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第十一話:戦勝の宴と新たな火種

 

 オークとの大戦から数日後。小田原城の大広間では、戦後処理のための軍議が開かれていた。


 その空気は、勝利の昂揚と、失った者たちへの哀悼、そして、未知の敵との戦いを乗り越えた、確かな自信が入り混じっていた。


「――以上が、我が隊の損害報告にございます」

 遠山綱景に続き、各部隊長からの報告が続く。北条軍の損害は、決して軽微ではなかった。


 議論が一段落した時、氏康が、評定の末席に座るリシアに視線を向けた。


「リシア殿。此度の戦、そなたの報せがなければ、我らの被害はさらに大きなものとなっていただろう。改めて礼を言う」


「……いえ」


「一つ、聞きたい。戦の最中、オークどもが見せた、あの不可思議な力。矢を受けても怯まぬ頑健さ、そして、後方から岩を飛ばしてきた者たちの術。あれは、そなたの使う術と、源を同じくするものか?」


 氏康の問いに、リシアは、きょとんとした顔で答えた。


「はい。わたくしたちが使う力も、オークたちが使う呪いも、源は同じです。この世界に満ちる力――わたくしたちは、それを『マナ』と呼びます」


「そして、そのマナを操る技術のことを、『魔法』と申します」


 広間が、ざわついた。「魔法」と「マナ」。これまで「妖術」や「気」としか認識していなかった現象に、初めて明確な「名称」と「体系」が示された瞬間であった。


 幻庵が、興奮を抑えきれぬように身を乗り出す。

「リシア殿! なぜ、そのような重要なことを、もっと早く教えてはくれなんだ!」


 その問いに、リシアは、心底不思議そうな顔で首を傾げた。


「え……? 皆様、当然、魔法はお使いになるものとばかり……。そういえば、このお城に来てから、誰一人、魔法を使っているのを見ていなかった、かも……しれません」

 リシアの、心底不思議そうな、悪びれる様子のないその言葉。評定の間に、一瞬の沈黙が落ちた。


 やがて、幻庵が「なんと……」と呻きながら額に手を当てて天を仰ぎ、隣の氏康は、こらえきれぬといった風に苦笑いを浮かべた。二人の脳裏には、同じ言葉が浮かんでいたに違いない。


 ――この世界の「当たり前」は、我らのそれとは、根本から違うのだ、と。


 ◇


 その夜の城下は、いくつもの巨大な篝火の熱と、男たちの雄叫びで揺れていた。

 広場では、兵士たちが樽から直接酒を酌み交わし、先の戦で得た牙猪の肉にかぶりついている。脂の焼ける香ばしい匂いと、武勇伝を語る大声、そして時折上がる鬨の声。それら全てが混じり合い、荒々しくも生命力に満ちた熱狂の渦を作り出していた。


 兵士たちの鬨の声と、武勇伝を語る大声が時折、本丸御殿まで響いてくる。

 だが、大広間の空気は、その熱狂とは無縁の、氷のような緊張に満ちていた。議題は、数百に及ぶオーク捕虜の処遇。


 評定の末席に座るリシアの耳には、外の喧騒が、まるで別世界のできごとのように遠く聞こえた。昼間の評定で垣間見た、この城の主、北条氏康という人間の底知れなさ。その男が、今まさに、憎き仇であるはずのオークたちの運命を決めようとしている。

 

 彼女は、その光景に、畏怖とも嫌悪ともつかぬ感情で身を震わせながら、ただ議論の行方を見つめていた。


「――皆殺しにすべきです」

 口火を切ったのは、傷の癒えた北条綱成であった。


「奴らは、ただの獣。生かしておけば、必ずや我らに牙を剥きましょう。その弔い合戦としても、根絶やしにすることこそが、武士の情けというもの」

 その苛烈な意見に、氏照、氏邦ら、実際にオークと刃を交えた若い武将たちが、強く頷いた。


 しかし、その言葉を、氏政が静かに遮った。


「なりませぬ。これ以上の殺生は、天の理に背きます。それに、数百の捕虜を処刑するとなれば、我らの評判は地に落ちましょう。ドルグリム殿も、我らを血に飢えた蛮族と見るやもしれませぬ」

 大道寺政繁も、冷静に付け加える。


「兵糧の問題もございます。今、我らに、数百の捕虜をただ食わせておけるほどの余裕はございません」


 綱成の言う、武士としての道理。

 氏政の言う、為政者としての道理。

 二つの正論が、再び評定の場で激しくぶつかった。

 氏康は、その議論を制すると、静かに命じた。

「――オークの、将たる者を一人、ここへ連れてまいれ。直接、話を聞く」


 やがて、広間に引き出されてきたのは、先の戦で捕虜となった、オーク・シャーマンの一人であった。彼は、他のオークと違い、恐怖に震えるでもなく、ただ憎悪に満ちた目で、氏康を睨みつけている。

「……人間たちの王か。殺すなら、さっさと殺せ」

「案ずるな。まだ殺さぬ。問いたいことがある。なぜ、我らを襲った?」

 氏康の問いに、シャーマンは、唾を吐き捨てるように言った。

「お前たちが現れてからだ! 森の獣は消え、木々は枯れ、大地の神はお怒りだ! 全て、お前たちのせいだ!」

「……大地の神の、怒りだと?」

「そうだ! 我らは、神の怒りを鎮めるため、お前たちを贄として捧げる! それが、我ら鉄牙部族の使命よ!」

 シャーマンの言葉は、狂信的であったが、その根底には、自分たちの生活圏が脅かされているという、純粋な恐怖があった。


 彼らを下がらせた後、氏康は、深く息を吐いた。

 そして、家臣たちに向き直り、その裁定を告げる。

「――綱成、そなたの言う通り、奴らは獣だ。そして氏政、そなたの言う通り、ただ殺すのは、我らの道ではない」

「ならば、答えは一つ。獣を、人にすればよい」

「……と、申しますと?」


 氏康は、その壮大にして、冷徹な計画を語り始めた。

「オークの捕虜たちは、氏族ごとに解体し、互いに顔を合わせることもできぬよう、別々の場所へ送る」

「そして、彼らには労働力となってもらう。鉱山の採掘、総構えの拡張工事、人が行うには、あまりに危険な仕事。それを、彼らに担わせるのだ」

「食料は、労働に応じて、死なぬ程度に与える。働き、我らに貢献する者のみが、生きることを許される。まずは、これが第一段階よ」

 そこまで聞いて、綱成は満足げに頷いた。それは、事実上の奴隷労働に他ならなかったからだ。


 だが、氏康の言葉は、そこで終わらなかった。

「だが、ただの労働力として使い潰しはせぬ。働きぶりを見て、従順な者には、より良い食事と、住まいを与える。そして、我らの言葉と、**『法』を教える」

「法を学び、人を人として遇する事を覚えた者には、『準領民』としての地位を与える道を開く。そして、この小田原で生まれたオークの子らは、我らの民として、寺子屋で学ぶことを許そう」

「獣を殺すのではない。獣の牙を抜き、その心に、人の理を植え付けるのだ。いずれは、彼らもまた、この国を支える『民』**となる。それこそが、我が北条の戦い方よ」


 それは、殺すよりも遥かに手間がかかり、生かすよりも遥かに厳しい、支配の方法であった。

 敵対する者を根絶やしにするのではなく、その牙を抜き、骨の髄まで、自らの価値観と統治システムに組み込んでしまう。

 綱成も、氏政も、父のその恐ろしくも深遠な「禄寿応穏」の真髄の前に、もはや何も言うことはできなかった。


 評定の隅で、その議論を聞いていたリシアは、顔を青ざめさせていた。

 オークは、憎い敵だ。だが、その魂ごと作り変えようとする、目の前の人間の王のやり方に、彼女は、心の奥底から震えるような、言いようのない感情に襲われていた。

(これが……この人の、やり方……? 敵を、殺しも、奴隷にもせず……民に、作り変える……? エルフの千年にも、ドワーフの百年にも、そのような発想はなかった。恐ろしい……。あまりにも、恐ろしく、そして……あまりにも、壮大すぎる……)

 彼女は、目の前の人間の王に、初めて、種族の差を超えた、純粋な畏怖の念を抱いていた。


 この日、氏康が蒔いた種は、単なる労働力の確保に留まらない。

 それは、敵対する種族すらも飲み込み、新たな秩序の元に再編するという、前代未聞の国家理念そのものであった。

 その理念が、やがてこの世界にどのような花を咲かせ、あるいは嵐を呼ぶのか、まだ誰も知る由もなかった。



 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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