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第八十八話:災厄の化身


「幾星霜の時を経て、血と偽りの祈りが大地を穢す時、古の英雄の影は蘇るであろう。その影は、生者の嘆きを喰らい、絶望をその身に纏い、この地に終焉をもたらすために」


――出典:『創世神話の原典』第七章『忘れられた王』第十三節より抜粋。


 ◇


 それは、かつて人であった。

 否、人でありながら神に最も近づいた、悲劇の英雄であった。


 遥か昔。この世界が前回の『大災害』に見舞われた末期。

 世界を救うため、一人の王が立ち上がった。エリュシオン統一王国の最後の王、アストリオン。彼は神より賜った聖剣を掲げ、荒れ狂う魔物を斬り伏せ、民を導き、病んだ大地を癒すために生涯を捧げた。


 だが、彼は知らなかった。彼自身もまた、その祖先が別の世界からこの地に「移植」された『生贄』であったことを。彼が流した血も、捧げた祈りも、全てはこの飢えた星の延命のための「栄養」に過ぎなかったことを。


 大災害の最後の一日。


 アストリオンは滅びゆく世界の中で、たった一人、最後まで戦い続けた。そして、ついに世界の真実にたどり着く。自らが守ろうとしていたこの世界そのものが、自分たちを喰らうための捕食者であったという、あまりにも残酷な真実に。


 神に裏切られ、世界に裏切られ、自らの正義さえもがただの茶番であったと知った時、彼の魂は砕け散った。 


 あまりにも強大で、あまりにも無念に満ちた英雄の魂は、この星の輪廻の輪に戻ることを拒絶した。憎悪と絶望の塊となった魂は、次元の狭間を数千年の長きにわたり彷徨い続けた。


 そして今、枢機卿ロデリクの狂気と瀆神の儀式が、その次元の門をこじ開けた。


 呼び出されたのは異世界の魔物ではない。この世界が生み出した最大の「怨念」――英雄アストリオンの成れ果ての魂。


 ロデリクが贄として捧げた数百の騎士たちの生命力と、戦場に満ちる何万という死者の無念を器として、英雄は人の形をした災厄そのものとなって蘇った。


 ただ、そこに生きる全ての生命を憎むためだけに。かつて自らを裏切ったこの世界、その全てを蹂躙するためだけに。


 それこそが、『災厄の化身』。

 そして、『成れの果て(ロスト・ワン)』の正体であった。


 ◇


「aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa」

 声なき咆哮。


 鼓膜ではなく魂を直接揺さぶる絶望の波動が、戦場を支配した。


 その顔のないはずの顔を向けられたのは、自らを呼び出した帝国軍の残党であった。

 成れ果ては、ゆっくりと、その山のように巨大な右腕を振り上げた。


「……い、いかん!総員、退避!」

 生き残った将軍が絶叫する。

 だが、遅かった。


 振り下ろされた腕は、大地を直接殴りつけたわけではない。腕が地面に触れる寸前、その周囲の空間が水面のようにぐにゃりと歪んだのだ。


 次の瞬間、その腕を中心とした半径百間(約180メートル)の範囲の大地そのものが、何の音もなく、黒い底なしの「沼」へと姿を変えた。


「……あ……?」

 そこにいた数千の帝国兵たちは、何が起きたのか理解する間もなかった。


 自らが立つ大地が突然その支えを失い、彼らは重い鎧と共に、悲鳴を上げる間もなく黒い怨念の沼の中へと引きずり込まれていく。


 助けを求める無数の手が沼の中から突き出されるが、それもすぐに、ぶくぶくと泡となって消えていった。


「……ひぃぃぃ!」


「化け物だ!神よ!我らをお救いください!」

 帝国兵たちが完全に戦意を喪失し、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑い始めた。


 だか、『成れの果て』は、それを許さない。


 今度はその左腕をゆっくりと天に掲げる。

 すると、その周囲の夥しい数の死体――先の戦いで死んだ北条の兵、帝国の兵、その両方――が、まるで操り人形のようにむくりと起き上がり始めた。


 彼らはその虚ろな目で、最も近くにいる「生きている者」へと襲いかかっていく。


「や、やめろ!俺だ!仲間だ!」

 帝国兵が、昨日まで同じ釜の飯を食っていたはずの戦友の亡骸に喉笛を食い破られ、絶命する。

 戦場は、もはや阿鼻叫喚の地獄絵図であった。


 ◇


「……全軍、城壁まで後退!」

 小田原城の櫓の上、総大将・北条氏康の厳しい声が響き渡った。


「鉄砲隊、構え!奴を撃て!」

「しかし、殿!奴が此方に向かって来るやもしれませぬ!」

 鉄砲隊の指揮官が躊躇の声を上げる。


「構わぬ!」

 氏康の声が非情に響く。


「この世に生きる全ての者の敵だ!一人でも多くの民を救うためだ、撃てぇ!」 


 ドドドドドドドドドォォォォンッ!!!!


 城壁の上から数百挺の火縄銃が一斉に火を噴いた。

 鉛玉が巨大な体に吸い込まれていく。


 だが、その体はまるで柳に風。弾丸はその不定形な体を何の抵抗もなくすり抜け、そしてその向こう側へと虚しく飛び去っていくだけ。


「だめだ!効いておらん!」

「ならば、これならどうだ!」


 城壁の一角。ブロック王の号令一下、ドワーフたちが操作する巨大な「破城砲」が轟音を上げた。


 小田原鋼で作られた巨大な鉄球が、凄まじい速度で成れ果ての胸部へと直撃する。  


 今度は確かな手応えがあった。成れ果ての巨体がぐらりと揺らめき、その胸には大きな風穴が空いていた。


「やったか!?」

 だが、その歓声はすぐに絶望のため息へと変わる。

 風穴は次の瞬間には周囲の怨念を取り込み、完全に元通りに再生してしまったのだ。


「……ならば!」

 森の中から、エルウィンの凛とした声が響いた。


「森の子らよ!我らが古より受け継ぎし大精霊の怒りを、今こそあの穢れた魂に見せてやるのです!」


「リシア、力を貸してくれ!」


「はい、エルウィン!」

 三百のエルフたちが一斉に詠唱を始める。彼らの弓の先に、それぞれ異なる属性のマナが集束していく。だが、今度はそれだけではなかった。


 リシアがその両手を天に掲げると、彼女のスキル【精霊の乙女】が完全に解放された。


 三百のバラバラであったはずのマナが、彼女の祈りを中心に一つの巨大な虹色の奔流へと束ねられていく。


「放てぇッ!」

 三百の魔法と一人の乙女の祈りが融合した、連合軍の最大火力の魔法攻撃。《精霊の怒号エレメンタル・ロア》。

 虹色の巨大な光の龍が、成れ果てめがけて殺到した。


 だが。

 『成れの果て』はそれを避けない。防ぎもしない。

 ただ、その憎悪そのものが固まってできたかのような、黒曜石の長大な刃へと変貌した腕を、無造作に振るっただけ。


 ズガアアアアアアアアアアアンッ!!!!


 虹色の光の龍が、漆黒の怨念の刃と激突した。

 そして。

 いともあっさりと、エルフたちの希望の光は、まるで嵐の前の蝋燭の炎のように虚しく吹き消された。


「……そんな」

 リシアがその場に膝をつく。精霊の声さえも、あの絶望の前では掻き消されていた。


「……ならば!」

 その絶望的な光景を前に、沈黙を保っていた一人の男が動いた。


 北条綱成。彼は先の戦いで崩れた大手門の瓦礫の上に、静かに立っていた。 


「面白い……!」

 彼は恐怖ではなく、歓喜にその口元を歪ませた。


「神の理を斬り伏せたこのわしの剣が、貴様のようなただの怨念の塊に通用せぬ道理があるか!」

 彼はその場から大地を蹴り、黄金の闘気をその身にまとい、成れ果てめがけて一直線に突撃していった。


「綱成叔父上! なりませぬ!」

 氏政の悲痛な叫び。

 だが、もはや誰にも彼を止めることはできない。 


 綱成は天高く舞い上がると、あの神罰の使徒を葬った、理を断ち切る究極の一太刀を、成れ果てのその心臓部と思わしき場所めがけて振り下ろした。


 それは、まさしく神をも殺す一撃。


 『成れの果て』は、それを避けない。防ぎもしない。ただ、その憎悪の刃と化した腕を、無造作に振るっただけ。


 ズガアアアアアアアアアアアンッ!!!!


 綱成の黄金の闘気と、『成れの果て』の黒き怨念が激突した。


 そして。

 いともあっさりと。

 綱成のその神業の一太刀は、まるで巨岩の前に木の枝を叩きつけたかのように、粉々に砕け散った。


「がっ……はっ……!?」

 綱成の体があり得ないほどの衝撃を受け、鞠のように大地へと叩きつけられる。


 彼の黄金の闘気が掻き消え、その手から愛刀『獅子奮迅』が虚しくこぼれ落ちた。 


 ……あの、北条綱成が。

 【剣聖】の力を完全に覚醒させた、あの無敵の武神が。


 ただの一撃で。

 その絶対的な強さの象徴が崩れ落ちたその光景。

 それは、小田原城の全ての兵士たちの心を、完全にへし折るに十分であった。


 もはや誰も立ち向かおうとはしない。

 ただ、ゆっくりと、しかし確実にこちらへとその歩みを進めてくる黒い絶望の化身の姿を、呆然と見つめるだけであった。



 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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