第十五章:魔工融合、始めの一歩
豊穣祭の喧騒が過ぎ去り、小田原城下に実りの秋と、つかの間の平穏が訪れていた。民は冬に備えて収穫物を蔵に納め、兵たちは武具の手入れに余念がない。だが、その日常から隔絶されたかのように、熱気に満ちた一角があった。
城下の北側、ドワーフたちが間借りする工房群。その中でも一際大きな鍛冶場の奥に、急ごしらえの「技術研究所」とでも呼ぶべき区画が設けられていた。
その主は、北条幻庵。一族の知恵袋であるこの老人は、政務の合間を縫ってはここに籠もり、異世界がもたらした未知の「理」の探求に没頭していた。
「ふむ……。熱を放ち、光を生む。これは、陰陽で言えば明らかに『陽』の気。なれど、その源がどこにも見当たらぬ……」
幻庵は、手にした青みがかった魔石を、陽の光に透かし、あるいは鼻を近づけて匂いを嗅ぎ、あらゆる角度から観察していた 。
この石が、火も油も使わずに輝く原理を、自らが持つ錬丹術や陰陽五行の知識体系で解き明かそうと試みていたが、その本質には一向に辿り着けない。
そこへ、地響きのような足音と共に、ドワーフのドルグリムが顔を出した。その手には、礼だと言って氏康から下賜された清酒の徳利が、大事そうに抱えられている。
「幻庵殿、また石ころと睨めっこか。そんなことより、一杯どうだ? お主らの作るこの『サケ』というやつは、どうにも不思議なもんで、飲めば飲むほど、新しい槌の型が頭に浮かんでくるわい」
「ドルグリム殿か。いや、今はそれどころではない」
幻庵は、徳利には目もくれず、真剣な眼差しでドルグリムに向き直った。
「聞きたいことがある。この魔石の力、ただ光らせるだけではあまりに惜しい。この力を、たとえば『動力』として、安定して取り出すことはできぬものか?」
「動力、だと?」
「うむ。たとえば、あの鍛冶場で使う巨大な槌。あれを、人の力ではなく、この石の力で動かすことはできぬか、と問うておるのだ」
幻庵のあまりに突拍子もない問いに、ドルグリムは怪訝な顔で髭をひねった。
「馬鹿なことを言うでないわ。魔石は『山の魂』。気まぐれなもんよ。力を取り出すことはできても、意のままに操るなど、神ならぬ人の身にできることではないわ」
「……ならば、その神ならぬ人の身で、成し遂げてみるのが面白いとは思わぬか」
幻庵は、傍らにあった紙と筆を手に取ると、驚くべき速度で、水車の歯車や、たたら製鉄で使う「ふいご」の精緻な設計図を描き始めた。
「良いか、ドルグリム殿。この歯車の回転運動を、この石の力で、安定して生み出すことができたなら……一人の人間が生み出す力は、何十倍、何百倍にもなる。川の水を高台の田畑へ汲み上げ、重い鉄を昼夜を問わず打ち続けることができるようになるのだ。我らが知恵と、そなたらの知恵を合わせれば、不可能ではないはずじゃ」
幻庵の熱弁と、紙の上に描かれた合理的な機械の図。それは、ドルグリムの常識を根底から揺さぶるものだった。彼は、ただ頑丈な武具を打つことしか考えてこなかった。だが、目の前の老人は、その先にある、社会の仕組みそのものを変える光景を見据えている。
「……面白い」
ドルグリムの口から、低い、しかし興奮に満ちた声が漏れた。
「実に、面白いわい! 人間というのは、実に途方もないことを考えるもんじゃな!」
革新派であるドルグリムの職人魂に、幻庵の発想という火が点いた瞬間だった。
二人の天才は、その場で意気投合した。すぐさまドルグリムの呼びかけで、腕利きのドワーフ職人たちが集められ、北条家からは最高の腕を持つ大工や鋳物師が派遣された。
こうして、日ノ本が誇る工学と、異世界の魔法技術を融合させる、前代未聞の計画――「魔石機関 」の共同開発が、静かに始まったのである。
工房は、昼夜を問わず槌の音と、日本語とドワーフ語の怒号に包まれた。
◇
数週間の試行錯誤の末、ついに最初の試作品が、工房の中央にその威容を現した。
それは、鉄と木を無骨に組み合わせ、巨大な歯車とシリンダーが複雑に絡み合った、怪物のような機械であった。そして、その心臓部には、一際大きな魔石が、鈍い輝きを放ちながら鎮座している。
「……よし。始めるぞ」
幻庵が、固唾をのんで見守る。
ドルグリムが、機関の前に立ち、ドワーフ語で古の起動呪文を唱えながら、魔石にそっと手を触れた。彼の体内から、マナが奔流となって魔石へと注ぎ込まれていく。
「グルル……ガ、ガガ……!」
魔石が激しく明滅し、機関全体が地響きを立てて揺れ始めた。重い歯車が軋みながら回転し、鉄のピストンが、ゆっくりと、しかし力強く動き出す。
「おおっ! 動いたぞ!」
「成功だ!」
工房内に、歓喜の声が上がる。誰もが、成功を確信した、その時であった。
「……いかん!」
ドルグリムが、血相を変えて叫んだ。
「幻庵、これはマズい! マナの流れが、安定せん!」
彼の言葉を裏付けるように、機関の動きが、みるみるうちに常軌を逸していく。
歯車は、もはや目では追えぬほどの恐ろしい速度で回転し、ピストンは壁を突き破らんばかりの勢いで往復運動を繰り返す。制御を完全に失った機関は、工房内の道具や資材を片っ端から巻き込み、破壊しながら、狂った獣のように暴れ続けた。
「いかん! 爆ぜるぞ!」
ドルグリムが、皆に退避を叫んだ、その瞬間。
幻庵が、動いた。
彼は、工房の隅に置かれていた、冷却用の巨大な水瓶を、渾身の力で機関めがけて押し倒した。
「ジューーーーーッッ!!」
灼熱の魔石に、大量の水がかかる。凄まじい量の水蒸気が、爆発的な音と共に工房を満たし、視界の全てを白く染め上げた。
もうもうと立ち込める蒸気と煙の中、暴走していた機関は、金属が断末魔を上げるような、不気味な軋み音を最後に、ぴたりと沈黙した。
◇
やがて、煙が晴れる。
そこに広がっていたのは、壁が抜け、天井に穴が開き、あらゆるものが破壊され尽くした、工房の残骸であった。
そして、その中央で、煤と泥にまみれた幻庵とドルグリムが、呆然と立ち尽くしている。
静寂の中、最初に口を開いたのは幻庵だった。彼は、真っ黒になった顔で、にやりと笑った。
「……ドルグリム殿。どうやら、ちと力を引き出しすぎたようですな」
その言葉に、ドルグリムもまた、顔の煤を無造作に拭いながら、歯を見せて豪快に笑い飛ばした。
「はっはっは! 違いない! だが、わかったぞ、幻庵! 問題は、マナの流れをいかにして一定に保つかだ! この大失敗は、決して無駄ではなかったわい!」
二人の天才は、工房を半壊させた大失敗を前に、絶望するどころか、次なる明確な課題を見つけ出し、子供のように目を輝かせていた。
そこへ、騒ぎを聞きつけて、氏康が数人の兵を連れて駆け込んできた。
彼は、半壊した工房の惨状と、なぜか意気揚々と肩を組む二人の老人を見比べると、やれやれとでも言うように、深く、長いため息をつくしかなかった。
北条家の技術的優位性を確立する「魔工融合」。
その輝かしい歴史の第一歩は、工房一つを犠牲にする、壮大な失敗から始まったのである。
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