀を手にする日は、遠くないのかもしれない。



 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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