第十三話:礎を築くは誰か
オークとの大戦から数ヶ月。
城下には人間、ドワーフ、エルフが共存する、奇妙で、しかし活気に満ちた日常が生まれていた。だが、その表面的な活気の裏では、異なる文化が互いを値踏みし、反発し合う、見えざる火花が散っていた。
その日の市場の光景は、その縮図であった。
エルフの若者たちは、持ち前の器用さで編み上げた美しい籠を、日本の農婦たちと楽しげに言葉を交わしながら交換している。
彼らは、森での暮らしで培った、他者との距離感を保つ術を心得ていた。馴染んでいる、とまでは言えない。だが、彼らは巧みに、この新しい社会に溶け込もうとしていた。
だが、そのすぐ隣。鍛冶工房の前では、怒号が飛び交っていた。
「だから、鉄の配合が甘いと言っておるのだ! こんなものでは、我らが山の岩盤は削れん!」
カラク・ホルンから来たドワーフの職人が、日本の刀鍛冶が打ったばかりの鍬を、まるで不浄なものでも見るかのように睨みつけている。
「馬鹿を言え! このしなりこそが、日本の土を耕すための知恵だ! 貴様らの、ただ硬いだけの鉄塊と一緒にされてはかなわん!」
互いの職人としての誇りが、一歩も引かぬ対立を生む。
彼らの周りには、人間とドワーフの野次馬が集まり、その輪は、日に日に険悪さを増しながらも、お互いの技術力には嘘がないことをわかっていた。。
そして、そのどちらの輪にも加わることなく、市場の最も隅、陽も当たらぬ路地裏で、レミントンの難民たちが、虚ろな目で壁に寄りかかっていた。
仕事もなく、交換するべき物もなく、ただ、配給の粥を待つだけの日々。小田原の民は、彼らを「何も生み出さぬ者」として遠巻きにし、子供が近くに寄ろうものなら、「汚れるから、あちらへお行き」と、その手を引く。
彼らは、この城下で、確かに「浮いて」いた。
◇
「――このままでは、いずれ、内側から腐りますな」
町奉行所にて、大道寺政繁が、苦々しく報告を締めくくった。
当主・北条氏政は、腕を組み、深く眉間に皺を刻んでいる。
「エルフは、器用に立ち回っております。ドワーフは、衝突は多いものの、その技が不可欠であることは、誰もが認めている。ですが、レミントンの難民たち。彼らは……彼らは、この城の、最も弱い膿となりつつあります」
「わかっている」と氏政は応じた。
「だが、どうすればいい。彼らに、土地や仕事を与えようにも、元からの民の反発は大きい。そして、彼ら自身が、圧政に慣れきり、自ら立つ気力を失っている」
その時、評定の間に控えていたエルウィンとリシアが、静かに進み出た。
「氏政様。我らに、一つ、試させてはいただけないでしょうか」
エルウィンは、この城に渦巻く、複雑な感情の機微を、誰よりも敏感に感じ取っていた。
「我らが、この城の全ての民の、真の『価値』を、白日の下に晒してみせましょう。それは、あるいは、この澱んだ空気を変える、一陣の風となるやもしれませぬ」
◇
数日後、城下の練兵場に、多くの民が集められた。
氏政の名の下に、新生・小田原領、第一回「武芸と技芸の御前試合」が開催されたのだ。
種目は弓術。
北条軍一の弓取りと謳われる侍が、その八尺を超える和弓を、月のように引き絞る。放たれた矢は、風を切り裂き、百間(約180メートル)先の的の、ど真ん中を、深々と貫いた。「おおっ!」と、どよめく日本の兵たち。
対するは、エルウィン本人。彼は、静かに目を閉じ、風の声を聴くと、的とは全く違う方向へ矢を放つ。誰もが失敗を訝しんだ瞬間、突風が的を揺らし、矢はその動きの先を読むように、ど真ん中に吸い込まれていった。
観衆が二つの神業にどよめく中、氏政が、静かに声を上げた。
「――レミントンの民の中にも、弓を扱う者はいるか」
その問いに、難民たちの中から、おずおずと、一人の初老の男が進み出た。
その手にあるのは、華美な装飾のない、使い古された猟師の弓。
「……的を、動かせ」政繁が、氏政の意を汲んで命じる。兵士たちが、的を左右に不規則に動かし始める。
日本の侍が、再び矢を放つ。数本は的を捉えるが、その動きに翻弄され、いくつかは的を外れた。エルウィンもまた、動く的を正確に射抜くが、その表情には、僅かな集中が見て取れた。
最後に、猟師が、静かに矢を番える。彼の目には、もはや卑屈な色はない。ただ、長年の経験に裏打ちされた、狩人の目がそこにあった。彼は、的の動きを追うのではない。その、僅かな「隙」だけを、見つめていた。
ヒュッ、と。地味な、しかし、鋭い音と共に矢が放たれる。矢は、的がまさに方向転換しようとする、その一瞬の静止を、寸分の狂いもなく射抜いていた。それは、武芸でも魔法でもない。ただ、生きるために磨かれた、必殺の技であった。
綱成が、初めて、感嘆の声を漏らした。
「……面白い。戦場の弓、森の弓、そして、狩人の弓、か。いずれも、見事なり」
勝敗は、つかなかった。
だが、その場にいた全ての民の心に、一つの事実が刻まれた。――強さの形は、一つではない、と。
◇
そして、最後。
リシアが進み出て、広場の中央に、一つの水晶の宝珠を置いた。
「これより、皆様の中に眠る、魔法の『素質』を占います!」
その言葉に、会場は期待と疑念でざわめいた。
最初に名乗りを上げたのは、北条軍の若き侍であった。彼が、自信満々に珠に触れると、水晶が、一瞬だけ、蛍のように淡く明滅した。
「……惜しいですわ」リシアが、穏やかに告げる。
「確かに、マナの流れは感じます。ですが、それを留めておく器が、ほんの少しだけ、足りないようですね」
その結果に、会場は失望とも納得ともつかぬ空気に包まれた。
「やはり、魔法など、エルフや、特別な血筋の者だけのものか」
民衆の中から、そんな諦めの声が漏れ始めた、その時だった。
「……あの」
か細い、しかし、芯のある声がした。皆が振り返ると、そこに立っていたのは、先の戦で片足を失い、松葉杖をついた、若い足軽であった。
彼は、医療院から、この試合を遠巻きに眺めていたのだ。
「俺みてえな、半端もんでも……試させてもらえるのか?」
その言葉に、誰もが戸惑う。
だが、リシアは、優しく微笑み、静かに頷いた。
足軽は、覚悟を決めたように、不自由な足を引きずりながら、ゆっくりと珠の前へと進む。そして、泥に汚れた、武骨な指先で、そっと珠に触れた。
すると、水晶は、明滅するのではない。まるで、傷口を癒す薬草のように、穏やかではあるが力強い翠色の光を、その内に静かに灯し始めた。
リシアが、驚きと畏敬の念を込めて、目を見開く。
「これは……! 傷を癒し、命を繋ぐ、慈しみの光……! あなたのマナは、誰かを守るための、温かい力を持っていますね」
その、予期せぬ奇跡に、民衆は言葉を失った。
戦で、その体を最も傷つけられた男が、最も優しい、癒しの力を宿していたのだ。ざわめきが、今度は、感動と、尊敬の念へと変わっていく。
その空気を引き継ぐように、氏政の声が響いた。
「――難民たちにも、触れさせよ」
兵に促され、おずおずと、一人の、みすぼらしい身なりをした少女が、その輪の前に進み出た。先の戦で親を亡くした、孤児であった。
彼女が、その小さな、汚れた指先で、そっと、珠に触れた、その瞬間。
――ポゥ……
水晶が、まるで、内側から誰かが火を灯したかのように、柔らかく、暖かい、黄金色の光を放ち始めたのだ。
「おおっ!」「光ったぞ!」
群衆から、驚嘆の声が上がる。
少女自身も、自らの指先から放たれる光に、怯えたように目を見開いている。
リシアは、その少女の前に、静かに膝をつくと、その小さな手を、優しく包み込んだ。
「……怖がらなくて、いいのですよ。それは、貴方だけが持つ、特別な、そして、とても優しい力なのですから」
その光景は、集った全ての人々の胸を打った。
この城では、身分も、生まれも、これまでの人生さえも関係ない。最もか弱く、無力と思われた孤児でさえ、国を支える宝となる可能性を秘めている。あまりにも劇的な事実が、各種族の間にあった、見えざる壁を、確かに溶かした。
試合が終わった後、氏政は、政繁に向き直った。
「政繁。明日より、新たな学び舎を設立する。一つは、弓術を、人間とエルフ、そして狩人たちが共に学ぶ場。一つは、武具を、人間とドワーフが共に研究する場。そして……」
彼の視線は、リシアに手を引かれ、まだ戸惑いながらも、その目に確かな光を宿し始めた、あの孤児の少女へと注がれていた。
「……そして、一つは、魔法を学ぶための、最初の『種』を育てる場だ」
政繁は、その言葉に感嘆の念を込めて、頭を下げた。
若き当主は、ただ問題を解決したのではない。彼は、衝突と混乱の中から、この国の全く新しい「未来」を、見つけ出したのだ。
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