幕間三:炉縁のささやき
地下王国カラク・ホルン。
その心臓部である大溶鉱炉「ヴォルンヘイム」から少し離れた、革新派の若きドワーフ職人、グレンの工房は、夜だというのに、炉の赤い光と、男たちの抑えきれない熱気に満ちていた。
国王ブロック・アイアンフィストの前で行われた、あの人間たちの使節団との謁見から、数日が過ぎていた。だが、あの日の出来事は、グレンとその仲間たちの心に、消えることのない火を灯していた。分厚い石壁に反響する槌の音も、今は止んでいる。男たちは、普段であればエールで満たされているはずの角杯を前に、ただ押し黙っていた。
「……見たか、親方衆のあの顔を。口では『我らの斧に勝るものなし』などと嘯いていたが、あの人間たちの刀を見た時の目は、嘘をつけん。あれは、我らと同じ、本物の職人の目だった」
グレンが、炉の火を見つめながら言うと、集った若い仲間たちも、興奮したように頷いた。彼らは皆、王城での謁見に、ドルグリムの助手として立ち会うことを許された、腕利きの職人たちだった。
「ああ、まったくだ。あの人間たちの僧侶……江雪斎とか言ったか。奴の言った通りだ。『伝統とは、ただ守るものではなく、磨き、新たな形を与えることで、真の価値を持つ』。まさに、その通りじゃねえか」
「それに、あの酒だ! 『清酒』とか言ったか。あれを飲みながら鉄を打てば、どんな名品が生まれることか……!」
一人が、うっとりとした表情で天を仰ぐ。あの、脳髄を貫くような文化の衝撃。ただ無骨で、喉の渇きを癒すだけの自分たちのエールとは全く違う、洗練された魂の飲み物。あれを一度知ってしまえば、もう、以前と同じ気持ちで麦酒を飲むことはできなかった。あの香りと味わいは、職人としての、より繊細な感性を呼び覚ますかのようであった。
彼らの脳裏には、ブロック王と、その周りを化石のように固める長老たちの、頑なな表情が浮かんでいた。王は、結局、あの人間たちの挑戦的な提案――互いの職人を交換し、技を競い合わせるという、何よりも名誉あるはずの申し出に対し、明確な答えを出さぬまま、彼らを帰したのだ。
「王も、長老方も、お年を召しすぎた。新しい風が、この山に吹き込んでいるというのに、その風を感じることさえ、お忘れになっている。我らがドルグリム様に『魔石機関』の図面を見せていただいた時、長老方は何と言った?『そんな得体の知れぬ仕掛け、山の神の怒りを買うだけだ』と。だが、現にあの人間どもは、その機関を使いこなし、我らの知らぬ方法で発展している!」
「このままでは、我らカラク・ホルンの技は、古き良き化石になるだけだ。ドルグリム様の言う通り、あの人間たちの知恵を取り入れるべきだ」
ドルグリム・ストーンハンマー。彼は、革新派の希望の星だった。常に外の世界に目を向け、新しい技術を取り入れることを恐れない。幻庵という人間と意気投合し、あの「魔石機関」というとてつもない機械を生み出したのも彼だ。だが、その彼でさえ、国王と、伝統という分厚い岩盤の前には、今のところ手も足も出せないでいた。
グレンは、傍らに置いてあった、人間たちが贈答品として残していった品の一つを手に取った。それは、日本の伝統的な製法で鍛えられたという「玉鋼」の小刀であった。彼は、その刃を、工房の灯りにかざす。
(……信じられん。我らの鋼は、硬さを求めれば、どうしても脆くなる。だが、この鋼は、剃刀のような鋭さと、柳のようなしなやかさを、同時にその身に宿している。全く違う性質の鉄を、幾重にも、気が遠くなるほど折り重ねて、一つの鋼へと昇華させているのだ。なんと、手間のかかる、なんと、馬鹿正直な……そして、なんと、美しい技だ……)
彼は、自らの技では、まだこの境地に至れないことを、悔しさと、そして、隠しようのない憧れと共に認めるしかなかった。この数日、彼は仲間たちと、この小刀の構造を解き明かそうと試みたが、まるで歯が立たなかったのだ。叩けば、その振動の伝わり方が違う。熱すれば、その色の変わり方が違う。全てが、自分たちの知る鉄の理から外れていた。
「……俺は、決めたぞ」
グレンは、炉から取り出した鉄塊を、金床の上に置くと、仲間たちを見回し、決意を込めて言った。
「王のお許しが出ぬのなら、俺たちだけでも、あの人間たちの技術を、学びに行く。いや、盗みに行く」
その言葉に、仲間たちの目が、ギラリと光った。
「だが、どうやって」
「ドルグリム様を、担ぎ上げるのだ。あの方を、我ら革新派の旗頭とする。評議会で、鍛冶ギルドの名の下に、王に再考を促すための嘆願書を出す。我ら若手の総意として、王に、長老会に、我らの覚悟を見せつけるのだ」
「おお……!」
「それならば、俺も乗る! 俺の親父も、口では伝統がどうとか言うが、あの刀を見てから、夜中に一人で唸っているのを知っている!」
「俺もだ! このままでは、人間の国に、いつか我らの技が追い抜かれる日が来る。それだけは、ドワーフの鍛冶師として、我慢ならん!」
若き職人たちの声が、工房の中で熱く反響した。
それは、小さな、しかし、無視できぬ熱を持った、反乱の狼煙であった。江雪斎が蒔いた一粒の種は、伝統という分厚い岩盤の下で、確かに、力強い芽を出し始めていた。その芽が、やがてドワーフの国そのものを揺るがす内紛の火種となることを、まだ彼ら自身も知らなかった。らなかった。
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