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幕間・二:森のささやき

 レミントン辺境伯領の東端、大森林に面した猟師の村。ベテランの猟師であるロルフは、息子のヨアンと共に、鹿の足跡を追っていた。


「……父さん、本当に大丈夫なのか? この先は、オークどもの縄張りだ」

 若いヨアンが、不安げに声を潜める。


「わかっている。だが、この数ヶ月、森の獣が妙に少ない。奴らの縄張りにまで踏み込まねば、大した獲物は望めん」

 ロルフは、油断なく周囲に目を配りながら答えた。


 二人が、慎重に茂みを進んでいった、その時だった。

 ふわり、と風に乗って、奇妙な匂いが鼻をついた。


 それは、獣の血の匂い。だが、それだけではない。鉄が焼けるような、それでいて、嗅いだことのない刺激的な匂い。そして、何より不気味なのは、鳥の声一つしない、森の完全な沈黙であった。


「……何かがおかしい」

 ロルフは、ヨアンに合図してその場に伏せさせると、匂いのする方へ、音もなく進んでいった。


 そして、丘の稜線から眼下を覗き込んだ彼は、自らの目を疑った。

 そこに広がっていたのは、信じがたい光景だった。


 森の中の開けた土地が、まるで巨大な獣に食い荒らされたかのように、無残に抉られていた。大地は無数の轍と足跡でぬかるみ、そこかしこに黒く乾いた血の痕がこびりついている。折れた矢、砕けた盾の破片、そして、見たこともない鉄の礫が、泥の中に無数に転がっていた。


 「父さん、これはいったい……」

 後から追いついてきたヨアンが、息を呑む。


 ロルフは息子の問いに答えず、風下に漂う異様な匂いに鼻をひくつかせた。血と鉄の匂い。だが、それだけではない。獣の脂が焼ける、鼻をつく悪臭。彼は、最悪の予感を覚えながら、その匂いの元へと、音もなく進んでいった。


 そして、彼は見てしまった。


 谷間の窪地に巨大な穴がいくつも掘られ、そこから黒い煙がもうもうと立ち上っている。穴の中では、処理しきれなかったオークの亡骸が石灰と共に焼かれていた。


 その周囲では、見たこともない格好をした人間たちが、まるで手慣れた解体職人のように、山と積まれたオークの皮を剥ぎ、牙を抜き、再利用できる武具を仕分けている。


「静かにしろ。……一体、何が……」

 ロルフが言葉を失っていると、背後の茂みから、ガサリと大きな物音がした。二人が咄嗟に身を伏せると、茂みを突き破って、一頭の巨大な化けファングボアが血走った目で飛び出してきた。


「まずい!」

 だが、猪が彼らに牙を向けるよりも早く、森の別の方向から、数人の男たちが姿を現した。


 彼らは、見たこともないような奇妙な意匠の鎧を纏っている。


「囲め! 殿への良い土産となるわ!」

 男たちは、猪を巧みに包囲していく。


 その統率された動きは、ただの猟師のものではない。

 猪が最後の突進を試みた、その瞬間。男たちの一人が、肩に担いでいた奇妙な鉄の筒を構えた。


「――放て!」

 次の瞬間、雷鳴にも似た轟音が森に響き渡り、筒先から白い煙が噴き出す。


 ロルフとヨアンは、思わず耳を塞いだ。轟音の直後、猪の巨大な頭が、まるで熟れた果実のように弾け飛び、その巨体は勢いを失って大地に倒れ伏した。


 男たちは、倒した猪に近づくと、その中の一人が、茂みに潜むロルフたちの気配に気づいた。


「……そこにいるのは誰だ! 出てこい!」

 鋭い声。その言葉の意味が、ロルフたちの頭の中に直接流れ込んでくる。


 観念して姿を現した二人を、男たちは警戒しながらも、武器を向けることはなかった。


「……ん? なんだ、あのなりは。見たことねえ顔だな。お前たち、名は何と申す。この城の名は『オダワラ』という。この辺りの者か?」

 男の問いかけに、ロルフは恐怖で声も出ない。


 目の前の男たちが持つ、あの雷の筒。そして、あのオークの死体の山。全てが繋がった。


 ロルフは、ヨアンの手を掴むと、咄嗟に叫んだ。


「す、すまない! 俺たちはただの猟師で……!」

 彼は、意味不明な謝罪を口にしながら、男たちが猪の検分に気を取られた一瞬の隙を突き、ヨアンと共に、転がるようにしてその場から逃げ出した。


 ◇


 半日後。

 レミントン辺境伯領の東の砦に、血相を変えた二人の猟師が駆け込んできた。


 砦の守備隊長は、彼らの話を、ただの恐怖からくる誇張だと、半信半疑で聞いていた。

 だが、その内容は、これまで断片的に報告されていた「東の森の異変」の噂と、奇妙に符合するものであった。


「……して、その者たちの城の名は何と申した?」


「は、はい……『オダワラ』と。そう名乗っておりました」


「そして、その『オダワラ』の者どもは、どのような武器を使っていた?」


「わかりません! ですが、見ました! 奴らは、雷のような轟音と共に、鉄の礫を放つ筒を使っておりました! あの、化け猪の硬い頭蓋骨でさえ、一撃で……!」

 隊長は、額に冷たい汗が浮かぶのを感じた。


 オークの脅威は、辺境伯領にとって、長年の懸案であった。そのオークの、数千の軍勢を、一方的に殲滅する、謎の勢力。


 それは、オーク以上に恐ろしい、新たな脅威に他ならなかった。


「……伝令を出せ」

 隊長は、震える声で命じた。  


「至急、辺境伯閣下にご報告申し上げろ! ……東の森の噂は、真であった、と! その城の名は『オダワラ』! そして、その主は、雷の筒を操る、恐るべき軍団である、と!」

 この日、猟師たちの具体的な目撃証言は、レミントン辺境伯領の指導者たちを震撼させた。


 東の森に突如現れた、謎の勢力。その名は「オダワラ」。


 その存在が、辺境伯にとって、オークの脅威とは比較にならぬ、新たな、そしてより深刻な時代の幕開けを告げるものであった。



 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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